今朝、仏版ブログにPaule様からコメントが来たので、それについて考えを巡らせる。対話というのは、人の考えを広げ深める可能性があるということを改めて意識する。それから日本語版ブログにアクセスのあったキーワードを頼りに面白そうなところを探していると、フランス哲学、科学哲学を専門にされている愛知県立大学の本多英太郎氏の講演記録に辿り着く。モンテーニュ、デカルト、パスカルを初めとして、カンギレム、フーコー、メルロ・ポンティなどの現代哲学者に及ぶ流れを簡潔に捉えているので読みやすい。さらにこれからどのように深めていったらよいのかがわかるようなお話で参考になった。
午後から仕事場で委員会があり、そこに外部委員として加わっていたわれわれの先輩のIT先生と国の機関の長をされていた御年82歳のOA先生が私のところを訪ねてくださった。OA先生は、活力に溢れ、目がキラキラと輝き、未だ青年の香りを残しておられる。会議での発言を聞いていて、その理解力の素晴らしさと言葉の力にいつも目を見張っていた。自分もこうありたいと思わせてくれる方である。今日は、若輩の私に向けての助言と受け取られる言葉をいくつか聞くことができた。
その助言は、最近このブログで触れたことばかりであったのには驚いた。よく出てきた言葉は、「自由」 である。縛られずに自分がすべてを決められるような位置に自分を置くようにすること。いわゆる 「仕事」 をしている間は、気が付かないが人に気を使いながら生きている。特に先生のように重要な立場にあると、自分の意思だけで動くことは少なく、最後のある時期は仕事に行くのが嫌になったというお話であった。その辛い時期のこともどこか超然と突き放して話をしている様子は、先日の水木しげるを思い出させてくれた。
定年を迎えたら囚われては駄目。囚われのない生活が人生で初めてできる時期が始るのに、どうして自らそういう道に入って行かないのか、と言いたいようだ。自分の思うように生きるのが最高で、そうでなければ生きる意味がないだろうという心が透けて見える。定年後を気持ちよく送る秘訣は3Kだと言って、ある程度のお金と好奇心と健康をあげておられた。第一のお金に関して、最初に年金を手にした時の感激を、何もしないでお金が出るなんて信じられますか、という言葉で表現されていた。ある程度のお金は必要だが、生活が苦しくなれば田舎に行けばよいだけの話とあっさりしたものである。このあたりの思い切りの良さ、快活さが若さの秘密なのかもしれない。
最後に、定年後の生活を全く別物として捉え直すことが大切、そうすれば人生で一番素晴らしい時期を迎えることができすよ、がんばってください、とのお言葉を聞きながら別れた。人生の先輩の体験談を身近に聞くことができ、元気の出る一日となった。
② 一読目からはカンギレム哲学のキーワードとして「normativité」がはじきだされてきたので、それを念頭において再読する考えでしたが、結局、法律や医療や教育に脱線が始まりました。
③ この脱線が「哲学する」ということなのかもしれません。しばらくの間、Normesを意図的に無視しながら、『こどもの[科学から哲学への回帰]を準備・援助する』を、課題(責任)とすることを考えてみたいと思っています。本多先生の呼びかけ(講演要約)もそのように読めました。「後進恐るべし」という格言の現代的な解釈は、科学の「力と速度」が世界を脅かしていると言っているかのようですから。
昨日は励ましのコメント有り難うございます。あなたもご健康に留意されご活躍ください。
さて、大半の女性の晩年は?いつも蚊帳の外におかれていますが、女性が創造してゆくべきでしょう。案外男性より、豊かな後半の人生をおくつている女性が目につきます。生活に足をつけているせいかもしれません。