チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ツルゲーネフ 父と子 出版から150年(後篇)/息子の墓参をする老夫婦の哀れな姿」

2012年02月29日 00時04分26秒 | 事実は小説より日記なりや?

ツルゲーネフ 父と子


「父と子」(Отцы и дети アッツィー・イ・ヂェーチ)は1862年に発表されたイワン・ツルゲーネフの長編小説である。
1859年5月から始まる設定の、農奴解放令発布前の帝政ロシアの古い世代と新しい世代の一面を描いている。
主人公のひとりバザーロフは「ニヒリスト」の代名詞ともなった。
バザーロフの友人アルカージー(キルサーノフ)とその家族、
バザーロフが心惹かれたオジンツォーヴァなど、
ツルゲーネフお得意の「後日談」に、登場人物の「その後」が語られる。
とりわけ、ラストシーンを飾るバザーロフの両親の描写に
ツルゲーネフ文学の真骨頂が詰め込まれている。
ここでは最後に、
この「父と子」のエピローグの大詰めを、
あらすじではなく、
ロシア語の原文、そのカタカナ発音、そして、私の日本語訳と、
詳細に並べて掲載する。

["Отцы и Дети" Ивана Сергеевича Тургенева]
(「アッツィー・イ・ヂェーチ」・イヴァーナ・スェルギェーェヴィチャ・トゥルギェーニヴァ)

(「ニヒリスト・バザーロフでござーる/ツルゲーネフ『父と子』出版から150年(前篇)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/9eccef279a78cb32d2a4d29a824ff3e8
からの続きです)

26日の東京マラソンで2位に入った藤原新選手の顔は、
今から50年ほど前のややイケメン日本人男の
おももちである。ところで、私は
マラソンも含めた中長距離競走で
うしろを振り返る選手があまり好きでない。
♪振っ、りっ、向っ、かっ、
なっはははいいでぇーーー♪
と歌ってしまいそうになる。といっても、
南京豆と南京虫、落花生と落下傘、
の違いが判らない拙脳なる私は、
同選手が振り返ったかどうかは覚えてない。ともあれ、
同選手は五輪への希望が叶えられそうだ、
ということである。が、そのいっぽうで、
小出監督排除のために
故意で高橋尚子選手の五輪連覇を阻止した前科を持つ、
傭兵は死なず消え去りもしない
某連盟の某有力者からことつかったラビットが
スペシャル・ドリンクを間違えて取ってみたり、
故意に見えにくく取りにくい場所に置かれて
本人に飲ませないような工作によって
足をひっぱられた「非実業団」選手は、
今までの努力が報われない結果に終わった、
と2ちゃんねるその他でつぶやかれてる。
「閠」という字は、「門」(もんがまえ)の中に
「王」あるいは「玉」、ではなく、
「壬」であるのが本来だという。
「壬」は「妊娠」という言葉があるように、
「胎児」を表してる。
胎児は倖田來未女史に言われるまでもなく、
「羊水」に包まれる。胎盤は胃の上にはないが、
お元気ですか? である。ともあれ、それで、
「壬(ジン)」は、
「水の兄(みずのえ)」「ふくらむ」などと訓じられる。
卵膜は出産時に破れ、「破水」して羊水が溢れる。
これが、「誕生」……いままでになかった人が産まれた
……である。つまり、
新たに加えられたもの、
既存のものに差し挟む、
などの意味に転じる。それが
閏月、閏日、である。非実業団選手は、
いままでにいなかった、連盟のはじけもの、なのである。
スペシャル・ドリンクはただの覆水と化した。
非実業団選手の母の悲しみの顔が
TV画面にクロウズ・アップされてた。

