チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ツルゲーネフ 初恋(はつ恋) 出版から150年/女王様ゲームと私」

2010年03月22日 23時17分40秒 | 事実は小説より日記なりや?

ツルゲーネフ 初恋


「初恋」(Первая Любовь ピェールヴァヤ・リュボーフィ)は、
1860年に発表されたイワン・ツルゲーネフによる中編小説である。
中年になった私(ヴラジーミル)が16歳のときの初恋について回想する。
夏をモスクワ郊外の短期貸別荘(ダーチャ)に一家で過ごすことになった16歳の私は
隣の離れを借りた没落公爵家の令嬢ジナイーダに恋する。
まぶしいほど美しく女王のように多くの崇拝者に囲まれたジナイーダはしかし、
どうやら別の男と恋仲らしいとわかるのだったが……。
ここでは最後に、ツルゲーネフの真骨頂ともいえるエピローグの最後の場面を、
ロシア語の原文、そのカタカナ発音、そして私の日本語訳と、
並べてみていくことにする。また、
ツルゲーネフがこの小説の登場人物たちにつけた名前の意味を探っていく。

[Тургенева "Первая Любовь"]

今年は、現在ほとんど忘れかけられたロシア人文豪
イヴァーン・スィルギェーェヴィチ・トゥルギェーニィフ
(いわゆるイワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ)の
「ピェールヴァヤ(Первая=初めての)・リュボーフィ(Любовь=恋)」
(はつ恋、First Love)が発表され(1860年)て
150年である。私が中1のときに日本で封切られたドイツ映画
"Erste Liebe(エアステ・リーベ=初恋)"は、その前年、
出版後110年の1970年に製作されたものである。
監督・主演:マクスィミリアン・シェル、ズィナイーダ役:ドミニク・サンダ、
主人公ヴラヂーミル(映画ではアレクサンダー)役:ジョン・モルダー・ブラウン。
あれから40年が経ったが、映画を観に行った土曜日が
雨だったことはよく覚えてる。ちょうど私も
片思いの初恋中だったので、もの憂い感情と
日比谷・銀座のいささか古めかしかった
カイユボットのパリの街角の雨の絵のような景観とが重なって、
妙な趣があるように感じられた。

ツルゲーネフの中編小説「初恋」は著者自身の実話に基づいてるらしい。
ツルゲーネフはそれで深く傷ついたようだが、私の場合は
本当に一方的に思ってただけなので、
ヴラヂーミルのように好きな人とキスをしたこともなければ、
1度たりともデイトをしたこともない、
という惨めなものだった。。
幼稚園に入った5歳のとき、すぐに私はその女の子に惹かれた。
その子はピアノを習ってた。
その子に書いてもらった「巨人の星」の主題歌の
「カタカナ楽譜」が、唯一、その子との接点だった。
いまでも大事に宝物として持ってる。
私のような者にもそんな親切を施してくれる
慈悲深い子だった。が、それよりも何よりも、
その子は美くしかった。かつ、可愛かった。でも、
子供なのに常に翳がある、こちらが
くるおしく恋焦がれてしまうような子だった。
その子には1つ違いのお姉さんがいた。
仲がいいと聞いていた。お姉さんは
妹よりも和風な顔をしてたが、やはりきれいだった。
その子は小さい頃から背は高いほうだった。
その子のお母さんも背が高かった。そして、
やはり暗い感じがする人だった。
その子を最後に見かけたのは28歳のときだったが、
165cmくらいだった。私がもっとも好きな女性の身長である。
ちらっとしか見れなかったが、美人な大人になってた。が、
やはり暗い感じがした。そんな謎めいたとこにも
惹かれてたのかもしれない。その子の名のイニシャルが
SSだったので、私はずっとその子のことを、ドイツ語のあの文字、
"Eszett=エスツェット"という符牒で表してた。また、
S→Es(ドイツ語での音名=変ホ)、そして変ホ音が主音である
変ホ長調(3♭)から、♭(フラット)と同じ位相であるbを3つ重ね、
passionbbbというエイリアスを作った。ともあれ、
伴侶にはその子しか考えれなかった私には、
その子がいない人生など無意味だった。それでも、
チャイコフスキーの音楽を思い浮かべることができなくなるのが
怖いので死ぬこともできない弱虫である。だから、
10代終わり頃から20代前半は、
医学でもやろうかとしてたこともあったが、
自分が満たされてもないのに、なぜ
世のため他人のためになんてならなければいけないんだ、
とそれも辞め、自堕落なプー太郎生活を送った。
そこらへんの虫けら以下の価値もない私である。

