今日は少々悔しい。何故かと言うと、数日来身近な人々に
喋っていた、輿石の悪の真骨頂を、今日の関西ローカル、
「アンカー」で、青山繁春氏によって、先に発表されてしまった
からである。今日ほど週三回の透析の身を呪ったこともない。
青山氏は丸でボクが用意していたブログの先読みをしたのか
と思いたくなる程に、今日のアンカーでは、密かにボクが暖めて
いたネタを全部喋られてしまったからだ。
関西ローカルだから、視聴者も限定される。勿論ボクのブログを
読みに来てくださる方々も限定される。
要点はこうである。
ミンス(サヨク支配の民主党のこと)の実質独裁者、輿石は野田
はもう役に立たぬと腹を決めている。
代わりのサルが、猿回しには必要になる。
そこで悪党の親玉が考えついたのが、野田降ろし、細野起用で
あるとボクは睨んだ。先日来ボクはブログで、輿石が独裁権を
握り、野田に解散ではなく、内閣総辞職を命ずると考えた。
一度の選挙で、四人目の総理を作ろうとの企みである。
あの汚い顔で、しかもデカイ面の野田の賞味期限が来たと判断。
そして原発問題担当相の細野が、パッと見には、背も高く格好が
良いから野田に代えて新しいサル細野を起用し、一時的にせよ
支持率アップを狙うだろうと予測したのである。
そのために猿回しは輿石で、野田は単なるサルに過ぎぬと書いて
来たのだ。
大勢の離党者が出たものの、細野起用で支持率アップが望める
のなら党内はまとまると、あのワルが思いついたと読んだのである。
細野たって、原発問題で何かをしたかと言えば、実は何もしていない。
管が自分の人気凋落の支えとして起用した。唯それだけの男である。
だが山本モナの元カレだけに、ミーハー票が高まる恐れはある。
輿石がミンスを独裁し、野田の解散権も使用させない。
今のミンスの党内は、次期選挙をどう戦うかで頭いっぱいの輩集団。
少しでも支持率アップにつながるとならば、一斉にワルになびく。
小沢の「生活が第一」にしても、旗色は冴えない。細野は小沢にも
気に入られていたから、輿石は密かにこの案で小沢派のカムバックも
考えているだろう。
そうなれば、衆院の任期いっぱい、すなわち来年の八月までは、ミンス
は国会に居残ることが出来る。
野田は孤立し、いまや総理の権限も無い。かつての盟友前原が野田への
友情からのメッセージを送ったが、ワルは前原の政調会長の職も奪い、
国家戦略担当という、名前だけは勇ましい閑職に追いやった。
先の内閣改造の主目的が、前原外しにあったとも見える。
輿石は見かけ以上のワルだ。そして見かけ以上に悪知恵が廻る。
野田は決まり文句だけを言う。
任命責任は有りますと。言葉だけの「任命責任」。
その言葉が持つ重みが感じられない。
苦し紛れの拉致担当が藤村とは驚いた。
誰も担当大臣が居ないのと同じこと。
藤村の談話は官僚言葉以上に空虚だ。
何かといえば、「それ以上でも以下でもない」
その言葉は、若い人が使う言葉だ。
「友だち以上、恋人以下」と。
法相の代わりが、滝だと言うのもふざけた話。
自ら法相の任にあらずと、それで田中に代わった男の
再登場で誤魔化す。
輿石は「解散なんかやらねえよ」と嘯いているらしい。
日本国を乗っ取ったサヨクの高笑いか。
これでクーデターは起きないのは、果たして喜ぶべきか。
国民は、もう税金を収めるのを拒否しよう。
それで当座のカネにも困るところには、各自寄付を行なおう。
ボクは今年は山中教授の研究室に贈るつもり。
任命責任は有りますと。言葉だけの「任命責任」。
その言葉が持つ重みが感じられない。
苦し紛れの拉致担当が藤村とは驚いた。
誰も担当大臣が居ないのと同じこと。
藤村の談話は官僚言葉以上に空虚だ。
何かといえば、「それ以上でも以下でもない」
その言葉は、若い人が使う言葉だ。
「友だち以上、恋人以下」と。
法相の代わりが、滝だと言うのもふざけた話。
自ら法相の任にあらずと、それで田中に代わった男の
再登場で誤魔化す。
輿石は「解散なんかやらねえよ」と嘯いているらしい。
日本国を乗っ取ったサヨクの高笑いか。
これでクーデターは起きないのは、果たして喜ぶべきか。
国民は、もう税金を収めるのを拒否しよう。
それで当座のカネにも困るところには、各自寄付を行なおう。
ボクは今年は山中教授の研究室に贈るつもり。
およそ40回ばかり訪れた、ウイーン空港に飛行機が着き
空港の中をゲートに向って走る、その通路の傍には緑地が
あり、ウサギが住み着いていた。
もう何代かにわたって住み慣れたウサギたちは、生まれながら
に航空機の爆音にも馴染んでいたかのようで、行く度に一家
が揃って出迎えてくれたものだった。
ここで生まれた子ウサギも、餌の豊富な緑の中で育ち、ボクが
行く度に「お帰りなさい」と迎えに出てきてくれたものだった。
95年に神戸市を直撃した大震災で、何より大阪への交通アクセス
を失ったボクは、毎日マイカーで通れる道を探しながら、芦屋川
を渡るために、山から海辺にかけて狭い道を探す毎日であった。
そのストレスが腎臓に来た。ボクは大連で生まれたベイビーの時代
にすでに猩紅熱を患い、高熱の日々が続いたらしい。
腎臓はすでに傷んでいたのだった。
ストレスが原因で、病状を悪化さえると言うのは本当だ。
それから2年後に、明らかな腎不全の症状が出てきて、97年の
10月1日にボクは透析患者になったから、もうウイーンには行く機会
もなくなった。
あの空港のウサギたちは、今も元気に暮らしているだろうか。