2月25日(月)フェルトホーフェン指揮オランダ・バッハ協会合唱団&管弦楽団
紀尾井ホール
【曲目】
バッハ/ヨハネ受難曲BWV245![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_heart.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
【演 奏】
T(福音史家):ゲルト・テュルク/B(イエス)ステファン・マクラウド/S:マリア・ケオハナ/A(カウンターテナー):マシュー・ホワイト/T:アンドルー・トータス/B(ピラト、ペトロ):ヴォルフ・マティアス・フリードリヒ
ヨス・ファン・フェルトホーフェン指揮オランダ・バッハ協会合唱団&管弦楽団
いつも良い古楽のコンサートを提供してくれるアレグロミュージックの招聘で、古楽演奏では伝統と高い水準をもつオランダの演奏団体がやる「ヨハネ受難曲」のインパクトのあるチラシが目に飛び込んできたので、久々に「ヨハネ」を聴いてみたくなってチケットを購入した。
演奏者の名前も知らず何の予備知識もなかったが、先日毎日新聞にこの公演の紹介記事が載っていて、合唱はリフキン流の1パート1人で歌われることを知った。以前テレビでクイケンか誰かの指揮でバッハのカンタータをやっていたのを見た時の合唱が4人だけだった。研究の成果か何かは知らないが、僕が好きな合唱特有の響きが失われてしまうこうしたスタイルの演奏がこれから幅を効かせてきたらイヤだな、とその時思っていただけに、今回の合唱のことを知って正直ガックリきた。このことを最初から知っていたらチケットは買わなかったと思う。
しかし実際の演奏に接してみての感想は… まずゆったりしたテンポで宙を漂うようにうねりながら進むオーケストラの柔らかな前奏でひきつけられ、続いて発せられた合唱の「Herr!(主よ)」の一声を聴いて合唱への不安が吹き飛んだ。畏怖の入り混じった高らかな叫びがホールに響き渡る。
この合唱、1パート1人ではなく合唱要員の4人にソリスト達も加わって各パート2名による8名という編成。少人数による研ぎ澄まされた響きと、豊かで温かい響きは合唱としての魅力の両面を持つ。曲によっては8名のトゥッティと四重唱とを「会衆の叫び」と「内面の声」の対比などで巧みに使い分ける。
深く落ち着いたオーケストラの響きも素晴らしい。一人一人がお互いの音を聞きあって最も美しい響きを作る。響きの上に自然に響きが乗って共鳴し合っている。これは合唱にもいえる。各プレイヤーはみんな超一流のソリストでもある。深く温かなオブリガートヴァイオリン、「Es ist vollbracht!(成就した)」では成し遂げた偉業を哀悼の熱い涙と共に讃えるガンバ、雅やかな淡い光が降り注ぐようなオーボエ…
歌のソリスト達も、柔らかな美声で丁寧に聖書の物語りを語り聞かせたテュルクのエヴァンゲリストをはじめ、それぞれ大変な力量の持ち主が集まっているが、いわゆる一身に注目を集めるような花形歌手というタイプではない。しかし、この「ヨハネ」の演奏を聴いていると、そんな一人の花形歌手の存在は反ってそぐわないような気がしてきた。それは、一人や二人の超名人にスポットが当たるオペラの舞台とは違う、「個人」を超越した神聖な儀式に居合わせているような感覚。
実際、フェルトホーフェンの指揮で繰り広げられる「ヨハネ」の世界は、目立った演奏上のパフォーマンスや効果とは無縁の、純粋な信仰告白のように聞こえてくる。
空に突き抜けるような教会の尖塔、ステンドグラスから降り注ぐまばゆい光、大オルガンの響き… 教会のこうした「装置」は神を崇め、賛美するための「証し」という意味以上に、一般会衆に神の威光を知らしめ、信仰心を高めるために用意された道具であることを考えれば、そこで響いたバッハの音楽も、こうした会衆の信仰心を高めるために教会から求められ、バッハもそれに応えるべく作曲されたはずだ。
「ヨハネ」の持つ臨場感溢れる劇的な効果は、バッハ自身の信仰告白であると同時に会衆にわかりやすく受難劇を伝えるという意図もあったはずで、演奏によってはそうした「表面的な効果」を強調した劇的な演奏で効果を上げることも可能なわけだが、フェルトホーフェンの「ヨハネ」は、ただただ純粋で永続的な信仰心へと誘ってくる。超一流の演奏家がうわべの効果や虚飾を廃し、ルターの宗教改革の原点に立ち戻ったような姿勢で演奏に身を捧げたとき、どれほどの力をもたらすかということを立証した演奏ではないだろうか。
この長い受難の物語を閉じる終曲のコラールで純粋に高揚した賛美の合唱を聴いていたら、クリスチャンでもない僕がこの敬虔な会衆(合唱)の中に加わって心の中で一緒に神様を讃えているように感じた。音楽がもたらす真の感動を味わった今夜の「ヨハネ」、聴きに来て本当に良かった。
紀尾井ホール
【曲目】
バッハ/ヨハネ受難曲BWV245
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【演 奏】
