フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

逃げる心を抑えて NE PAS S'ENFUIR

2007-06-03 00:06:21 | Weblog

昨日の夜、久しぶりにやや太めになったビリー・ジョエルを聞く。彼は、今や私のニューヨーク時代の、さらに言えば私の中のアメリカ文化の象徴になっている。私の一部を紐解くようにして彼を聞きながら、私のどこかにこの願望があることに気付く。一言で言ってしまえば、それは 「逃げる」 ということになる。どこに逃げているのかはわからない、とにかく 「ここではないどこか」、「それではない何か」 なのだ。それがいつかなのか、それが何なのかはわからない。しかし、いつか求めるところ、求めるものが現れるという心なのだ。深く考えたわけではないが、走る中いつからか私の行動様式に組み込まれていたようだ。それは、この現在にNOなのである。より正確には、いつも求める場所への通過点なのだ。しかし、我慢して現在に身を委ねているわけではない。むしろ、通過点であるがゆえに現在から最大のものを引き出そうとしているかのようだ。まさに、Carpe Diem である。私を快楽主義者という人がいてもおかしくない。しかし、そろそろ逃げるという心を抑えた時に見えてくる現在を眺めてみてもよいのではないだろうか。ビリー・ジョエルの歌を聞きながら、そんな想いが湧いていた。

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4 コメント

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Carpe Diem (さなえ)
2007-06-03 07:08:06
「Carpe Diem」というソフトを使って時間の管理をしていたことがありました。英語版WikipediaのCarpe Diemを読むと果物を摘むように時を摘む、「時を捕らえ」「gather the day」だとあります。「Gather roses while you may. 」なんですね。おかげさまで何年も使いながら単に時としか意識していなかったものを少し調べることができました。hayを作る日々から徐々にroseを楽しむ日々へ、それが老いるということへのご褒美、特権ではないでしょうか。
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memento mori (paul-ailleurs)
2007-06-03 10:00:22
この言葉には、明日は死ぬかもしれないから、という意味合いも含まれていますので、ウィキの英語版でも指摘されていますように、自らが死ぬ存在であることを意識しなさい "memento mori" につながるのだと思います。やっと自らが死に向かう存在であることを意識し始めたようです。それゆえ、日々の収穫をも意識できるようになったのかもしれません。

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モンタン (ミコ)
2007-06-03 12:12:31
ビリー・ジョエルがお好きなんですね。もう何歳でしょうか?大阪城ホールでライヴを聴いたのは80年代ですから、老年を歌うシンガーになっているのでしょうねえ。

モンタンを聴いて至福だったのに、突然の死去で、手元のLPもLDもなにか魂の抜けたように聴こえ、あまり引き出してくることがなくなりました。

これは名画で、かつてのジェームス・ディーンやオードリー・ヘップバーンを観ても、なにやらすりガラスを通してる感じを受けるのと通じてるようにも思えます。

久しぶりに逢う人が老いたことに内心びっくりしながら、短時間で慣れてしまうことがあります。さなえさんのおしゃる「ご褒美」は、具体的にこんなことも指すのではないでしょうか?
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同時代人 (paul-ailleurs)
2007-06-03 16:04:19
ビリー・ジョエルの当時のレコードは持っていたように記憶しています。彼は1949年5月生れなので58歳。ほぼ同じ時代を歩いてきたことになります。私がNYにいた頃にNBC→ABCのアンカーだったDavid Brinkley(人生を達観したようなところがあり、私は好きでしたが、後にスキャンダルで評価は落ちたようです)の娘さんでモデルをしていた美人のクリスティーと後に結婚し、羨ましがらせたものですが離婚。彼の音楽はこのところほとんどフォローしていませんでしたが、昨日は偶然のなせる業で完全におじさんになった姿を見ることができました。去年の公演のようです。まだまだエネルギーはありそうでした。天才肌の音楽家だと思っています。

確かに久しぶり会って気付かないくらいに変わっている人がいますが、昔の話をしているうちに全く違和感がなくなることがあります。彼らの表情の中に昔の面影を探し出し、実際に見えている姿を補正しているのかもしれません。そうすると受け取り手次第になるのでしょうから、何が本当の姿なのかさえわからなくなるくらいです。これからそういう「ご褒美」をたくさんもらえるのでしょうか。

http://blog.goo.ne.jp/paul-ailleurs/e/ad1d558733a46f30ba263e634875e4a4

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