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日本とフリーメーソン④ 「アジアの先兵 昭和戦前篇」

■ 日中戦争とフリーメーソン
大国ロシアに局地戦で奇跡的な勝利をおさめましたが、依然としてロシアは大きな驚異でした。ロシアの脅威に備えるために、日本は朝鮮併合を行い満州を足がかりとして中国進出を狙いました。日本の満州進出政策は中国における様々な利権獲得を目論んでいたソビエト、米、英を刺激し各国は日本と対峙しました。

1936年モスクワで開催されたコミンテルン第7回世界大会において「反ファッショ人民戦線戦術を開始し、日米間の紛争を激化すべし」との決議がなされ、同年、蒋介石が誘拐される西安事件が起こりました。これを契機に内戦状態にあった中国の蒋介石、張学良、周恩来等の抗日勢力がひとつにまとまり、翌37年の北支事変を契機に本格的な日中戦争へと戦火が拡大していきます。実は蒋介石、張学良、周恩来はフリーメーソンであったといわれています。日中戦争は日本バッシングと欧米諸国の中国介入への絶好の口実にされました。謀略で相手を戦争に追い込む。自らは手を下すことなく、相手の自滅を待って漁夫の利を得る。これがユダヤ勢力の常套手段なのです。

■ABCD包囲網
やがて日本に対するアメリカ、イギリス、中国、オランダ各国による軍事物資、石油、ゴムなどの対日禁輸の経済封鎖(ABCD包囲網)が行われます。窮地に追い込まれた日本は大東亜共栄圏構想を打ち出し、石油、ゴム資源を求めて、インドシナ進出を図りました。この時アメリカが突きつけた最後通牒は北部インドシナからの即時撤退でした。それは日本の生命線を絶つ、まったく逃げ場の無い条件であったのです。追い詰められた日本は真珠湾攻撃という日米開戦のシナリオを選択しなければならなくなるのです。ABCD包囲網とはまさにフリーメーソン包囲網でもあったのです。

■アメリカの逡巡
当時ヨーロッパではすでに戦争下にありました。アメリカではヨーロッパ戦線への参戦が大きな課題でありましたが、政府は傍観する立場をとっていました。イギリスやフランスはアメリカの参戦を度々要請しました。しかしながら戦火はアメリカ国民にとって遠いヨーロッパでの出来事であり、世界恐慌の後遺症から癒えたばかりでしたので、参戦反対の世論が主流を占めていました。民主国家が建前であるアメリカにとって、民意なしに政府の独断で参戦する訳にはいかなかったのです。

■仕組まれた真珠湾攻撃
真珠湾攻撃は旧日本軍の国際法を無視した卑劣な奇襲作戦であったとされていますが、当時の様々な調査によれば日本の軍部や外務省は戦線布告が遅れることは国際法違反になることを恐れ、かなりの神経を使ったことが判明しています。またアメリカはすでに日米開戦を想定し、対日戦要員として選抜した優秀な人材に日本語や日本文化などの教育を行うばかりでなく、日本軍の暗号解読にも成功していました。真珠湾攻撃の情報も事前に察知していたことも事実です。

史実では真珠湾攻撃は日本軍の大勝利ということになっています・・・
しかし本来の真珠湾攻撃の主たる攻撃目標であった、アメリカ太平洋艦隊の主力空母は何故か、いつのまにか湾外に出ていて、残っていたのは廃棄寸前の時代遅れの戦艦ばかりでした。当時の海上戦闘における常識は、戦艦の搭載する主砲の火力を最大の攻撃力とする大艦巨砲主義に代わって、航空母艦と艦載機による航空戦力が主力になるという考え方に代わっていました。老朽化した戦艦はもはや鉄くずの価値しか無かったのです。

開戦前のこんな話があります。日本の動きを察知していたアメリカ海軍上層部はハワイの海軍基地司令官に対し、アメリカ太平洋艦隊の主力をパールハーバーに集結させるように命令を出しました。アメリカ太平洋艦隊は日本軍をおびき寄せるための囮であったのです。もちろんそのことは司令官には伝えられませんでした。賢明な基地司令官はその命令に反対しました。ヨーロッパの戦況が激しくなる中、何が起こるかわからない時期に、虎の子の航空機動部隊を真珠湾に集結させるのは危険であると考えたのです。狭い湾内では空からの攻撃を受けた場合、逃げる場所が無い。また水深が浅い湾内で艦船が沈没すれば、味方の艦船の航行に支障を来たすことになるからです。上層部の命令にそむいた基地司令官は即座に解任され、外地への赴任命令が下されました。

日本海軍は真珠湾を叩けば1年もしくはそれ以上、アメリカ太平洋艦隊を無力化できると考えていました。この作戦を考案・指揮した連合艦隊司令長官「山本五十六」でした。「山本五十六」と、「言葉は不適当と思うが原爆やソ連の参戦は天佑だった」と発言して非難を浴びた海軍大臣「米内光政」もフリーメーソンであったとの説があります。

山本の予想に反して、真珠湾で大打撃を受けたはずのアメリカ太平洋艦隊は、1年どころか数ヵ月後に陣容を立て直し、猛烈な反撃に打って出るのです。真珠湾攻撃は日米フリーメーソンによる壮大なマッチポンプ・スペクタルだった可能性もあるのです。

真珠湾攻撃はアメリカ側に2500名の戦死者を出しました。何も知らない自国民のと尊い命を犠牲にして戦争への大義名分を作り出す方法は、2001年の911事件でも実行されました。

■アメリカついに参戦
真珠湾攻撃は日本軍の卑劣な奇襲としてセンセーショナルにマスコミで報道されました。そしてアメリカ国内では「リメンバー パールハーバー」のスローガンの下にアメリカ国民の間に猛烈なナショナリズムと参戦論がわき、アメリカ議会において参戦賛成数百票に対し参戦反対1票で可決されるたのです。

■第二次世界大戦を指揮したメーソン達
日米開戦から終戦直前までを指揮したアメリカ大統領は「ルーズベルト」でした。終戦調停に奔走する日本政府に無理難題のポツダム宣言を突きつけ、返事に窮した日本に有無を言わさず原子爆弾投下を決断した大統領は「トルーマン」でした。ヨーロッパ戦線を指揮したイギリス首相は「チャーチル」です。3人の共通点は共に有力なフリーメーソンであったという点です。そしてソビエトの「スターリン」は生涯三度の結婚をしましたが、夫人は三人ともユダヤ人であったそうです・・・

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