peaの植物図鑑

平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都43:宇治平等院(1)

作成中

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-syuhen.html [平等院探訪:周辺観光マップ]

P1860863

(上)バスの窓から見た宇治川と宇治橋:平等院や宇治上神社など世界遺産がある宇治はまた、「源氏物語」でもよく知られている。「平家物語」に登場する宇治は、巻四「宮御最後」、巻九「宇治川」に描かれた宇治川の合戦の舞台であった。

P1860870

 宇治橋:欄干や橋桁に風情のある宇治橋。園城寺(おんじょうじ)での六波羅夜討ちのせん議が長引き、時期をのがした以仁王と源頼政一党は、興福寺へ落ちるべく南都を目指した。以仁王の疲労のため、宇治平等院で休息している内に、平知盛・重衡を大将とする平氏の軍勢2万八千騎が宇治橋にまで攻め寄せてきた。橋板を取り外された橋を挟んで軍勢が対峙した橋合戦の舞台である。橋桁の上では以仁王方の五智院の但馬や僧兵の筒井浄妙明秀、一来法師などが曲芸まがいの大立ち回りをした。このときの様子を再現した浄妙山が、祇園祭の山鉾として巡行している。その宇治橋も、今は多くの車が行き交い、橋合戦を偲ぶのはいささか難しい。[以上、山と渓谷社発行、身延典子著「『平家物語』を歩く」より]

P1860880

(上)平等院南側入退場口 

 2010年2月6日(土)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」の第3日目。六波羅蜜寺~清水寺~正林寺~三十三間堂と巡って最後の目的地「宇治平等院」へ。予定通り宇治に到着。ここでの予定時間は、昼食を含めて12:00~14:40時。昼食の予約をしているという宇治喜撰茶屋に近い民営駐車場(平等院の南門にも近い)にバスを駐め、平等院に向かう。

P1860881

P1860888

 鐘楼&梵鐘:梵鐘はかつて鳳凰堂南側の園池のほとりに建つ鐘楼に懸けられていたが、今は大気汚染による錆害など保存上の見地から取り外されて宝物館に収蔵され、鐘楼には新たに製作された復元模像が懸けられているという。平安時代を代表する梵鐘の1つで、古くから「姿の平等院鐘」、「声の園城寺鐘」、「勢の東大寺鐘」の「天下の3名鐘」の1つとしても有名。本物は、現在、鳳翔館で拝観できる。

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-hououdou.html [平等院探訪:鳳凰堂]

 P1860914

 2001年3月1日開館の平等院ミュージアム鳳翔館:宗教法人としては初の総合博物館だという。

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-muesium.html [平等院ミュージアム鳳翔館]

P1860891

阿弥陀如来坐像&雲中供養菩薩像(国宝):

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-kokuhou.html [平等院探訪:国宝仏像紹介]

雲中供養菩薩全体(国宝):

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-ko-untyu.html

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-hououdou.html [平等院探訪:鳳凰1対]

銅製鋳造鍍金鳳凰1対(国宝):阿弥陀堂中堂の大棟の南北両端に据えられていた鳳凰1対。阿弥陀堂は、その外観が尾の長い鳥が翼を広げたような形をしていることや屋根上にこの鳳凰形棟飾りによって、近世以降、鳳凰堂と呼ばれるようになったという。ここでは東向きに建ってられている鳳凰堂の向かって右側に据えられた像を北方像、同じく左側の像を南方像とするが、両像とも今は大気汚染による錆害などの保存上の見地から取り外されて宝物館に保管され、新たに製作された復元模像が大棟に載せられているとのこと。現在、鳳翔館で拝観できる。

P1860895

P1860889

P1860898

(上)南門:

P1860900

(上)右側の建物が平等院ミュージアム鳳凰館、左側は養林庵書院

 養林庵書院(指定文化財):桃山城の遺構と伝えられ、その障壁画は宇治市指定文化財で、床の間には雪景山水図、襖には籬(まがき)に梅図、天袋には花卉(かき)図が描かれている。作者はその作風から狩野山雪とみられている。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-yourinan.html [平等院マップ:養林庵書院]

クロガネモチと思われる木が真っ赤に熟した実を沢山つけていた。

P1860905

P1860902

P1860907

P1860904

P1860910

(上)羅漢堂:茶師星野道斎とその息子たちにより寛永17年(1640)に建立。主要部材が建立当時のままに保存され、鏡天井に描かれた龍は彩色良く保存されている。(宇治市指定文化財)。

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-rakandou.html [平等院マップ:羅漢堂]

 P1860915

  最勝院の前の順路から見た鳳凰堂。

P1860917

P1860920

 平等院ミュージアム鳳翔館の庭。

P1860936

(上)浄土院:浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復にために開創した寺と伝えられている。文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などを管理している。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-jyoudoin.html [平等院マップ:浄土院]

P1860937

 最勝院前の順路から見た鳳凰堂。

P1860944

P1860947

不動堂:不動明王を本尊とする最勝院の本堂。また最勝院が天台修験宗を極める聖護院末であるところから役小角(えんのおづぬ)(役行者)の像が祀られている。隣接する地蔵堂は地蔵菩薩坐像をお祀りしている小堂。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-fudoudou.html [平等院マップ:不動堂]

P1860950

P1860959

 最勝院境内にある源頼政の墓:以仁王を南都へ先立たせ、平等院での攻防戦を繰り広げていた源頼政は、多勢に無勢、敵に囲まれ足に矢を受けて自害することになる。その自害した場所が後世、平等院の扇の芝であるといわれるようになった。

 渡辺長七唱(となう)を召し、「埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける」と辞世の歌を詠んで腹に太刀を突き立てたのである。この頼政の供養塔が、平等院鳳凰堂の後ろにある最勝院の境内に建てられている。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-yorimasa.html [平等院マップ>源三位頼政之墓]

P1860967

最勝院:平等院塔頭2ケ寺の1つで天台宗寺門派聖護院末。その歴史は比較的新しく、承応3年(1654)京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、その住庵を最勝院と呼んだことに始まる。中世末以来、平等院と疎遠になっていた天台宗が復帰したとのこと。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-saisyouin.html [平等院マップ:最勝院]

P1860972

観音堂がある北側の順路から見た鳳凰堂と阿字池

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-byoudouin.html [平等院マップ]

P1860975


今年の3月で85歳の「後期高齢者」。花や木の実、特に山野草が好きで何時もデジカメを持ち歩いています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「平家物語ゆかりの地を巡る旅」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事