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ハイデッガーの二つの顔 (II) LA DOUBLE FACE DE HEIDEGGER (II)

2006-07-10 20:59:20 | Heidegger
           (1933年11月11日、上の写真でX印がハイデッガー)

正式な見解では、同僚に推 (押) されて1933年4月21日にフライブルグ大学学長を引き受け、翌34年4月23日に辞めたが、その後10年以上もの間このことを恥じていたことになっている。しかしいろいろな文書を見ていくと、全く違った真実が浮かび上がってくる。暗い側面 (face sombre) が見えてくる。

1910年 (21歳)、アルゲマイネ・ルントシャウ Allgemeine Rundschau に発表した最初の論文にはすでに反自由主義 antilibéralisme、反ユダヤ主義 antisémitisme の傾向が見られる。この論文で、アブラハム・ア・サンクタ・クララ Abraham a Sancta Clara (2 juillet 1644 - 1 décembre 1709) という強烈なナショナリズムとユダヤ人虐殺を唱えたことで知られている説教師を褒め称えている。これが若さゆえのことでなかったことは、1964年 (75歳) になってからもユダヤ人とトルコ人を激しく非難したこの説教師を 「われわれの人生における師」 と見なしていた。

1916年10月18日 (27歳)、彼の妻エルフリード Elfride に 「われわれの文化、大学がユダヤ化されることは実に恐ろしいことで、ドイツ人種が頂点を極めるためには内的な力をしっかりと見つけ出さなければならないと思う」 と書き送っている。

"L'enjuivement [Verjudung] de notre culture et des universités est en effet effrayant et je pense que la race allemande [die deutsche Rasse] devrait trouver sufffisamment de forces intérieurs pour parvenir au sommet."

1918年10月17日 (29歳)、「これまで以上に緊急に総統が必要であると認識している」 と妻に打ち明けている。

"Je reconnais, de manière toujours plus pressante, la nécessité de Führers."

1920年8月12日 (30歳)、「すべてがユダヤ人と彼らに便乗する人達によって占領されている」 と結論している。

"Tout est submergé par les juifs et les profiteurs."

1932年 (43歳) には、息子のヘルマン Hermann が最近認めたところによると、ナチ党に投票している。フライブルグ大学学長の職を退いたのは、ナチに対する抵抗から辞めさせられたのではなく、ナチ内部の意見対立の結果だった。彼の 「学長演説」 "Discours du rectorat" はナチズムの古典となり、反ユダヤ主義の学生団体によってしばしば引用され、1943年だけで100万部以上出回っている。また同年、紙不足の真っ只中にもかかわらず、彼の作品が政府承認のもとに印刷されている。この哲学者がナチによって迫いやられたと誰が信用するだろうか?

"A qui ferait-on croire que ce philosophe fut persécuté par les nazis ?"

大戦後は連合国により教職から追放されるが、1951年には復権した。しかし彼は一度たりともナチズムを弾劾したことはなく、ユダヤ人虐殺についてもはっきりとした態度を表明していない。

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