昨日の朝、少し喉に痛みを感じたが、思い切って家を出た。北斎展を見るために上野まで。
北斎と言えば、以前にネットにある 「富嶽三十六景」 を数ヶ所からコピーしてスライドにしたことがある。サイトによって異なる印象を受けたが、摺りによって全く違う絵になることを今回知る。当時、北斎の影響を受け、「エッフェル塔三十六景」 « Les trente-six vues de la Tour Eiffel » を描いたフランスのアンリ・リヴィエール Henri Rivière (1864-1951) についても興味を持ち、画集などを仕入れてはパリへの思いを高めていた。今回探してみたが、混沌の中からは見つけることができなかった。
KATSUSHIKA HOKUSAI (1760-1849)
会場に入って人の多さに鑑賞しようという気分が萎えてしまった。数列の人が壁に張り付くように移動している異様な光景を目にして。掛け軸などを除くとほとんど版画のため実物が小さいのである。気持ちを取り直すために最後まで歩いて行くと、人がやや少なくなってきたので逆方法に見始めた。
展覧会は、彼が画号を変えていった年代に沿って紹介されていた。
20歳~ 「春朗」期
36歳~ 「宗理」期
46歳~ 「葛飾北斎」期
51歳~ 「戴斗」期
61歳~ 「為一」期
75歳~ 「画狂老人卍」期
90歳 亡くなる
とにかく仕事の多さと多様さに圧倒される。こんな絵も描いていたのか、というのが第一印象。彼はこの世のありとあらゆることに興味を示し、死ぬまで描き続けたことがわかってくる。美人、動物、植物、人々の生活の一瞬を捉えたもの、唐土や琉球の絵まで他の絵を頼りに描いている。それから彼が画号を変える度に全く別人が描いたと言ってもいいくらい調子が変わっている。彼はその度に生まれ変わったことがわかる。自分を変えるには名前を変えるのが手っ取り早いのかもしれない (このブログは paul-ailleurs でなければ書けないということか)。
すべて見ることは望むべくもなかったが、「北斎漫画」 などを描いているように彼にはユーモアのセンスがあるのだろう。人間に共感している様子が伝わってくる絵に惹かれるものがあった。当時の生活が蘇ってくるような絵も面白かった。日本人の心根は当時と余り変わっていないのではないか。絵を見ながら押した、押さないという言い争いの声、昔の人の生活を語り合っている声などを聞きながら見るのも一興であった。北斎さんがそこにいて一緒に聞いているような感じさえしてくる。
これはっ、と驚いたのは「百物語」の現存する5点を見た時。大胆で、色が鮮やかで(後で画集を見てみたがその感動は得られない)、現代的でさえある。それから短冊にも面白いものがあった。囚われない、自由な精神が溢れているようで一気に北斎のことが好きになったのだろう。思わず「北斎漫画-初摺」に手が伸びてしまった。彼の人となりについても異常な興味が湧いてきているのを感じる。
余りにも気分が昂揚していたせいか、それを鎮めるためか、博物館裏の庭園を散策する。小堀遠州などの茶室があり、穏やかな秋のひと時を楽しんだ。
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(version française)
北斎展は是非行きたいと思います。北斎については、漫画では杉浦日向子さんの「百日紅」、上村一夫の「狂人関係」がおもしろいです。
喉の調子はいかがですか?
冷たい雨が降っています。
気分が高揚してしまうこと間違いない展覧会ですね。
私も珍しく時間をかけ時間を経つのを忘れて
作品に魅入ってしまいました。重い鞄にむりやり
図録を押し込めて帰途につきました。
昨日はゆっくりしましたので、喉の方は落ち着いているようです。
この言葉に共感します こんな好奇心が強い画家、ピカソや池田満寿夫などにも通じますね
漫画も楽しく、どの絵も楽しんでいますという風でした
TBしました
またよろしくお願いします。
私も「百物語」には目を奪われました。
北斎に関して特に知らなかったので、同じく彼がユーモア溢れる絵をたくさん残しているということに、驚くとともに感動しました。
それにしてもひどい混雑ですよね。
私も逆方向から見ましたよ。
この人気は北斎が日本人の心を掴む仕事をしたという証拠でしょうか。長寿社会の影響もあるかもしれません。
杉本博司展の方ですが、彼がしっかりと語っているせいか、写真そのものよりは語りを元に見ているようなところがありました。ただ写真は密度の高いものでしたので、それだけしっかりものを見ているということだと思いました。