が、親孝行のためには少しくらい働かねばと思って、
全頭マスク覆面作家キャンドル・ドエストドエムスキーというPNで
「蜜(ミツ)と唾(ツバ)」に引き続き「尻だけいれられた人々」、
イヤーン・ツルツルケネーエフというPNで
「蝋人日記」「乳(チチ)と股(コ)」、
デブ・タルフトイというPNで
「変装とゲイ話(ワ)」「イヤンのバカん」、
などを書いたが、もともと著述なんかする器でもないのに、、
ろくなものが書けるわけもなかった。だから、
才能のかけらもないのに粗末な詩を
せっせとかきづづけてるような人を見ると、
その哀れな姿に胸がジーンときてしまう。ともあれ、
いまも風の向くまま気の向くまま、
親の脛かじりなオヤジである。そんな私でも、
合コンは大好きで、ロシアン・ルーレット(もちろんオモチャの銃)ごっこや
王様ゲイムもずいぶんとやった。そして、
「王様ゲームって、ツルゲーネフの『初恋』っていう小説の中に
出てくるфанты(ファーンティ)っていう罰金ゲームがモトネタなんだよ」
なんていうホラで相手の女の子たちをかついだこともあった。が、
我々合コン仲間は、王様になっても、必ず、
かたほうを女性が引くくじにして「女王様」に、
いっぽうを男性が引くくじにして「M男」に、という
罰ゲイムにすることにしてた。たとえば、
「女性1番の女王様が口にふくんだウォッカを、
男性3番のM奴隷の顔に霧吹きのように浴びせる」
けっこう女性軍にウケたゲイムだった。実際には、
ここでは書けないようなキワドイことまでしてた。中には、
一昨日の夜にやってた明石家さんまの
「恋のから騒ぎご卒業スペシャル」を録画しといたのを見たが、
慶大商学部卒で米国公認会計士資格を持つ
大橋慶子女史よりはるかにエロい女性もいた。

ツルゲーネフ「初恋」(全22章中、第7章から)
мы играли в фанты;
(ムィ・イグラーリ・フ・ファーンティ)
「我々は罰金ゲイムをしてたんですよ」
княжна подверглась штрафу, и тот,
(クニジナー・パドビルグラーシ・シュトラーフゥ、イ・トート)
「公爵令嬢が罰金を支払う状況なんです」
кому вынется счастливый билет,
(カムー・ヴィニェーツァ・シシャスリーヴィィ・ビリェート)
「幸運な当たりくじを差し出すものに」
будет иметь право поцеловать у ней ручку.
(ブーヂェト・イミェーチ・プラーヴァ・パツィラヴァーチ・ウ・ニェーィ・ルーチクゥ)
「彼女の手に接吻する権利が与えられるっていう」

княжна(公爵令嬢)とは、
16歳の主人公ヴラヂーミル(いわゆるウラジーミル)の初恋の相手、
21歳のズィナイーダ(いわゆるジナイーダ)のことである。
1833年初夏のモスクワ郊外、爵位のない下級貴族のヴラヂーミルの一家は、
夏を貸しダーチャ(ペンション)で過ごす。ヴラヂーミルは
大学受験を控えてる。その小汚い離れに、やはり避暑のため、
ザスィェーキン(いわゆるザセーキン)公爵の未亡人と令嬢が越してくる。
家格は高いものの、没落した貴族で、
ザスィェーキナ公爵夫人(いわゆるザセーキナ公爵夫人)は品のかけらもない。が、
娘ズィナイーダは輝くばかりの美しい女性だった。彼女は
ヴラヂーミルをМсьё Вольдемар
(ムシヨー・ヴァリヂェマール=ムッシュー・ヴォルデマール)と呼んだ。そもそも、
ヴラヂーミルという名は、キーエフ大公でキリスト教に改宗した
ヴラヂーミル(モナマーフ)の名として知られる。いっぽう、
ヴォルデマールはヴァルデマールとともに、Владимир(ヴラヂーミル)の
"ゲルマンふう"な言いかたである。それに、
フランス語のムッシュを付けて呼んだのである。ちなみに、
ヴラヂーミルという名は「支配者・偉大なる」という意味である。
ズィナイーダはギリシャ神話の主神であるゼウスがその由来である。

