彩水のしずくー自分と向き合う

わたしは多発性硬化症です。体の症状などに対する自分の取り組みとその結果、自分と向き合うことで生まれるもの書いて行きます。

究極の1日

2017-11-30 15:44:49 | 日記
「究極の1日」を描いてみようと思う。

究極の1日とは、自分が過ごしたい満足、納得できる1日だ。

過去に一度作ったことがある。
でも、あの時と今、考える究極の1日は全然違うものだと思う。

来年の計画を立てるにあたって、それ以前に人生の目標を決めるために、まず究極の1日をイメージする。
そして、その1日をいつまでに実現したいのか考える。
そうすると、計画が立って、今やること、目標達成のためにやりたいことが出てくる。

考え込まずに素直に自分が過ごしたい1日を、イメージしてみようと思う。
そして、そのために何ができるのか思考整理していきたい。

究極の1日を作ると、その究極の1日が前提条件にあって、今の自分がいることになる。
思考と現実が一致する感じだと思う。
やりたいことを決めてるのとないのでは、全然異なる時間の過ごし方になる。
未来にやりたいことが、前提条件になって、今を過ごす感じだと思う。

例えばわたしの場合、本を書きたいという夢がある。
これは未来の話だけど、今現在、将来本を書くわたしがブログを書いている感覚になる。

やってみなければ何が起こるかわからない。
やらずに意味がないと決めつけるのは、前に進まないこと。
まずは、行動して、自分の経験から学ぶことがある。

だから描いてみようと思っている。
今日中に描いてみる。

卒園生の会

2017-11-29 19:14:56 | 日記
先日、幼稚園の卒園生の集まり会の誘いを受けた。

この連絡を受けた時、わたしは

幼稚園の友達?何人覚えてるのかな〜、何しているのかなって思った。

友達が今何をしているか興味はあったけど、会うって考えると躊躇する自分がいた。

わたしが病気になったこと、歩行困難なことを知っているのかな

自分を受け入れてもらえるのか、友達の話、話題についていけか怖くなる。

だから最初は行く意味もないと思って、断ろうと思っていた。

申し込みは明日までだから、ギリギリまで悩んで、今日出た答えがあった。

それは行くってこと。

卒園生の会のことを考える中で、その機会を使ってみたいという思いが出てきた。

卒園生が集まるってことは、何年か離れていた友達と会うっていうこと。

何をしているかわからない人と会って、自分が想像をしていないような人生の歩み方を知る機会になると思った。

人によって人生は違うのだから、久しぶりに友達に会うことで、自分を広げられるような気がした。

そして、いろんな友達と話すことで、たくさんの友達の今までの人生と、これからの人生の目標など聞いて、いろんな価値観を聞いて価値観が広がると思った。

また、13年ほど前に幼稚園で創っていた空間と、同じメンバーで今作り上げる空間とどう変化しているのか、見てみたい。
小さい時に作り上げていた空間と、卒園後の空間は全く異なったものになるはずた。

そして自分の価値観がどれだけ変化しているか、みる機会になると思った。

自分を発信することで、何かに気づいてくれる友達がいるかもしれないし、価値観が合う友達が出てくるかもしれない。

初めて会うような感覚だけど、過去につながっていた人と再び繋がり合う場に感じた。
今の自分を通して、過去の自分も未来の自分も出しあって、時間を超えたキャッチボールをしあうことができると思った。

そんなことを考えていたら、なんだか卒園生の会に行ってみたくなった。
いろんな発見をする場にしたいと思った。
どんな学びがあるか、楽しみだ。


目標、計画を持って、有限な命を生きていく

2017-11-28 16:20:54 | 日記


今日は11月28日
もうそろそろ年末になる。
年明けまであと1ヶ月。
なので、わたしはあと1ヶ月の目標を決めようとしている。

時間はどんどん過ぎて行くもので、また今度と後回しにしていると、有限な人生が終わってしまうと思う。
有限な人生なのだから、有限な計画、目標を持つことは大切。

なので、少しずつ残りの1ヶ月でやりたいこと、来年にやりたいこと、目標を考えている。

あと1ヶ月でやりたいことは、来年の目標を立てることだ。そして、来年の1月に自分が変わると決めて、変わるためにできることをしたい。

来年の目標は、成人になるから大人としての大きい一歩を踏み出すこと。
10年計画を立ててみたいと思っている。また、本を書きたいと思う。あとは、新しいことを学び始めたり、いろんな人と関わったり、経験を増やして、自分を広げていこうと思う。

