Club  Atletico  Pistachos ぴすたちお  フッサル!  

いつかは競技フットサルに足を踏み入れたい、そんな人たちです。

ようやく〝怒り〟を見てきました。

2016-10-15 16:26:36 | 日々の活動

ずーっと見たかったこの怒りという映画、なかなか素晴らしい出来上がりでした。

基本的にはリンゼイアンホーカーさん殺害事件の容疑者、市橋容疑者をベースに描かれていると思いました。

監督の考える日本中で起こっている理不尽な事件をベースにつなぎ合わせ、理不尽さに対する怒りの処方箋は、やはり、純真さ、信じること、そしてユナイトすること。

というメッセージを受けると感じでした。

1955年の由美子ちゃん事件を思い出させる沖縄を取り巻く理不尽が描写されていました。

異常な暴力でした。10歳に満たない女の子を繰り返し強姦し、性〇を切り裂き、ご遺体をごみ箱にすてるという日本と沖縄にとってこれ以上の屈辱はない、事件。

沖縄返還後も在日米軍による少女のレイプ事件はいまだに収まることなく、ついに最近ではアメリカの軍属による女性の強姦致死にまで至っています。

なにも変わっていない。相当数の泣き寝入りもあることは予想できます。

作中では基地返還運動にかかわる父親を〝あんなことやってなにかかわるのかな〟と自嘲気味に話す沖縄の男の子が出てまいります。

彼にそういうセリフを思わせ、広瀬すずが米兵に犯されるのを助けに飛び出すこともできない状況を作っているのは本土の人間なのでしょう。

ただし、中学生のときより成長した私は、わたしのようにやんちゃな環境で育った人間だったら、I am Okinawa police officer . Freeze Mother F.

と叫んでつっこみたくなる映像でした。しかしあそこでいけないその空気こそが問題。

私としては歌舞伎町で働いていた宮崎あおいに感情移入。少し知的障害のある女の子やくを熱演されておりました。

演出家の方はかなり風俗に通じていらっしゃるように思えました。

この物語を救ったのは、彼女の純真さ、信じる心だったと思います。

妻夫木聡演じるゲイのセレプもパートナーを信じ切ることができずに大事なものを失います。

このへんが今の中間層を映し出しているように思えます。

目の前で触れれるものを信じて、だまされたらまあしょうがないね、それよりも短いけれど素晴らしい時間を共有できた、ありがとうという寛容の心を失って、結局なにも得ることができない人を映し出しておりました。

自分の価値観の中でしか相手を図れないのはりかいできますが、もしかしたら他人は私と違う考えをもっているかもしれない、という想像力にかける中間層。

 

沖縄のデモが果たして意味がないのか、私はそう思いません。

何も変えられないと思いません。

新潟も福島も、広島も長崎も東北もつながってると思うのです。

Uniteするために、意思を表明することは非常に有意義なことだと思います。

自由に発言できて、自由に表現できる、反対意見も堂々と述べれるそれが民主的な国だと思うし、それは続けていないとすぐに為政者にいいように押されてしまうから。

 

しかしリンゼイさん事件の市橋容疑者ですが、私はどうしてもあの男にあっているように思えるのです。

かなり背の高いそっくりの男と上野駅ですれ違っているわけです。

あの当時。歩いて20秒ほどして思い出したわけですが、違っていたとしても、追うだけはするべきだったかと思います。

彼は確かに上野をまわって秋葉原にいどうしたといいます。それを知ったのは最近です。

東大病院のトイレでみずからの顔を変えたとも供述。かなり近くにいたことになります。

普段の生活の中でも注意が必要だと思います。

 

まったく怒りは重たい映画に思えませんでした。今の日本の日常の風景をきりとったものにみえていました。けっしてよい日常ではありません。

変えなくてはいけない日常。それは個々人の心の中に答えはあるように思えます。

 

 


逆ねじがかかっているのを前に進めるのに3年かかりました

2016-10-15 09:33:44 | 日々の活動

 

