作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 2010年始動 】

2010-01-05 18:48:16 | 02 華麗な生活


新年は元日が金曜日に当り、いきなり腎人工透析の治療を
受けた。透析患者には元日もゴールデンウィークも無い
のである。

院長先生と婦長さんの配慮であろうが、所帯持ちのベテラン
組は休暇が与えられ、若手が総動員されていた。
医療スタッフの献身的なボランテイア的活動のおかげで、
透析患者は生かしてもらっているのだ。

昨年は脊柱管狭窄症の手術を断行した関係で、入院期間
こそ40日程度であったが、血圧が大いに狂ったため脳への
影響が心配された。精密な検査の結果は異常なしと出たが、
味覚障害まで起きたため、6月から9月までの約100日は
殆ど何も食べる意欲がなかった。
55キロの体重が47キロにまで激減した。

食欲が回復したのは10月に入ってからで、自分でも理解が
できぬ程に食べに食べた。夕食前にあんパンや饅頭などを
食べ、食後にはシューアイスを2個以上食べるような、
まさに餓鬼の行為であった。飢餓状態に陥った全身の
細胞がこれで蘇ってきた。体重は50キロ寸前まで回復し
年を越すことになった。

初詣は3日に地元の弓弦羽神社に行った。
御影にあるのだが樹木に囲まれていい雰囲気に浸る
ことができる。昨年はお願いが多すぎたと反省しているので、
今回は順調な手からの回復を感謝するだけにした。
この神社は参詣者も少ないからまだいいが、有名神社の
神様は大変だろう。僅かな賽銭で願い事が多すぎるから、
神様だって多数に押しかけられて、いい加減にしてくれと
悲鳴をあげて居られるのに違いない。

三宮に移動しそごう別館の二階にある「天一」で江戸風の
天丼を食べる。天丼となれば関西風はダメで江戸風に限る。
満足したから元町へ出て久方ぶりに「海文堂」で書籍を物色。
本を買うにはやはり書店に足を延ばすに限る。ネット通販
じゃ本当に読みたい本であるか否かが分かりにくい。

ボクの著書も男性作家のコーナーの中に置かれていた。
特に「炎の商社マン」にはもっと注目が集まっても良いのでは
と思うが、有名作家には対抗することが困難である。
ネームバリューが欲しいと痛感。

元町の通りは客足も少なく、お世辞にも繁栄しているとは
言い難い。道幅も広く買い物のしやすい商店街なのに、
大丸の人ごみとは別天地である。このままじゃ老舗の
多くが早晩行き詰るのじゃないか。
老舗の一軒で名物の「きんつば」を購入。

4日初出社。IT時代に如何に対処するかがキーとなろう。
この日にも透析がある。勤務は午前11時まででクリニックに
移動。
透析直後の体重が、手術後初めて50キロの大台に乗った。
昨日の出歩きの影響で肩や膝・太ももなどに筋肉痛が
出ている。これは結構なことで、それだけ筋肉が付いて
きたのだと良い方に解釈する。筋肉があるからこそ
筋肉痛も出るのであろうから。

透析が終って、まだ午後5時前だったから、3週間前から
再開しているマイカー運転で、JR住吉駅に隣接する
「シーア」に立ち寄る。ここでヒロタのシューアイスを買う
のが目的である。
通常100円のシューアイスが25個以上購入すると
トータル金額が¥2000になるとのことで、これだと単価が
¥80の大幅なデイスカウントになる。
このヒロタはいったん倒産の憂き目にあった過去を持つが、
みごとに会社再生法で立ち直った。
再生を果たしたのは女性企業家であった。

「シーア」の店内に関西では珍しくたい焼きの屋台が出ていた。
この年齢になって、たい焼きを食べるのは初めてのことである。
鯛の尻尾まで餡が詰まった旨いたい焼きであった。
昨日元町で購入した「きんつば」といい、このところ甘いもの
を摂りすぎている。身体がまだカロリー不足を訴えている
からこれでいいのだが、ぼつぼつ得意の栄養分析による
食事に戻すことになろう。