ズィナイーダには以前からの取り巻き野郎が5人ほどいて、
しょっちゅう遊びにきてた。
伯爵マリェーフスキィ(いわゆるマレフスキー)、
医師ルーシン、
詩人マイダーナフ(いわゆるマイダーノフ)、
退役大尉ニルマーツキィ(いわゆるニルマツキー)、
軽騎兵ビラヴゾーラフ(いわゆるベロヴゾーロフ)。
が、やがて彼らも、彼らの前では女王様のようなズィナイーダが
「ある男」の虜になってることを知って、冷めてくのである。
みんなは知ってたが、「おこちゃま」なヴラヂーミルだけには
誰も思わせぶりだけで教えてくれなかった。が、
やがてヴラヂーミルも知ることになる。
資産家の母と結婚したイケメンの父は、ズィナイーダにとっても
魅力ある男だったのである。そして、
ズィナイーダへの思いが「可愛さあまって憎さ百倍」な
マリェーフスキィ伯爵のヴラヂーミルの母へのチクリ手紙によって、
ズィナイーダとヴラヂーミルの父の関係は断ち切られる。
一家はモスクワ市街の家に戻ることになる。そこは
アルバート通りだと小説には記されてる。その以前……
といってもフィクションの1833年を起点にして……には、
この小説中に「グルジアの丘で」をズィナイーダがマイダーナフに
朗読してと名を挙げたプーシキンがその通り沿いに住んでた。
ツルゲーネフはそれを意識してアルバート街としたのかもしれない。
この小説の年代設定の50年後にツルゲーネフはパリで死ぬが、
その頃、アルバート街にはチャイコフスキーの弟モデストが住んでて、
チャイコフスキーもそこに滞在したのである。

それはともかく、
小説の第21章は、ヴラヂーミルに驚愕の結末が待ってる。
父に馬で遠乗りに連れてってもらったヴラヂーミルは、
ある場所で待ってるように言われる。が、父の戻りが遅く、
変なオジサンにからまれそうになったので、しかたなく、
場所を移動する。そのうちに、小路に入り込んだ。そして、
そこで窓にもたれかかって話しこんでる父を見つける。
窓の中にはズィナイーダがいた。そして……
ズィナイーダが姿勢を正して片腕を差し出すと……
父が乗馬鞭でその腕を打ちすえたのである。すると、
ズィナイーダは鞭打たれた箇所を唇に近づけて、その
赤くミミズ腫れになってる鞭痕に接吻をしたのである。
父はたまらず鞭を放り投げて家の中に入っていく。
ズィナイーダはドアのほうに振り返り……また体と体で結びついたのである。
ヴラヂーミルはショックで泣いた。初恋の、崇めるような存在だった
ズィナイーダが鞭打たれて、しかも従順に、父の言いなりになって……。

とはいっても、その2箇月後、ヴラヂーミルは無事に大学に合格する。
設定はおそらく、ツルゲーネフ自身の、モスクワ大から
家族の転居とともにペテルブルク大に転入した、
という事実に基づいてるのだろう。そして、
事実のとおり、父はペテルブルクに転居してすぐに
脳卒中で死ぬ。
トゥルギェーニフが言ワンとしたことは……というより、
常にツルゲーネフは「エピローグを描くため」に、
そこまでの話を作るのである。が、この
「初恋」だけはほとんどノンフィクションなようである。
第22章(最終章)は、ツルゲーネフの小説の醍醐味である
うらさびしい、がしかし記憶の海馬桶に深く刻まれる、
せつない感情を揺り動かす「後日談」である。

4年の月日が流れ、ヴラヂーミルは大学を卒業する。
金持ちのボンボンなので仕事に就くこともなく、
ブラブラしてたある晩、劇場でマイダーナフに会う。
「ドーリスカヤ夫人がここにいるの知ってる?」
ドーリスキィという男と結婚してたズィナイーダのことだった。
ペテルブルクに滞在したのちに外国にいくという。
彼女はホテル・ヂェムート(いわゆるデムート。これも実在のホテル)に
泊まってると、マイダーナフは教えてくれた。
ヴラヂーミルはすぐに会いに行こうとするも、
何やかやで2週間経ってしまった。そして、やっと
мою "пассию"
(マユー・「パーシシユ」=マヤー・「パーシシヤ」の対格=私の「恋人」を)
を訪ねる。が、
ドーリスカヤ夫人は4日前にお産のため死んだと告げられる。
あれから4年。ズィナイーダはまだ25歳だった。
あの「鞭打ち」のショックとはまた別のショックを受けた
ヴラヂーミルは、ある老婆の死に自ら立ち会う。
そして、この痛々しい小説はこう結ばれる。

