家康は関ヶ原で殺された。
残ったのは替え玉にされた別人だ。
この説を唱える人は、江戸時代から結構居たらしい。
講談でお馴染みの大久保彦左衛門が、子孫の為にと
書き残した三河物語にも、そもそも徳川家なんて、
流れ者の勧進坊主だと書いてあると言う。
関ヶ原で家康を倒したのは島左近だというのが
有力な説で、戦後いくら調べても島左近の姿が
見えなかったことと相俟って、かなり有力な説になっている。
次に多いのが大阪落城の際に、眞田幸村によって
首を取られたという説。
家康は眞田勢の肉薄の前に、旗本・小姓どもが乱れ
散じて、自刃を覚悟したとの話は良く聞くこと。
それだけ家康を嫌う人間が多い証拠だな。
眞田幸村が家康を追い詰めた場所も分っている。
船場に予備軍として一隊を率いていた明石全登が、
眞田勢の応援に駆けつけ、みごと家康を亡き者にした
という話しを書いてみたい。
多くの会社にも吉田さんのような現場の鬼が居る。
訳の分からん重役共が時折やって来て邪魔をする。
そこで仕事をそっちのけに接待に汲々とする阿呆ども
が往々にして、馬鹿重役のお気に入りで出世をする。
サラリーマン社会なんて、そんなもんだ。
時に現場の事に要らん口出しするなと、
接待なんか知らん顔の武士が居る。
重役どもは無視されて腹を立て、武士の処分を相談する。
そうして会社の中から武士が追いやられ、
やがて会社は倒産する。
そんな歴史を沢山見てきた。
吉田さん 負けるな 一茶これにあり
(パパゲーノの本姓は小林)
現場を知らぬ輩がガタガタ言うな。優先事項は炉の冷却だ。
枝野や細野は何の役にも立たんスズメ以下の奴ばら。
海江田も事情が理解出来ず、ウロウロするだけの男。
なら官邸なんか何の役にも立たん。
班目という原子力安全委員長は
「ワタシは何だったんでしょう」
こっちが聞きたいわ。
菅は「政界のガレキ」で、単なる邪魔物。
吉田所長は現場を知る唯一の人。
信念を以って海水注入を続け、
1号機の冷却を止めなかった。
中断なんか指令した覚えがないと言い張った
「ガレキ」は帰国後何と言うのだろう。
自民だ民主だ、と言う前に「ガレキ」を片付けようぜ。