彩水のしずくー自分と向き合う

わたしは多発性硬化症です。体の症状などに対する自分の取り組みとその結果、自分と向き合うことで生まれるもの書いて行きます。

選択が運命を決める

2017-10-14 19:19:41 | 日記
今日は、久しぶりにリハビリに行った。
今回のトレーニングはいつもと違うことがあった。
いつも、わたしを担当してくれていたトレーナーさんが退職されたため、別のトレーナーさんになることだった。

だから、今日のトレーニングがどういう場になるか楽しみだった。
変化があるのも悪くはない。

トレーニングはいつもと同じ雰囲気で、やりたいなーって思っていた。
いつもと同じように笑顔で入った。

新しく担当してくれるトレーナーさんとは、今までのトレーニングでも話したことはあった。
でも、触りしか話したことがなかったから、どんな人なのか、どんな話をするのか、どんなトレーニングをするのか、、、

トレーニングが始まった。
今までと同じような流れのトレーニングだった。
でも、やはり担当者が変わるとトレーニングの雰囲気も変わる。
最初に厳しめにやるからねーって脅されて(ふざけてですが)、少し驚いたがやってみると楽しかった。

前のトレーナーさんよりも少し厳しめであったが、その厳しさがわたしの体にいい感じに響いた。

トレーニングにしても何にしても、自分が対する人が変わると、自分の行動というか、自分の雰囲気、感覚が変わる。
目の前の人によって、別の自分になるんだって思った。

ある人とある人、今目の前にいる人とだから作られる空間がある。
対する人によって、変化する自分を感じるのも面白いって思った。
変化はするけど、どの自分も自分なんだって思った。
その人に合わせて気を使っている自分も、ありのままの自分を出してる自分も、全部自分なんだなって思った。

人と人の関わりは、その時、その場で作られていくもの。
その時でなくちゃ、その場でなければ今経験していることは、何も起こらないと感じた。

トレーナーさんとの話は新鮮で面白かった。
話ししていながら、ちゃんと、わたしの歩き方を確認していて、油断するとすぐに注意が入るから、気を抜けなかった。
ほどよい緊張感だった。

話題には、わたしが興味あるようなことを話していた。
今っていう時間、空間は、自分で選んでいること。
ドラえもんに出てくる、どこでもドアは、理論が通っていないという話をしてくれた。

今っていう時間は、今の自分が選んだ1つの世界なんだから、どこでもドアで過去や未来に行って、またその時今と感じていた現実に戻ることは不可能に近い。

どこでもドアで移動する前と後の今という時間は異なっているのであり、また同じ空間、環境を選ぶ確率は低い。

今っていう時間は、自分が認知している今という時間以外の今という環境もあって、人間はただ、自分がいる今を選んだだけ。

だから、自分の意識(無意識)によって選択された空間。
その選択に責任を持つか否か、

こんな話だった。
とても興味深かった。
自分の意意識によって、今の自分、他者、空間、ましてや世界情勢が成り立っているってこと。

今起こっていることは自分で選んだ現実なんだ。
そのことを自分に落とし込んでみて今を感じてみた。
もしも本当に、自分で選択した今なのだとしたら、それによって右往左往する感情も、他者のこともまずは受け入れたいと思った。

その上で、自分は次にやってくる今をどう選択するか、そして、どう捉えるか、決めるのも自分なんだ。

トレーニングをしていると意識から変わるということが身にしみてわかる。
歩こうという思いがなければ、歩けない。
これと同様、どんなことでもそうだと思う。
変わろうとしなければ、何も変わらない。
変わりたいという思いから、行動に変わって、それによって、現実も変わっていく。
意識→行動→変化

でも、それ以前に行動しないと変わらないと思っている固定観念を外すと、意識→変化になるかもしれない。

どちらにしても、人間というか、この現実は意識によって成り立っていて、意識によってどうにでも変えられるような気がした。

今言えることは、意識によって、自分の世界観は必ず変わるということだ。
自分の世界観によって、自分は今という時間を捉えているのだから、意識を変えたら、人生の色が変わる。

真っ暗に思えるある現実も、自分の捉え方一つで全てが変わるものだ。

どの人も捉え方が違うのだから、この世にいる人の分、認知世界の多様性がある。

わたしは、どういう世界を選んでいくのか。
こうやって考えると、人生を冒険しているみたいに感じる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