フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

「芸術と脳科学の対話」  BALTHUS OU LA QUETE DE L'ESSENTIEL

2007-06-23 13:00:19 | 哲学

芸術と脳科学の対話 ― バルテュスとゼキによる本質的なものの探求」 を読む。まず、よく物を知っていることと理解していることとの違いのようなものを考えさせられる。すぐに昨年暮に出会ったピエール・アドーさんの言葉を思い出した。
   
全的に考える PENSER D'UNE MANIERE TOTALE


しばしば科学的根拠をもとに言葉多く語るゼキ氏の進め方に違和感を覚える。また、普遍的なものを事物の中に見て表現するのが芸術家である、という考えをよく出してくる。押し付けるという印象さえ受けることもある。例えば、次のようなところ。

 ゼキ (Z):セザンヌは何度サント=ヴィクトワール山を描いたでしょう。少なくとも十回は描きました!
 バルテュス (B):十枚以上は残っていますよ! 彼は自分がサント=ビクトワール山を見たときに感じたことの意味を見出したかったわけです。
 Z:わたしはちょっと違った言い方をしたいですね。彼はサント=ヴィクトワール山のなかで決して変わらないものを発見することで、サント=ヴィクトワール山の意味を見出したかったのだと思います。

最後にはバルテュスさんもゼキ氏の考えに同意しているが、わたしは他のところでもそうであったが、どちらかというとバルテュスさんの言葉に打たれることが多かった。なぜだろうか。おそらく、それは彼の長い経験の中で、彼自身の体が感じ、消化し、蓄積しているものから言葉が出てきているためではないだろうか。知識からは感動を得ることは稀な出来事である。ゼキ氏の言葉の多くから、科学の中に身を置いて、いわば安全地帯と自ら感じている場所から知識を語っているという印象を受ける。自らに引き付けて考えざるを得なかった。

印象に残った会話をいくつか。

----------------------------

 Z:自分の絵に満足されないのですか?
 B:一度もそう感じたことはありません。
 Z:一度も?
 B:ええ、ただの一度も。
----------------------------

 Z:しかし、格闘はなさったのですね。
 B:ああ、それはそうです。
 Z:何のためにあなたは格闘されたのですか?
 B:・・・今やわたしは老人です。本当のところ、もはや自分の能力、身体的能力を制御できないのです。
 Z:しかし、あなたはこれまでにもう格闘されてきたのだと思います。
 B:わたしは常に格闘してきました。それはどうすればよいのかわからなかったからです。
----------------------------

 Z:形而上学は事物の意味をとらえようとするものだとあなたはおっしゃいました。ではあなたは、ご自分の絵において事物の意味をとらえようとしていらっしゃるのですか?
 B:何かを制作しようという気になることは、それを作る理由を発見することでもあります。今日わたしたちは、新しい世界、すべてが機械によって作られている世界にいます。しかし実際のところ、あなたはそこにいて、何かを見、それが何かを理解しようとしているのです。画家であるというのはそのようなことなのです。
----------------------------

 B:お手伝いを受け入れてしまったら、わたしはそれをひどく邪魔に感じるでしょう。
 Z:よく分かります。わたしは自分の出版物の九十パーセントを一人で書いていました。現在、わたしには同僚やアシスタントがいます。しかし、しばしば前の状況に、つまり、一人だったときの状況に戻りたいと思うのです。
----------------------------

 B:ブラックは触覚というものに取りつかれていました。そうです、彼はすべてを触りたかったのです。しかし、触覚もまた脳の中にあるのです! すべてが脳に由来しているわけです。
 Z:ピエロ・デッラ・フランチェスカは絵画における実験を行った人だと思いますか?
 B:いいえ、しかし彼は絵画についての理念をもった人でした。
 Z:あなたは、絵画において実験を試みていますか?
 B:いいえ、わたしは一人の職人です。
 Z:デッラ・フランチェスカに敬服なさっているのですね。
 B:ええ、とても。
----------------------------

 Z:前回あなたは、自分も含めて画家というのは、絵画の限界を探求しようとしてきたのだとおっしゃいました。
 B:絵画ですべてを表現することはできません。そんなことは絵画の目的ではないのです。
 Z:しかしあなたは、ピエロ・デッラ・フランチェスカこそ、その限界に到達し、その後に数学の方へと向かった唯一の画家だとおっしゃいました。わたしにはどのようにして彼が絵画の限界に到達したのかがわからないのです。
 B:彼自身の運命が彼にそのことを課したからですよ。彼は眼が見えなくなったのです。
----------------------------

 Z:あなたご自身は、絵画の限界を意識的に探求なさっているのですか?
 B:いいえ、わたしは意識的には何もしていません。無意識的なのです。わたしは自分が常に何ものかに導かれているような感じがするのです。それが何なのかは分からないのですが。
----------------------------

 Z:描く対象は探しに行かれるのですか?
 B:わたしはただ見ているだけです。
 Z:朝起きて、「何かを描かなくては」 と思うことはこれまで一度もなかったのですか?
 B:いいえ、毎朝ですよ。
 Z:では、そうされているのですね?
 B:そうですね、それは希望や願望からくるのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 腕時計、外す ENLEVER LA MO... | トップ | エリク・カンデル ERIC KAND... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

哲学」カテゴリの最新記事