さて、
ツルゲーネフの小説は何がいいかって、それは、
主人公の男性の恋心が報われずに終わる、
ということにある。目出度しめでたし、
二人は幸せに暮らしましたとさ、で終わったのでは、
おとぎ話でしかない。ともあれ、
ロシア革命を半世紀前にした思想的な面は重要であっても
本質ではない。とはいえ、たしかにこの小説は、いわゆる
「農奴解放令」が出された1861年に着手された。小説の背景は
その2年前の1859年5月から翌年初めにかけてである。
まさに、「その前夜」だったのである。ときに、
「父と子」の前作であり、1860年に発表した「その前夜」は、
いわゆる"新世代"からは支持され、"旧世代"からは
メキシカンロック・ゴーゴー、非難囂々となった。そして、
「大規模農園」と「多くの農奴」を抱えてる大地主を母に、
由緒ある貴族ながら経済的に没落した家柄の父を持ちながら、
自身は「領主」たることを望まなかったツルゲーネフにとって、
「農奴解放」が実現してから書かれたこの「父と子」は、
祖国ロシアの将来への期待と絶望が入り交じってる。が、
フランスやドイツなどで多くを過ごしたツルゲーネフは、結局、
祖国にとって「余計者」だったのである。だから、
ツルゲーネフの小説の結末は、たいていが
きわめて感傷的なものとして描かれる。
想う女性が修道院に入ってしまったり、
自身が死んでしまったり。。。そして、
主人公とその相手の女性を取り巻くその他の
登場人物のその後。。。ゆえに、
ツルゲーネフの文章の圧巻はその
エピローグなのである。たいてい、
主人公がいなくなって他の人々には
平穏が訪れる。つまり、
主人公は同時代の人々にとっては
「余計者」なのである。が、この
「父と子」の主人公バザーロフは、言葉を換えれば
「時代を先取り」した思考の持ち主である点で、
他のツルゲーネフの小説の、
すでに過去のものである「余計者たち」とは一線を画する。
"Лишний человек(リーシニィ・チラビェーク=余計者)"
という呼称(英語ではsuperfluous manとされてる)は、
"Дневника лишнего человека
(ドニヴニカー・リーシニヴァ・チラビェーカ=余計者の日記集、(1850)"
というツルゲーネフの小説がもとになってるのだから、
ツルゲーネフの得意とする人物像であることに違いはない。
「ニヒリスト」という言葉も、ツルゲーネフの造語ではないにしろ、
この「父と子」で世間に流布した。

最終章である第28章は、
「残った者の後日談と、亡き者およびその遺族への哀悼歌」
というツルゲーネフの真骨頂である、
ヒトの心に静かにしかししみじみと染みこんでくる、
センチメンタルな「エピローグ」である。

"Прошло шесть месяцев. "
(プラシロー・シェースチ・ミェーシェツェフ。)
「六か月が過ぎた。」
という一文で始まる。第1章冒頭で、
ペテルブルク大学の友エヴゲーニー・ヴァシーリイチ・バザーロフを伴った
アルカーヂー・ニコラーェヴィチ・キルサーノフが父のもとに帰ってきたのが、
1859年5月20日(ユリウス暦)だった。そして、
物語は7月までアルカーヂーの家を中心に繰り広げられ、
エヴゲーニーが突然自分の家に戻り、その短い帰省のうちに
チフスに罹患して死ぬのである。つまり、
「六か月後」は「真冬」ということになる。
アルカーヂーと父はそれぞれに結婚し、
アンナ・セルゲーエヴナ・オヂンツォーヴァも再婚した。
パーヴェル・ペトローヴィチは皆に「永遠にさようなら」を告げて
プロイセン(ドイツ)のドレースデンを終の棲家とした。
キリスト教をばかにしたバザーロフだけに
「死」がみまわれたのである。そして、
そんな「悪魔」を産み出したエヴゲーニーの両親には
息子に先立たれるという過酷な晩年が待ってた。
信仰による救い……残された日々のよすがが、
そんなものだけなのである。なんと酷い、
虚しい現実なことだろう。ニヒリズムは結局、
キリスト教の前にひれ伏した。それを描くには、
空気が凍てつく冬のうら寂しい光景が似つかわしい。
前章の最後では、
[触らぬが、握り拳を、振り上げて、神の横面、はる威勢ぞ吹く]
という勢いだった父親も、その半年後にはシュンとなって、
「祈り」を捧げて亡き倅の思い出にふける、
という不甲斐なさである。
神をないがしろにした男の父親にも、
キリスト教の権威の拳が打ち据えられたのである。

以下、「散文詩人」ツルゲーネフが書いた最高の文章、
最終章の大詰めである。
不可逆な時の流れをどうすることもできない生物にとって、
こんな感傷の極みのような文章が、明治時代には
日本の侘び寂びに通じるものとして、
二葉亭四迷、国木田独歩、田山花袋、そして、
白樺派の連中に大きく影響を与えた。が、
ここ数十年間にもまして、
これからさらに読まれなくなっていくのが、
現状なのである。それもまた、
「時のうつろい」である。