T(福音史家):ゲルト・テュルク/B(イエス)ステファン・マクラウド/S:マリア・ケオハナ/A(カウンターテナー):マシュー・ホワイト/T:アンドルー・トータス/B(ピラト、ペトロ):ヴォルフ・マティアス・フリードリヒ
ヨス・ファン・フェルトホーフェン指揮オランダ・バッハ協会合唱団&管弦楽団
いつも良い古楽のコンサートを提供してくれるアレグロミュージックの招聘で、古楽演奏では伝統と高い水準をもつオランダの演奏団体がやる「ヨハネ受難曲」のインパクトのあるチラシが目に飛び込んできたので、久々に「ヨハネ」を聴いてみたくなってチケットを購入した。
演奏者の名前も知らず何の予備知識もなかったが、先日毎日新聞にこの公演の紹介記事が載っていて、合唱はリフキン流の1パート1人で歌われることを知った。以前テレビでクイケンか誰かの指揮でバッハのカンタータをやっていたのを見た時の合唱が4人だけだった。研究の成果か何かは知らないが、僕が好きな合唱特有の響きが失われてしまうこうしたスタイルの演奏がこれから幅を効かせてきたらイヤだな、とその時思っていただけに、今回の合唱のことを知って正直ガックリきた。このことを最初から知っていたらチケットは買わなかったと思う。
しかし実際の演奏に接してみての感想は… まずゆったりしたテンポで宙を漂うようにうねりながら進むオーケストラの柔らかな前奏でひきつけられ、続いて発せられた合唱の「Herr!(主よ)」の一声を聴いて合唱への不安が吹き飛んだ。畏怖の入り混じった高らかな叫びがホールに響き渡る。
この合唱、1パート1人ではなく合唱要員の4人にソリスト達も加わって各パート2名による8名という編成。少人数による研ぎ澄まされた響きと、豊かで温かい響きは合唱としての魅力の両面を持つ。曲によっては8名のトゥッティと四重唱とを「会衆の叫び」と「内面の声」の対比などで巧みに使い分ける。
深く落ち着いたオーケストラの響きも素晴らしい。一人一人がお互いの音を聞きあって最も美しい響きを作る。響きの上に自然に響きが乗って共鳴し合っている。これは合唱にもいえる。各プレイヤーはみんな超一流のソリストでもある。深く温かなオブリガートヴァイオリン、「Es ist vollbracht!(成就した)」では成し遂げた偉業を哀悼の熱い涙と共に讃えるガンバ、雅やかな淡い光が降り注ぐようなオーボエ…
歌のソリスト達も、柔らかな美声で丁寧に聖書の物語りを語り聞かせたテュルクのエヴァンゲリストをはじめ、それぞれ大変な力量の持ち主が集まっているが、いわゆる一身に注目を集めるような花形歌手というタイプではない。しかし、この「ヨハネ」の演奏を聴いていると、そんな一人の花形歌手の存在は反ってそぐわないような気がしてきた。それは、一人や二人の超名人にスポットが当たるオペラの舞台とは違う、「個人」を超越した神聖な儀式に居合わせているような感覚。
実際、フェルトホーフェンの指揮で繰り広げられる「ヨハネ」の世界は、目立った演奏上のパフォーマンスや効果とは無縁の、純粋な信仰告白のように聞こえてくる。
空に突き抜けるような教会の尖塔、ステンドグラスから降り注ぐまばゆい光、大オルガンの響き… 教会のこうした「装置」は神を崇め、賛美するための「証し」という意味以上に、一般会衆に神の威光を知らしめ、信仰心を高めるために用意された道具であることを考えれば、そこで響いたバッハの音楽も、こうした会衆の信仰心を高めるために教会から求められ、バッハもそれに応えるべく作曲されたはずだ。
「ヨハネ」の持つ臨場感溢れる劇的な効果は、バッハ自身の信仰告白であると同時に会衆にわかりやすく受難劇を伝えるという意図もあったはずで、演奏によってはそうした「表面的な効果」を強調した劇的な演奏で効果を上げることも可能なわけだが、フェルトホーフェンの「ヨハネ」は、ただただ純粋で永続的な信仰心へと誘ってくる。超一流の演奏家がうわべの効果や虚飾を廃し、ルターの宗教改革の原点に立ち戻ったような姿勢で演奏に身を捧げたとき、どれほどの力をもたらすかということを立証した演奏ではないだろうか。
この長い受難の物語を閉じる終曲のコラールで純粋に高揚した賛美の合唱を聴いていたら、クリスチャンでもない僕がこの敬虔な会衆(合唱)の中に加わって心の中で一緒に神様を讃えているように感じた。音楽がもたらす真の感動を味わった今夜の「ヨハネ」、聴きに来て本当に良かった。
はじめまして。たかといいます。
フェルトホーヴェンさん来日していたのですね。しかも曲はヨハネの初稿! う~ん残念...(T T)
うらやましいです。今日テレビ放送があるようですね。楽しみです。
トラックバックさせてください。
でもBCJのロ短調とヨハネは本当に素晴らしい演奏でした。ヨハネは記事に書いています。これもトラックバックさせて頂きますので読んでみて下さいますか。
貴サイト、拝見いたしました。ヨハネの様々な版のことなどに詳しいたかさんならご存知かもしれませんが、あのマタイのコラールをバッハは「少年合唱」と指定しているのでしょうか。
よろしかったら昨日のマタイの私の感想も読んでみて下さい。