先日、橋爪功さんの芝居を見てきた。橋爪さんの芝居を見るのはこれで2度目。最近、NHKのドラマに出てる橋爪さんを見て太ったな~と思っていたら、生の橋爪さんもやはり太っていた。役作りだったのだろうか?
我々の過日の公演「青空」のアンケートに、「喋り過ぎ、人はそんなに喋らない」というモノがあった。芝居には色んなジャンルがあるが、今回見て来た芝居は会話劇と呼ばれるモノ。とにかく誰か喋ってるのだ。そりゃもううちの「青空」なんて目じゃない。
日常的に考えると人が一日に喋る時間(接客や営業など、仕事を除いて)なんてそんなにないとは思う。それは環境にも左右されるだろうし、目から入る情報が日常の方が断然豊富なせいもあるだろう。芝居にはより日常に近づけようとするモノもあるが、舞台が日常に勝てる訳がない。さらに芝居は2時間前後の芝居でお話という情報を伝え吟味して貰わなくてはならない。舞台という限られた視覚情報を補うには聴覚情報に頼るしかない。聴覚に頼らず役者がさらに身体表現で視覚情報を追加するなら、それは芝居のジャンルが変わってしまう。そして聴覚情報、それはセリフだ。
で、橋爪さんの芝居。膨大な会話なので長台詞が何回もあったりするんだけど、長台詞を長い台詞に感じさせないのが凄い。とかく長台詞になると役者は力が入っちゃって話とは関係ない力みや変なオーラが出たりするんだけど、そんなのが全くない。若輩の俺がこんな事言って偉そうだけど…やっぱり上手い、凄い。
我々の過日の公演「青空」のアンケートに、「喋り過ぎ、人はそんなに喋らない」というモノがあった。芝居には色んなジャンルがあるが、今回見て来た芝居は会話劇と呼ばれるモノ。とにかく誰か喋ってるのだ。そりゃもううちの「青空」なんて目じゃない。
日常的に考えると人が一日に喋る時間(接客や営業など、仕事を除いて)なんてそんなにないとは思う。それは環境にも左右されるだろうし、目から入る情報が日常の方が断然豊富なせいもあるだろう。芝居にはより日常に近づけようとするモノもあるが、舞台が日常に勝てる訳がない。さらに芝居は2時間前後の芝居でお話という情報を伝え吟味して貰わなくてはならない。舞台という限られた視覚情報を補うには聴覚情報に頼るしかない。聴覚に頼らず役者がさらに身体表現で視覚情報を追加するなら、それは芝居のジャンルが変わってしまう。そして聴覚情報、それはセリフだ。
で、橋爪さんの芝居。膨大な会話なので長台詞が何回もあったりするんだけど、長台詞を長い台詞に感じさせないのが凄い。とかく長台詞になると役者は力が入っちゃって話とは関係ない力みや変なオーラが出たりするんだけど、そんなのが全くない。若輩の俺がこんな事言って偉そうだけど…やっぱり上手い、凄い。