И помню я, что тут, у
……одра этой бедной старушки,
мне стало страшно за Зинаиду,
и захотелось мне……
помолиться за нее, за отца
- и за себя.
(イ・ポームニュ・ヤー、シトー・トゥート、ウ
……アドラー・エータイ・ビェードナイ・スタルーシュキィ、
ムニェ・スターラ・ストラーシュナ・ザ・ズィナイードゥ、
イ・ザハチェーラシ・ムニェ……パマリーツァ・ザ・ニヨー、ザ・アッツァー
……イ・ザ・スィビャー)
「よく覚えてるが、
そのみすぼらしいお婆さんの臨終に立ち会った私は
ズィナイーダのことを思い浮かべて恐ろしくなった。
そして、彼女のため、父のため……
それから自分自身のために、祈りたくなったのである」

この、ジーナというよりはジーンと心に残る寂寥感、後味。
ツルゲーネフの小説の本質である。この小説が
事実に基づいたものとしても、ツルゲーネフは
父とズィナイーダを「死なせる」ことで、
話を決着させた。ヘルマン・ヘッセが
「車輪の下に」で主人公ハンスを死なせることで解決したのも、
同じである。そうすることが、
「生き残って平凡に生きてく者」には平穏をもたらす
最良の解決法なのである。ちなみに、
Дольский(ドーリスキィ=いわゆるドーリスキー)、
(女性の場合は)Дольская(ドーリスカヤ))は、
долить(ダリーチ=克服する)という動詞との
語呂合わせなのではないかと私は推測する。
ズィナイーダへの思いと残酷な失恋を克服するには
そんな名に変わってることが望ましいのである。そして、
結婚前のズィナイーダの家族名である
Засекина
(ザスィェーキナ=いわゆるザセーキナ)、
(男性の場合は)Засекин
(ザスィェーキン=いわゆるザセーキン)が、動詞
засекать (ザスィカーチ)をもじった
ツルゲーネフの造語であることは、
加藤清史郎クンと歌謡曲作曲家の都倉俊一の顔の区別ができない
拙脳ながら、オヤジギャガーなダジャレストである私にしか
解らないことである。動詞
засекать (ザスィカーチ)は、
「鞭で打ちのめす」「鞭打って殺す」という意味なのである。

ツルゲーネフ自身は24歳のときにお針子に娘を産ませたが、翌年、
スペイン人歌手ポーリーヌ・ヴィヤルドー夫人(シコメである)に魅せられる。
ヴィヤルドー夫人を40年間愛し続け、1883年、64歳のとき、
パリ郊外のヴィヤルドー夫人の別荘で夫人に看取られながら死ぬ。

エスツェットがいまどうしてるか知らない。いくら、
芸能人になろうとか著名人になとうとかいう気がない、
自己顕示欲がない、売名欲や邪心がない子だったとはいえ、
あれだけきれいな子がそこらへんのオバサンでいれるはずがない。だから、
ひょっとしたらもうとっくにいないのかもしれない。が、
どうであっても、私の虫けら以下の拙脳の中には、
あの憂いを秘めた瞳といじらしいほど艶がある唇が
毎日よみがえってきて、どうすることもできない
せつない気持ちがこみあげてくる。
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8 コメント