"Есть небольшое сельское кладбище
в одном из отдаленных уголков России.
Как почти все наши кладбища,
оно являет вид печальный:
окружающие его канавы давно заросли;
серые деревянные кресты поникли и гниют
под своими когда-то крашеными крышами;
каменные плиты все сдвинуты,
словно кто их подталкивает снизу;
два-три ощипанных деревца едва дают
скудную тень;
овцы безвозбранно бродят по могилам…
Но между ними есть одна,
до которой не касается человек,
которую не топчет животное:
одни птицы садятся на нее и поют на заре.
Железная ограда ее окружает;
две молодые елки посажены
по обоим ее концам:
Евгений Базаров похоронен в этой могиле.
К ней, из недалекой деревушки,
часто приходят два уже дряхлые старичка.
муж с женою.
Поддерживая друг друга,
идут они отяжелевшею походкой;
приблизятся к ограде,
припадути станут на колени,
и долго и горько плачут,
и долго и внимательно
смотрят на немой камень,
под которым лежитих сын;
поменяются коротким словом,
пыль смахнут с камня да ветку
елки поправят, и снова молятся,
и не могут покинуть это место,
откуда им как будто ближе до их сына,
до воспоминаний о нем
… Неужели их молитвы,
их слезы бесплодны?
Неужели любовь, святая,
преданная любовь не всесильна?
О нет! Какое бы страстное, грешное,
бунтующее сердце ни скрылось в могиле,
цветы, растущие на ней,
безмятежно глядят на нас своими
невинными глазами:
не об одном вечном спокойствии
говорят нам они,
о том великом спокойствии
≪равнодушной≫ природы;
они говорят также о вечном примирении
и о жизни бесконечной…

(拙カタカナ発音)
イェースチ・ニバリショーエ・シェーリスカエ・クラードビシシェ・
ヴ・アドノーム・イズ・アッダリョーンヌィフ・ウガルコーフ・ラシイー。
カーク・パーチチ・フスェー・ナーシ・クラードビシシャ、
アノー・ヤヴリャーエト・ヴィート・ピチャーリヌィ。
アクルジャーユシシエ・イヴォー・カナーヴィ・ダヴノー・ザーラスリ。
スェールィ・ヂェリヴィヤーンヌィ・クリェースティ・パニークリ・イ・グニーユト・
パト・スヴァイーミ・カグダータ・クラーシェヌィミ・クルィーシャミ。
カーミェンヌィエ・プリーティ・フスェー・ズドヴィーヌィティ、
スローヴナ・クトー・イフ・パタールキヴァイェト・スニーズ。
ドヴァー・トリー・アシシパーンヌィフ・ヂェーレフツァ・イェードヴァ・ダユート・
スクードヌユ・チェーニ。
オーフツェ・ビズヴォーズブランナ・ブローヂェト・パ・マギーラム……
ノ・メージドゥ・ニーミ・イェースチ・アドナー、
ダ・カトーラィ・ニ・カサーイェツァ・チラヴィエーク、
カトールユ・ニ・トープチェト・ジヴォートナエ。
アドニー・プチーツィ・サヂャーツァ・ナ・ニヨー・イ・ポーユト・ナ・ザーリェ。
ジリェーズナヤ・アグラーダ・イヨー・アクルージャイェト。
ドヴィェー・モーラディエ・ヨールキ・パサージヌィ・
パ・アボーイミ・イヨー・カンツァーム。
イヴギェーニィ・バザーラフ・パハローニェン・ヴ・エータィ・マギーリェ。
ク・ニェーィ、イズ・ニダリョーカィ・ヂェリェヴーシキ、
チャースタ・プリホーヂェト・ドヴァー・ウジェー・ドリャーフルィエ・スタリーチカ。
ムーシュ・ズ・ジェーナユ。
パッヂェールジヴァヤ・ドルーク・ドルーガ、
イドゥート・アニー・アチェジェーリフシェユ・パホートカィ。
プリブリージェツァ・ク・アグラーヂェ、
プリーパドゥチ・スタヌート・ナ・カリェーニ、
イ・ドールガ・イ・ゴーリカ・プラーチュト、
イ・ドールガ・イ・ヴニマーチェリナ・
スモートリェト・ナ・ニモーィ・カーミニ、
パト・カトールィム・リジーチフ・スィン。
パミニャーユツァ・カロートキム・スローヴァム、
プィリ・スマーフヌト・ス・カームニェ・ダ・ヴィェートク・
ヨールキ・パプラーヴィェト、イ・スノーヴァ・モーリェツァ、
イ・ニ・モーグト・パキーヌチ・エータ・ミェースタ、
アトクダー・イーム・カーク・ブーッタ・ブリージェ・ダ・イーフ・スィーナ、
ダ・ヴァスパミナーニィ・ア・ニョーム
……ニウジェーリ・イーフ・マリーtヴィ、
イーフ・スリズィー・ビスプロードヌィ?
ニウジェーリ・チュボーフィ、スヴィターヤ、
プリダーンナヤ・リュボーフィ・ニ・フスィスィールィナ?
オ・ニェート! カコーエ・ブィ・ストラースナエ、グリェーシナエ、
ブントゥーユシェェ・スェールツェ・ニ・スクルィーラシ・ヴ・マギーリェ、
ツヴィティー、ラーストゥシシェ・ナ・ニェーィ、
ビズミチェージナ・グリヂャート・ナ・ナース・スヴァイーミ・
ニヴィーンヌィミ・グラザーミ。
ニ・アブ・アドノーム・ヴィェーチナム・スパコーィストヴィイ・
ガヴァリャート・ナーム・アニー、
ア・トーム・ビリーカム・スパコーィストヴィイ・
「ラヴナドゥーシナィ」・プリローディ、
アニー・ガバリャート・ターグジェ・ア・ヴィェーチナム・プリミリェーニイ・
イ・ア・ジーズニ・ビスカニェーチナィ……。

