ずーっと見たかったこの怒りという映画、なかなか素晴らしい出来上がりでした。
基本的にはリンゼイアンホーカーさん殺害事件の容疑者、市橋容疑者をベースに描かれていると思いました。
監督の考える日本中で起こっている理不尽な事件をベースにつなぎ合わせ、理不尽さに対する怒りの処方箋は、やはり、純真さ、信じること、そしてユナイトすること。
というメッセージを受けると感じでした。
1955年の由美子ちゃん事件を思い出させる沖縄を取り巻く理不尽が描写されていました。
異常な暴力でした。10歳に満たない女の子を繰り返し強姦し、性〇を切り裂き、ご遺体をごみ箱にすてるという日本と沖縄にとってこれ以上の屈辱はない、事件。
沖縄返還後も在日米軍による少女のレイプ事件はいまだに収まることなく、ついに最近ではアメリカの軍属による女性の強姦致死にまで至っています。
なにも変わっていない。相当数の泣き寝入りもあることは予想できます。
作中では基地返還運動にかかわる父親を〝あんなことやってなにかかわるのかな〟と自嘲気味に話す沖縄の男の子が出てまいります。
彼にそういうセリフを思わせ、広瀬すずが米兵に犯されるのを助けに飛び出すこともできない状況を作っているのは本土の人間なのでしょう。
ただし、中学生のときより成長した私は、わたしのようにやんちゃな環境で育った人間だったら、I am Okinawa police officer . Freeze Mother F.
と叫んでつっこみたくなる映像でした。しかしあそこでいけないその空気こそが問題。
私としては歌舞伎町で働いていた宮崎あおいに感情移入。少し知的障害のある女の子やくを熱演されておりました。
演出家の方はかなり風俗に通じていらっしゃるように思えました。
この物語を救ったのは、彼女の純真さ、信じる心だったと思います。
妻夫木聡演じるゲイのセレプもパートナーを信じ切ることができずに大事なものを失います。
このへんが今の中間層を映し出しているように思えます。
目の前で触れれるものを信じて、だまされたらまあしょうがないね、それよりも短いけれど素晴らしい時間を共有できた、ありがとうという寛容の心を失って、結局なにも得ることができない人を映し出しておりました。
自分の価値観の中でしか相手を図れないのはりかいできますが、もしかしたら他人は私と違う考えをもっているかもしれない、という想像力にかける中間層。
沖縄のデモが果たして意味がないのか、私はそう思いません。
何も変えられないと思いません。
新潟も福島も、広島も長崎も東北もつながってると思うのです。
Uniteするために、意思を表明することは非常に有意義なことだと思います。
自由に発言できて、自由に表現できる、反対意見も堂々と述べれるそれが民主的な国だと思うし、それは続けていないとすぐに為政者にいいように押されてしまうから。
しかしリンゼイさん事件の市橋容疑者ですが、私はどうしてもあの男にあっているように思えるのです。
かなり背の高いそっくりの男と上野駅ですれ違っているわけです。
あの当時。歩いて20秒ほどして思い出したわけですが、違っていたとしても、追うだけはするべきだったかと思います。
彼は確かに上野をまわって秋葉原にいどうしたといいます。それを知ったのは最近です。
東大病院のトイレでみずからの顔を変えたとも供述。かなり近くにいたことになります。
普段の生活の中でも注意が必要だと思います。
まったく怒りは重たい映画に思えませんでした。今の日本の日常の風景をきりとったものにみえていました。けっしてよい日常ではありません。
変えなくてはいけない日常。それは個々人の心の中に答えはあるように思えます。