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キリストの顔?

パリのルーブル美術館を訪れた時のことである。ルーブルのコレクションにはダヴィンチの最後の晩餐を初めとしてイエス・キリストを描いた宗教画が多い。それらの作品を一つ一つ丹念に見ていくうちにあることに気がついた。

それはイエスの顔が白人種の顔なのである。旧約聖書によればノアからセム(黄色人種)、ハム(黒人種)、ヤベテ(白人種)に別れたことになっている。ユダヤ民族の祖アブラハムはセム族の末裔である。そしてイエスはアブラハムの子、ユダの末裔でユダ族の出身である。回りくどい言い方になったが、一言で言えばイエスは白人ではなく、黄色人種だったということである。

宗教絵画だけでなく、イエスの生涯を扱った映画は多い。ハリウッド映画であるから、当然白人俳優がイエスを演じることになる。絵画や映画のイメージの刷り込みは恐ろしい。イエスが白人であったというイメージを持つのは日本人だけではない。キリストがより身近な存在である欧米人にとって、その思い込みは日本人以上であるようだ。

20001年にイギリスBBCテレビは『神の子』という科学ドキュメンタリー番組を放送した。記事の冒頭にも Why do we think Christ was white?(何故私達はキリストが白人だと思うのか?)と見出しがある。

●BBC記事
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/1244037.stm

番組の内容はイエスの実像を科学的・考古学的見地から解明しようというものであった。この番組の目玉は「イエスの顔」の復元であった。復元にはマンチェスター大学法医学教室が、エルサレムで大量に発見された紀元1世紀のユダヤ人の人骨から、当時の典型的なユダヤ人男性の頭蓋骨を選んで、復元したものである。髪や肌の色や質感は、西暦3世紀に「ユダヤ教寺院」で描かれたフレスコ画に残るユダヤ人男性の姿を参考にしたという。

それが下の写真である。正確に言えばイエスの顔というよりは当時の平均的なユダヤ人の顔ということになる。ともあれイエスは白人ではなく褐色の肌を持つアジア人であったということは間違いの無い歴史上の事実である。


コメント一覧

マサダ
間違い指摘ですが
黄色人種とはモンゴロイド、つまり日本人、モンゴル人、中国人などを指すのであって、アラブ人やイラン人やインドアーリア人など西アジア人は含みませんよ。

まあ、色の浅黒いアラブ人のような西アジア人を三大人種論で分類すると「白人(コーカソイド)」に一応、分類されてます。
人種論が古い」って言うんなら、そもそも「白色か黄色か」みたいな理屈にはならない筈です。

このサイトにも掲載されているアラブ人ふうのイエスの写真ですが、全然、モンゴロイド(日本人、中国人、朝鮮人、モンゴル人)に似てないことからもわかりますよね。

「イエスは黄色民族」ではなく「イエスは有色民族だった」が正解です。
sao
フォトンさん
丁寧かつ判りやすい返答ありがとうございました。

多いに納得できました。

これからも楽しみにしています!
フォトン
難しい質問ですね。
実は私もsaoさんと同じ疑問を長年抱いてきました。
最近僅かながら理解できたことは次のような事です。

世界の宗教が説く人格神的な唯一神は存在しないと思います。しかし宇宙を創生し、完全ともいえる緻密さで宇宙(大自然)を動かしている摂理は存在していると考えています。いうならばこれが唯一絶対の神というものかもしれません。

過去ログでも幾たび紹介しておりますが、宗教は人類を一種の無知状態にし、人間の持つ大きな能力を自ら過小評価させて、人類の支配に都合の良い、コントロールする為の道具として利用されてきた経緯があります。

その証拠に、宗教は未だに人間の苦悩や争いを解決することは出来ません。むしろ紛争の原因にさえなっています。釈迦やキリストはかなりの宇宙の真実を説いてはいますが、宗教が教団化することによって真実が曲げられてきているわけです。saoさんが言われるとおり『神は人間による人間の為のもの』に成り下がっているのです。

ただ私達をサポートする霊の存在は有るようです。肉体を脱ぎ捨てた霊は、生身の人間から見れば驚くべき能力を発揮できます。(私達も本質は霊魂ですから本来同じ能力を持っているのですが)

私達をサポートする霊は守護霊(多くは過去世の自分)や類魂(魂の同一系譜)に由来する霊。血族的な関係での霊(肉親やご先祖)。それらの霊を指導統率する霊と階層社会になっているようです。さらに各民族をサポートする霊などが存在するようです。それらの霊の中で上級霊になればなるほど、一般の霊よりもさらに優れた能力があります。

この世の私達から、これらの上級霊や高級霊を見れば、その能力は神仏に等しく、私達は神仏と呼んでいるのかもしれません。

私達が困った時に助けてくださいと神仏に祈りますが、祈りが通じる時というのはあなた自身に関連した
霊や上級霊や高級霊のサポートがある場合も有るでしょうが、その多くは自分自身の努力の結果ではないかと考えています。

人間は現実を作り出す能力を本来持っています。その能力を発揮する時、守護する霊たちもはじめてサポートが出来るようです。あくまでもサポートであってヘルプではありません。自ら何もせず、只神仏に祈る者には霊達がサポート出来ないのが霊界のルールようなのです。「天は自ら助くる者を助く」という諺は正にこのことなのでしょう。

特定の宗教に傾倒するあまり、身を持ち崩す人や、いつまで経っても精神的に幸せになれない人を多く見かけますが、これは極端な神仏依存症が原因だろうと思います。この宇宙は完璧な自助努力、自己責任の世界であって、神仏に何でも依存する他力本願ではだめなようです。

剣聖、宮本武蔵の言葉に「神仏を尊べど神仏を頼まず」というものがありますが、人間の神仏に対する正しいスタンスを見事に言い当てているような気がします。

一神教が説く神の正体は何かも近々にブログでご紹介する予定です。
sao
補足です。
八百万の神様や、物に宿った魂が長い年月を経て神様と呼ばれるような存在は信じているのですが、

絶対神や唯一神といったとにかく神格化されていて不確かな存在の存在が、理解できないのです。

わけわからなくてすいません。
sao
なるほど。
そういえば、キリストのイメージは白人かも…。

私は、「神様」の存在を感じていないので、宗教毎の唯一神の存在、そしてそのうえで起こる争いの意義がわかりません。

物や生物には、魂が宿っているのかなとは思いますが、

困った時に、助けてください!と頼む神様、それぞれの宗教の神様は存在するのでしょうか?

一番怖いのは人間の心であり、「神様」も人間による人間の為のものなのでは?と思っていますが…。

フォトンさんは、神様はいると思いますか?

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