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Unknown (N.E.)
2010-03-27 22:29:14
私は英米文学科の学生で(専攻は19世紀アメリカ文学です)ロシア語もロシア文学も専門外ですが、ツルゲーネフの「はつ恋」は中学の時に新潮文庫で読んではまった小説でした。最近また新訳を読んだばかりなので(新訳のですます調は違和感があってだめでした)、他の人の感想なども知りたくてネット検索していたらこちらが上位にランクされていたので拝見しました。自分の感想や他の人の書評とは全く違うアプローチなので興味深く読ませていただきましたが、ジナイーダの姓ザセーキナの意味を解き明かした人に出くわしたのは初めてです。目からうろこで正直すごいと思いました。
返信する
「座席名(ザセキナ)」 (passionbbb)
2010-03-29 00:18:23
N.E.さん、
コメント、ありがとうございました。
「鞭で打ちのめす」「鞭打って殺す」という意味の動詞
засекать (ザスィカーチ)は、通常は、
засечь(ザスィェーチ)という語が使われますから、
ロシア文学の専門家でも
Засекина((ザスィェーキナ=いわゆるザセーキナ))に
思い当たらないのがふつうです。文学は
言葉を扱う表現形態なので、たとえば、
「A列5番」などという座席に「英語」なんていう
符牒や語呂合わせやダジャレが
思いのほか用いられてるものですね。
返信する
初めまして (愚リゼット)
2013-12-04 18:43:37
初めまして。文学、音楽好きな『昔々乙女』です。
『初恋』をうん十年ぶりに読み返して
ネットを探していましたら、
このチャイコフスキー庵さんに
めぐり合うことができました。


『初恋』の解説が面白すぎて、
大変レベルの高い解説にもかかわらず、
笑いっぱなしで楽しませていただきました。
有難うございました。

ドーリスカヤ夫人の名字の意味、
ザセーキナ公爵の意味には
以前コメントされた方と同じように
目から鱗…!
そうだったのですね。

また、
カイユボット展をこの秋
ブリジストン美術館で
見てきたばかりなので
嬉しかったです。


『初恋』では鞭を小道具として使われていますが、
鞭と聞いたら

ラベルのピアノコンチェルトに跳んで
youtubeでミケランジェリの映像まで楽しんでしまいました。


あの~
一つ質問なのですが、
ジナイーダの語源はゼウスと書かれていましたが、
グイネヴィアも同じ語源でしょうか?

ジナイーダのイメージがグイネヴィアにも
かさなります。

アーサー王を裏切って、ランスロット騎士と
不倫する行程が。

ウラジミール君はアーサー王にもみえました。
返信する
「New York City Serenade」 (passionbbb)
2013-12-05 00:55:25
Grisetteさん、
いろいろな話題にふれつつもジナーダにヴィクトル融合なさったコメント、ありがとうございます。
アーサーというと私はアート・ガーファンクルとか故ダドリー・ムーアの「ミスター・アーサー」を想起してしまいます。そして、
ダドリー・ムーアといえば「テン」。「テン」といえば「ボレロ」です。「ボレロ」といえばフルートの次に出てくるのはクラリネットですが、故ジャック・ランスロが吹いたのは聴いたことがありません。
ラヴェルのpfコンチェルト用の鞭は二重になったパドルの類なので、背中を打ち据えるというよりはカヌーでも漕ぐほうが合ってそうですね。

「カヌー」ではありませんがカイユボットはまた近々「鳩山ブリヂストン石橋」ではなく「ヨーロッパ橋」を採りあげる予定です。
Guinevere(グィネヴィア)はフン族の侵入で引きおこされたゲルマン民族大移動で北や西に追いやられたケルト族の語Gwenhwyvarが元で、
Gwenhは「美しい←白い←明るい」、wyvarは学者の間では意味不明とされてますが私見では現代英語のwifeで「女性」「妻」を表してます。
少なくともゼウスに関係ないことは確かです。
グィネヴィアとジナイーダは、地鶏と比内鶏がごっちゃになって地内鶏だかジナイダか判らなくなってしまってたような拙脳なる私にはまったく結びつきませんでした。
事後修道院に入って愛した男性を拒絶するところはむしろ「貴族の巣」のリーザが似てるかもしれません。

ついでにふれると、
hwit(→gwit→swit)は「太陽の明るさ→白」を表した接頭辞で、英語のwhite、スラヴ系のsvet-(ロシア語はそのまんまスヴィェート)も同語源で「光」を表します。これらの接頭辞の頭がとれて尻尾のtがsに子音交替したものがドイツ語のweiss(白)です。この接頭辞のgwi-に分詞の形でnhが附いたものもしくは「-から生じた」という意味の接尾辞「-gen」が附いてgwenという形になったと思われます。
ちなみに、
Gwenhwyvarの現代英語形がJennifer(ジェニファー)で美人(fair=色白、金髪)の代名詞です。そのチェコ語形がJenufa(イェヌーファ。uは本当は特殊文字)です。それから、イタリアのGenova(ジェノヴァ)やスイスのGeneve(ジュネーヴ)はやはりケルト族の言葉の同語源で「明るい場所」→「開けた地」→「入口」「入江」を意味します。北イタリアで織られてジェノヴァ港から各地に送られたインディゴ染め生地がフランス語でGenes(ジェーヌ)→それがゴウルド・ラッシュのアメリカで幌馬車のホロやパンツ生地に使われてJeans(ジーンズ)となりました。