珍しくちょっと仕事の話でも。

今の部署に異動して3年半経過しましたが、当初から違和感を覚えていたものを是正することがようやく3年かかってできました。

個々人の業務が担当業務種別の担当だったものをプロジェクト、品目担当ごとにすることができました。

これで一つのマイルストーンを達成したわけです。

最近は今年に入って後輩たちも海外にぞくぞくと赴任しておりますが、私はスーパードメスティック。

足元を固めることに喜びを感じるタイプ。会社を辞めてしまう人もおりますが、もう私にはじかんもありません。

外から会社を変えることはできませんが、中からだったらかえられると信じております。

今まで何度も転職しておりますから。過去の会社では裁判沙汰や暴力沙汰もありましたし。

それに比較すればまだまだ甘い甘い。まだかえられる余地は残しています。

暗いと不平をいうよりも、進んで明かりをともしましょう。ということですね。私はクリスチャンではありませんが。

小さな明かりが少しづつ広がっていく作業を進めたいと思います。

1年前に自分のグループの業務を、すべて細かいところまで洗い出して一覧表にする作業もおこなっておりました。

これもようやく最近日の目をみました。

この業務担当票の中には、私のちいさな年賀状の印刷、投函という業務まで網羅してあります。どんなに年をとっても基本的なことはやる、という方針です。

こういう作業もやらないと若い人に何を言っても説得力がありません。

グループ全員の細かな作業まで網羅した一覧です。

これを上部がほしいといいだしました。

簡単に言うと部の業務の棚卸をする時期にあたったようです。部員が何を毎日のルーチンとしているのか、知る必要がでてきたわけです。

そこで1年前に私がつくっていたものがちょうどはまったということでしょう。

これは素直にうれしいかんじ。

部長の前でも一時間、私のやってきたことをプレゼンする機会に恵まれましたし。

 

そして、いよいよ開発部全体のあるべき姿を検討する機会が今年最後にやってくることになりました。

こういうのやるためにいままで蓄積してきたようなものです。苦しくても会社を辞めなかったもう一つの意義でもあります。

これに関してはさっそくアジア開発担当のマネージャーともこの件に関してちょこちょこやり取りができました。

このひともこの件に関し、やる気を感じられます。いいことです。

なんだかいままで積み上げてきたものを放出する機会に恵まれてきました。

そしてありがたいお話ですが、こんかい昇格試験の候補からは正式に辞退させていただいております。

今更、組織に飲み込まれて何も言えなくなっても今の会社で私の存在価値はありません。

強力な野党として存在したほうが私の残り時間や組織に与えるインパクトを考えたときに価値がある、と判断しました。

今更すぎます。どんだけやってきたと思っているんでしょうか。

本来は、うちの会社を40台前半でやめて、いままでやってきたような小さな外資の部長で終わるキャリアプランを

描いておりましたが、このプランはすでに10年前に破たんしております。

前の会社でもMRを大量に買収で獲得したため支店を作っていく過程で、支店長の話はありましたが、それは私のプランではないため、社長と話し合ってやめてきているわけです。

業務のやり方も私は小さな外資が日本の市場に割り込むことを、ずーっとやってきました。

10年くらい。もともと大きな会社に合わないことは自分が一番知っています

入社当時は何も開発品のない会社でしたが、それでも今となって圧倒的なパイプラインはぴかいちになりました。

正直もっとマキシマイズできるとおもっています。10年以上、頭を押さえつけられている印象です。

なんとか立て付けの悪くなっている現在の状態をいい方向に少しでも変えて、ゴールデンエイジに渡す、ということをやっていきたいと思っています。

ゴールデンエイジはあまりに人格的にも優れている人が多いので、人間的も優しい気質なので攻撃力が弱い面があります。

ある程度、現存のものを壊さないとあたらしい建物は立てることはできません。土地は無限にありません。スクラップアンドビルドがひつようです。

できるだけこわして更地をゴールデンエイジに渡したいところです。

愛ですね。