「(拙大意)
ロシアの田舎の片隅の村に小さい墓地がある。
我が国のほとんどの墓のように、
悲しみに満ちた光景である。
墓をめぐらしてる溝は草に覆われ、
灰色と化した木製の十字架は、
かつてはきれいに塗装されてた笠屋根の下で傾き、朽ち果ててる。
墓石はみな、あたかも誰かが下から押し上げたかのように、
ずれてしまってる。
枝をむしり取られた二、三本の幹だけが、
ほんのわずかばかりの影をもたらしてる。
羊たちが何の障害もなく入り込んできて、
墓の中をうろついてるというありさまである……
がしかし、その中でひとつだけ、
人の手にも家畜にも荒らされてない墓がある。
ただ、夜明けに小鳥たちがその墓石の上に止まって
さえずるだけである。
その墓はきちんと鉄の柵で囲まれ、その両端には
トウヒの若木が植えられてる。
エヴゲーニィ・バザーロフがこの墓に埋葬されてるのである。
ここに、近郊の村から二人のだいぶ年老いた連れが足繁く通ってくる。
二人は夫婦である。
互いを支え合って重い足を引きずり、
鉄柵に近づくと、地面に膝をつき、泣きじゃくる。
そして、物言わぬ墓石をじっとみつめる。
その下に息子が横たわってるのである。
二人はわずかな言葉を交わすと
(おそらく「そろそろ墓を掃除するか」「はい」といった会話)、
墓石の埃を払い、トウヒの枝を整える。
そしてまた、祈りに戻るのである。
そうしていつまでもその場から離れることができずにいる。
なぜなら、そこが、息子に、
息子の生前の思い出に、より近いと思えるからなのだろう……
そんな二人の祈りは、二人の涙は、はたして無意味だろうか?
愛は、子を慈しんだ神聖なる愛情は、はたして力及ばぬことがあろうか?
いや、違う。
どれほど激しく、罪深い反逆的な精神がその墓に潜んでようと、
その上に咲いた花々は汚れなき目で穏やかに我々を見つめてる。
花々は永遠のやすらぎだけを、
自然の「人智の及ばぬ」あの偉大なるやすらぎだけを
我々に語りかけてるのではない。
その花々は永遠の憩いに加え、(キリスト教の神が創造した世界の)
終わりなき命が綿々と続いてくことをも語ってるのである……。」
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