紅山雪夫著「添乗員ヒミツの参考書―魅惑のスペイン (新潮文庫)」から、スペイン史の概略を記録しておく。
50万年前 旧石器時代前期 すでに人類が住んでいた。
5万年前 旧石器時代後期 クロマニョン人が入ってきて、アルタミラ洞窟の壁画などの文化遺産を残した。
1万年前 新石器時代 イベリア人が入ってきた。もとからの住民の大部分はイベリア人に同化されたが、一部は山間僻地に住んで独自性を保ち続けた。バスク人はその子孫ではないかと考えられている。
紀元前1000年~前400年 ケルト人がピレネー山脈を越えて入ってくる。
イベリア半島の北部と西部:ケルト人、中央部:ケルト人とイベリア人の混血、東部と南部:イベリア人
ケルト人と相前後して、地中海の二大航海民族だったフェニキア人とギリシャ人もやってきた。フェニキアはその後カルタゴとなる。
前264年 第一次ポエニ戦争(ローマ対カルタゴ)ローマが勝利し、西地中海の制海権を取得
カルタゴの将軍ハミルカルが、息子のハンニバルをつれてスペインに渡り、イベリア半島の内陸部まで領土を拡大し、経済的基盤を確立。
前219年 第二次ポエニ戦争 ハンニバルがアルプスを越えてローマに攻め込む。
前201年 ローマがスキピオの働きで完全勝利し、スペインも手に入れる。
前19年 アウグストゥスの時代にローマがイベリア半島すべてを支配下におさめる。
ローマの支配が続いた600年間に、今日のスペイン文化の根幹ができた。カスティーヤ語、カタルーニャ語、ガリシア語などはすべてラテン語の口語から変化してできた。
4世紀末 ゲルマン人の大移動開始
最初にイベリア半島に入ってきたゲルマン人はヴァンダル人。アンダルシーアの地名として残っている。
西ゴート族は、イタリア、ガリア南部、イベリア半島にかけて王国を築いた。
507年、西ゴート族はフランクとの戦いに敗れ、以後はもっぱらイベリア半島で国造りに力を入れる。首都は最終的にトレド。
710年 イスラムの軍勢が北アフリカを西進していた頃、西ゴート王国では王位争いが起こり、王の反対勢力がイスラム勢力をそそのかしてイベリア半島に侵入させた。
イスラム勢は破竹の勢いで進撃を続け、2年でイベリア半島の大半を制圧した。
西ゴート勢力は、イベリア半島北辺の山岳地帯でやっとイスラム勢の進撃を食い止めた。
イスラム圏では、ウマイヤ家がカリフを世襲し、ダマスカスを首都に置いていた(ウマイヤ朝)。750年にアッバース家がウマイヤ家の一族男子を(1名を残して)ことごとく殺害し、アッパース朝を起こした。
生き残ったウマイヤ家のアフマンは、756年にアンダルスにたどり着き、コルドバで政権を確立した(後ウマイヤ朝)(その後、西カリフ国)。
それから11世紀のはじめまで、アンダルスの全盛時代が続く。10世紀のコルドバは、ビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルに次ぐ賑わいを見せていた。
11世紀末 後ウマイヤ朝が衰退し、群小の王国に分裂した。
《レコンキスタ》
722年 キリスト教徒ははじめて、コバドンガの戦いでイスラム教徒側に対して勝利をおさめた。
10世紀ごろ ドゥエロ川まで進む。
11~12世紀 タホ川の線まで進む。
13世紀 グアダルキビール川のかなたまで領土を拡大。
1493年 ナスル朝のグラナダ王国が滅亡し、レコンキスタ(再征服)が完了した。
当時のイベリア半島は、
東部:アラゴン王国、中央部:カスティーヤ王国、北東部:ナバラ王国、西武:ポルトガル王国
に分かれていた。
アラゴンのフェルナンド王とカスティーヤのイザベル女王が結婚し、1512年にはフェルナンド王がナバラ王を兼ねた。
次のファーナ女王は、ポルトガルを除くイベリア半島の全域(エスパーニャ)の支配者となった。
ファーナはハプスブルク家の跡取り息子であるフィリップと結婚。その後ファーナは精神に異常を来し、狂女ファーナと呼ばれる。
ファーナとフィリップの息子カルロス一世は、実質スペイン王となり、父からハプスブルク家を受け継いだ。
カルロス一世の祖母にあたるイザベル女王の英断でコロンブスの提案を受け入れたことから、スペインは新大陸で広大な植民地を獲得し、多くの財宝が本国にもたらされた。しかしカルロス一世は、得られた財宝を、ドイツでの宗教改革に対する対策、イタリアの覇権をめぐるフランスとの戦争、オスマントルコ対応に消費し、スペインのためには使われなかった。
フェリペ二世は、父カルロス一世からスペイン、母(ポルトガル女王)からポルトガルを受け継ぎ、スペイン王とポルトガル王を兼ねた。しかし、ドイツでの宗教戦争、フランスとの抗争などで国力を消費した。総力を挙げて編成した無敵艦隊が全滅した。
1700年 カルロス二世が跡取りを残さないで死に、フランスのルイ14世の孫でスペイン王家の血を引くフィリップ(ブルボン家)が遺言によって王位についた。
現国王フアン・カルロス一世はブルボン家の子孫である。
