どこかのページで見た 「知のアナーキズム」 という言葉とその方の名前が発する音が気になり、Wiki を読んでみることにした。いつもお世話になる科学・芸術や外国に関する項目については、英語版・フランス語版は日本語版に比較して圧倒的に充実している。このプロジェクトの哲学に多くの人が賛同し、積極的に参加しているということなのだろうか。
ポール・ファイヤアーベント Paul Feyerabend (13 janvier 1924 - 11 février 1994)
今回は、英語版とフランス語版を読み比べながらその人生を眺めてみたい。
Paul Karl Feyerabend était un philosophe des sciences d'origine autrichienne qui vécut en Angleterre, aux États-Unis, en Nouvelle-Zélande, en Italie et finalement en Suisse.
(ポール・カール・ファイヤアーベントはオーストリア出身の科学哲学者で、イギリス、アメリカ、ニュージーランド、イタリア、そして最後はスイスに住んだ)
彼の人生を英語版では "peripatetic" という初めて出会う言葉で形容している。その意味は "travelling, moving, nomadic, migrant, vagabond, wandering, itinerant" で、これから使いそうな言葉である。
Il est une figure influente dans le domaine de la philosophie des sciences, notamment par sa théorie épistémologique dite de « l'anarchisme épistémologique » qu'il a exposée dans l'ouvrage "Contre la méthode".
(彼は、「方法への挑戦」 で提唱した 「科学哲学アナーキズム」 と言われる理論により、科学哲学の分野で影響力のある人物である)
ウイーンに生まれた彼は、高校まで本をよく読み、戯曲や歌に興味を示す。高校卒業後はドイツの軍隊に入り、ドイツ、フランスに配属され、「田舎を回り、塹壕を掘りそして再び埋める」 という単調な生活をする。
"Nous avons tourné dans la campagne, creusé des fosses puis nous les avons rebouchées."
1943年12月 (19歳) から東部戦線へ。そこで赤軍の侵攻に押されドイツ軍が撤退を始めた時、彼は3発の銃弾に撃たれ、そのうちの1発が脊椎を直撃。一生杖を離せない人生となった。
"Il dut utiliser une canne pour marcher le restant de sa vie."
戦後、戯曲を書く仕事の後、歴史学と社会学を始めるも落胆。物理学に転向し、そこからさらに哲学へ進む。1948年 (24歳)、あるセミナーで20世紀最高の科学哲学者の一人カール・ポッパー Karl Popper (28 juillet 1902 à Vienne - 17 septembre 1994) に初めて出会う。1951年 (27歳)、ウィトゲンシュタイン Wittgenstein (Vienne, 26 avril 1889 - Cambridge, 29 avril 1951) のもとで学ぶことになっていたが、彼が亡くなったために急遽ポッパーに教えを乞うことになる。そこでポッパー哲学の魅力の虜になる。
Il a été fortement influencé par Popper durant cette période: "J'étais tombé sous le charme de ses idées [celles de Popper]."
1955年 (31歳) にブリストル大学で科学哲学を教え始め、1958年 (34歳) にはカリフォルニア大学バークリー校に移り、アメリカ国籍を取る。その後、ロンドン、ベルリン、エール大学、ニュージーランド・オークランド大学などで教えるが常にカリフォルニアに戻っていた。しかし 1989年10月 (65歳) にはアメリカを引き払い、イタリア、そして終の棲家となるチューリッヒに落ち着き、70歳の時に脳腫瘍で亡くなる。
その生涯で以下のような作品を書いている。
"Contre la méthode: Esquisse d’une théorie anarchiste de la connaissance" (publié en 1975)
"Against Method" (published in 1975)
「方法への挑戦―科学的創造と知のアナーキズム」 ・・・ このタイトルに反応したようだ。
"La science dans une société libre" (publié en 1978)
"Science in a Free Society" (published in 1978)
"Adieu la raison" (un recueil d'articles publié en 1987)
"Farewell to Reason" (a collection of papers published in 1987)
最後に自伝を。
"Tuer le temps" (1995)
"Killing Time: The Autobiography of Paul Feyerabend"
「哲学、女、唄、そして…―ファイヤアーベント自伝」