ブログももっとたくさんの人に読んでもらいたい。
自分にしか語れない世界を提示すること。

そして、人と関わる時に、相手と本気で向かい合う覚悟をする。
人の鏡となって、本当の人間関係を作っていきたいと思う。
あと、自分に対してもいい加減にならないようにしていきたい。

とにかく、自分として生きて、いろんな事やって、いろんな経験して生きたい。
今月中に、ちゃんとした目標を立こうと思う。

自分の命の時間、人生は有限である。
だから有限な計画を立て、納得した時間を過ごしていきたい。
有限なこの世の全てのものと本気で向き合っていきたい。




根源への道

2017-11-26 18:44:16 | 日記
最近、文章を書いている。
父の患者さんからある原稿の依頼を受けた。
わたしのブログを読んで、書いてと依頼してくれた。
嬉しかった。

何を書こうかなー

そう思っていて、感じたことは、発病時と、今回の症状悪化から学んだことだった。

それで、書き始めた。
今書き途中で、一文字一文字、書いている。
自分が言いたいことを、文字として表していく。
それは、自分の経験を、そして、自分が感じたことを考えずに、本当の自分を書き出す感じだ。

そうやって書きたいことを決めて、整理して、文章で伝えていく。

その中でひとつ、戸惑ったことがあった。3分の2ほど書き終えた頃に感じたことだ。
わたしが伝えようとしていることって、どっかで聞いたことがあることだなぁ…
あっ、父が言っていることと被っている部分がある…
って思った。

わたしは自分の体験から、自分にしか言えないことがあると思って、書いていた。
なのに、書いていったら、父と同じようなこと言っていた。
わたしが病気から学んだこと、感じたこと、書きたいことをたどっていくと、父が言っていることと同じになる。

なんだか、自分が得たことなのに、父の真似をしていると勘違いされるような気がした。

どうしようって思った。
書く内容を変えようか悩んだ。

でも、わたしは病気から学んだことを、当事者として言えることがあると思った。
本当に自分が言いたいことなのだから、書く内容を変更したくなかった。

どうしようどうしようって思いながら、とても不思議な感じがした。

わたしが言いたいあることは、父から教えてもらってたどり着いたものではなく、自分で感じてたどり着いたもの。
その病気から感じたこと、得たことが、なぜか父と同じとこにたどり着いていた。

これは、わたしの病気という同じとこから、同じような考え方に行くことだけでない。

全然関係ない人と、全然関係ない経験をしていたとしても、自分の経験から同じところにたどり着くと思う。

人間はいつかは同じところにたどり着くのではないか?
自分の人生の道は自分にしか辿れないもの。
人それぞれの道から、一つの根源にたどり着く。

わたしはわたしが感じたことを素直に述べること。
自分にしか経験できない道を、辿り、それを文章としてでも、色々な方法で示すこと。
それが、大切だと思う。


心についての備忘録

2017-11-24 15:30:14 | 日記
今日はわたしの備忘録。
心について記したもの。

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心は意識を向けたいろんなところに、どこにでも宿るものだ。
心臓のあたりにあるのではない。

目をつぶって意識をあるところに向けると、そこに心が宿り、暖かいもの、ひとつのカタチが成り立つ。

外からは何もしていないように見えても、その人の中では、自分に意識を向ける、心を使う時間だったりする。
何もしていない時間、無駄な時間は意識がある限り存在しない。
人が何もしていない時間はない。