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50万年前 旧石器時代前期 すでに人類が住んでいた。
5万年前 旧石器時代後期 クロマニョン人が入ってきて、アルタミラ洞窟の壁画などの文化遺産を残した。
1万年前 新石器時代 イベリア人が入ってきた。もとからの住民の大部分はイベリア人に同化されたが、一部は山間僻地に住んで独自性を保ち続けた。バスク人はその子孫ではないかと考えられている。
紀元前1000年~前400年 ケルト人がピレネー山脈を越えて入ってくる。
イベリア半島の北部と西部:ケルト人、中央部:ケルト人とイベリア人の混血、東部と南部:イベリア人
ケルト人と相前後して、地中海の二大航海民族だったフェニキア人とギリシャ人もやってきた。フェニキアはその後カルタゴとなる。
前264年 第一次ポエニ戦争(ローマ対カルタゴ)ローマが勝利し、西地中海の制海権を取得
カルタゴの将軍ハミルカルが、息子のハンニバルをつれてスペインに渡り、イベリア半島の内陸部まで領土を拡大し、経済的基盤を確立。
前219年 第二次ポエニ戦争 ハンニバルがアルプスを越えてローマに攻め込む。
前201年 ローマがスキピオの働きで完全勝利し、スペインも手に入れる。
前19年 アウグストゥスの時代にローマがイベリア半島すべてを支配下におさめる。
ローマの支配が続いた600年間に、今日のスペイン文化の根幹ができた。カスティーヤ語、カタルーニャ語、ガリシア語などはすべてラテン語の口語から変化してできた。
4世紀末 ゲルマン人の大移動開始
最初にイベリア半島に入ってきたゲルマン人はヴァンダル人。アンダルシーアの地名として残っている。
西ゴート族は、イタリア、ガリア南部、イベリア半島にかけて王国を築いた。
507年、西ゴート族はフランクとの戦いに敗れ、以後はもっぱらイベリア半島で国造りに力を入れる。首都は最終的にトレド。
710年 イスラムの軍勢が北アフリカを西進していた頃、西ゴート王国では王位争いが起こり、王の反対勢力がイスラム勢力をそそのかしてイベリア半島に侵入させた。
イスラム勢は破竹の勢いで進撃を続け、2年でイベリア半島の大半を制圧した。
西ゴート勢力は、イベリア半島北辺の山岳地帯でやっとイスラム勢の進撃を食い止めた。
イスラム圏では、ウマイヤ家がカリフを世襲し、ダマスカスを首都に置いていた(ウマイヤ朝)。750年にアッバース家がウマイヤ家の一族男子を(1名を残して)ことごとく殺害し、アッパース朝を起こした。
生き残ったウマイヤ家のアフマンは、756年にアンダルスにたどり着き、コルドバで政権を確立した(後ウマイヤ朝)(その後、西カリフ国)。
それから11世紀のはじめまで、アンダルスの全盛時代が続く。10世紀のコルドバは、ビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルに次ぐ賑わいを見せていた。
11世紀末 後ウマイヤ朝が衰退し、群小の王国に分裂した。
《レコンキスタ》
722年 キリスト教徒ははじめて、コバドンガの戦いでイスラム教徒側に対して勝利をおさめた。
10世紀ごろ ドゥエロ川まで進む。
11~12世紀 タホ川の線まで進む。
13世紀 グアダルキビール川のかなたまで領土を拡大。
1493年 ナスル朝のグラナダ王国が滅亡し、レコンキスタ(再征服)が完了した。
当時のイベリア半島は、
東部:アラゴン王国、中央部:カスティーヤ王国、北東部:ナバラ王国、西武:ポルトガル王国
に分かれていた。
アラゴンのフェルナンド王とカスティーヤのイザベル女王が結婚し、1512年にはフェルナンド王がナバラ王を兼ねた。
次のファーナ女王は、ポルトガルを除くイベリア半島の全域(エスパーニャ)の支配者となった。
ファーナはハプスブルク家の跡取り息子であるフィリップと結婚。その後ファーナは精神に異常を来し、狂女ファーナと呼ばれる。
ファーナとフィリップの息子カルロス一世は、実質スペイン王となり、父からハプスブルク家を受け継いだ。
カルロス一世の祖母にあたるイザベル女王の英断でコロンブスの提案を受け入れたことから、スペインは新大陸で広大な植民地を獲得し、多くの財宝が本国にもたらされた。しかしカルロス一世は、得られた財宝を、ドイツでの宗教改革に対する対策、イタリアの覇権をめぐるフランスとの戦争、オスマントルコ対応に消費し、スペインのためには使われなかった。
フェリペ二世は、父カルロス一世からスペイン、母(ポルトガル女王)からポルトガルを受け継ぎ、スペイン王とポルトガル王を兼ねた。しかし、ドイツでの宗教戦争、フランスとの抗争などで国力を消費した。総力を挙げて編成した無敵艦隊が全滅した。
1700年 カルロス二世が跡取りを残さないで死に、フランスのルイ14世の孫でスペイン王家の血を引くフィリップ(ブルボン家)が遺言によって王位についた。
現国王フアン・カルロス一世はブルボン家の子孫である。
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