返信する
ありがとうございました。 (愚リゼット)
2013-12-05 11:06:04
passionbbbさま


年々老いさらばえていく身の上ですが、
まだまだ新しい事を発見できて、
熟年もまた楽しからずやです。

ジナイーダとグイネヴィアの違いを
詳しく丁寧に教えていただき、
有難うございました。

パドル
カヌー
ヨーロッパ橋…カイユボット展、良かったですよ。

ヴィクトル融合

チェコ語ではイェヌーファ

目から鱗、再びです。

貴族の巣も読んでみたいと思います。
その昔、古本で映画のパンフレットを
買った覚えがあります。

リーザ役の女優さんが美しかったからで
そのパンフレットもいずこへです。


また今後も楽しいブログ読ませていただきます。
有難うございました。


p.s.
「New York City Serenade」
というタイトル
有難うございました。
嬉しいです。
返信する
「あゝ無情のお約物ごと」 (passionbbb)
2013-12-05 23:46:43
Grisetteさん、再度のコメント、ありがとうございます。
そのHNから、てっきり「レ・ミゼラブル」がお好きなのかと思ってコメ返の最後に
"?"
と打ってみたのですが、
(cf;「耳だれ雨だれは初版の調べ(?...!)/ヴィクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』出版から150年」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/c6327f3366200f0afd7ada10cd051438 )
"!"
というお返事がいただけず、
"クリストファー・×(クロス)"
だったかと、我が身の至らなさを深く反省してる次第です。

「ドゥヴァリャーンスカエ・グニェーズダ(貴族の巣)」は日本語訳本は現在はおそらくすべて絶版になってるでしょう。
図書館で本を借りるのが嫌いなので読みたいものはすべて買ってますが、
本の表紙カヴァーが邪魔ですぐに捨ててしまうので手元には残ってないのですが、
13歳のときに買った角川文庫の表紙カヴァーの表1・表4・折り返しすべてがその映画の主役女優さんの画撮でした。
映画は私が11歳のときの制作なので、翌年の封切り時は観てないのですが、後年、DVD化されたときに買いました。
でも、肝腎のエピローグの修道院の聖歌隊席の絶妙のスィーンが映画にはないんですね。
(cf;「ツルゲーネフ『貴族の巣』(1859)のエピローグ」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/50de0e116ce881bb540109e07ae5ea35 )
カット割りのセンスもまったくない、いかにもソ連の文学作品映画化という感じの陳腐な代物です。

あ、すいません、あともうひとつだけ(このセリフはアーサー王ではなくて小池アーサーオーでしたが)……
今年のイエス、ウィ・キャン、ユー・キャン流行語大賞は、
「オバマケア」「政府機関閉鎖」「米政府債務不履行危機」「イランの核兵器」「シリアの化学兵器」
ではなく、
「じぇじぇじぇ!? 倍返しのお・も・て・な・しするんなら今でしょ!」
(能年玲奈・堺雅人・滝川クリステル・林修)
だそうですが(個人的には「バナメイエビ」に一票ですが)、65年前の流行り言葉は、
「老いらくの恋」
(川田順・鈴鹿俊子)
だったそうです。
"The best that you can do, 's December Love."(*⌒∇⌒*)
返信する
Unknown (愚リゼット)
2013-12-06 06:30:01
passionbbbさま

教養審査に見事に落っこちまして、
そこが、フォンメック夫人ではなく
愚リゼットの愚リゼットたるゆえんで、面目躍如でございます。

耳だれ ?、雨だれ!
知りませんでした。
教えていただいてありがとうございます。

こちらのブログでは
読書の楽しみ以上に、解説を読む楽しみを
満喫させていただいております。
返信する
Unknown (passonbbb)
2013-12-07 23:38:46
Grisetteさん、再再度のコメント、ありがとうございました。
また何かありましたらご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。
返信する

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