 
                    パパゲーノ


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【 新・腰痛治療日記(5) 】

2010-01-05 18:41:40 | 08 腰痛治療日記


問題の5月21日はすぐに来た。
担当のナースが一人でベッドを押して手術室に向かった。
麻酔担当のドクターが先ず現れた。
ボクの記憶はそこで切れている。

ボクの病状からみて、手術にはもっと時間が掛かると
判断されたらしい。やや大目の麻酔が体内に入りボクは
昏睡した。
かなり難解な手術と見られていたのが、名医の腕によって
意外な短時間で終ったとは後で聞いたこと。1時間半で
終ったのに当の患者であるボクは何ごとが起きたかも
知らず、昏々と眠り続け深夜3時ごろになって漸く眼を
覚ます。
「小林さん、手術は無事に終りましたよ」との先生方の声は
確かに聞こえていたのだが、応答することが出来ぬままに
眠り込み、深夜に至ったのであった。

ボクは夢の世界にいた。何故か知らぬが近江の国に進軍
していた。大勢の近臣や部下が居た筈なのに、それらの
者から離れて一人で笹の生い茂るところに迷い込んでいた。
霧が深かった。
闇が迫っていたから夕刻であったろう。風が吹いて霧の
一部に晴れ間が出来て前方の景色が見えた。すぐ前に
川が流れていた。

姉川にしては狭すぎるから、これは藤古川であろうと
見当を付けた。しかし藤古川とは何ゆえか、それが理解
できなかった。
誰の姿も無かった川の向こう岸に、甲冑に身を固めた
武者が現れて跪き、口上を述べた。

「あいやお待ちくださいませ。この河原一帯にもはや敵の
気配はございません。我ら前田家の手勢で敵を一掃して
ございます。
こちら側にお越しになるには及びません」

甲冑姿の武者が消え、耳元で女声が聞こえた。
侍女どもは軍勢の中に入れていなかった筈、さて面妖なと
眼を凝らしたら、そこにナースの制服姿があった。当夜の
夜勤担当のナースであるとは直ぐには分からなかった。

声を出そうとしたが出なかった。やたらと息苦しかった。
ナースは入れ代わり立ち代わってやって来た。
「気がつきましたか、大丈夫ですか」
返事をしようと思うのだが、声が出ないから大いに慌てた。
そこから悪戦苦闘の数時間が始まる。ボクが言うところの
藤古川の一戦である。しかし敵は何故にナースの制服を
まとっているのだろう。

しかしなあ、藤古川といったら壬申の乱じゃないか。
時代が古すぎちゃいないか。十六世紀に居た筈なのに
七世紀に飛んでいる。時空が異なり過ぎているじゃないか。

どんな戦いよりも苦しい、呼吸困難との苦闘は、夜が空けて
麻酔科のドクターがやって来るまで続いた。前日に手術を
終えたまま目覚めないボクには、人工呼吸器が取り付け
られていたらしい。これを付けると己の力では空気を
吸うことが出来なくなる。

「こりゃ苦しそうだわ、苦しいでしょう」
のどの奥にチューブが差し込まれていたのが外されて、
ボクは蘇生の思いに浸ることが出来た。
自力で吸う酸素は格別だ。


                    パパゲーノ



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【 新・腰痛治療日記(4) 】

2010-01-05 18:36:38 | 08 腰痛治療日記


透析の設備があって入院が出来て、優秀な外科医が居て
となると、ボクの望みを叶えられる医療施設は限られている。

インターネットも駆使して日本全国の情報を集めた。
透析の主治医である宮崎ドクターも知り得る限りの情報を
下さった。
いったんは東京でも千葉でも、どこでも良い、こんなに痛む
腰が治るのならと意気込んだものの、実際に入院して手術を
受けることの具体化が迫ってくると、ホンネの部分が頭を
もたげてくる。

大阪の北部、吹田市にボクが望む条件を充たす病院があり、
宮崎ドクターもそこを勧めてくださった。
その病院を訪れて、整形外科部長であり、病院全体の
副院長を兼ねるドクターと面談した。執刀医については
「神の手を持つ」と評されている優秀なドクターに助っ人
として来てもらうという話になった。その「神の手」ドクターの
存在は、ボクがインターネットで調べた方と合致していた。
「神の手」ドクターとも当然お目にかかり、病状と数年来の
経過を詳述した。
「やらせていただきましょう、お任せください」との力強い
お声であった。これで用意万端が整った。

09年5月16日(土)が入院日であった。手術は21日に
決まっていたが、ここの透析に慣れること、およびリハビリに
も慣れることが重視されての早めの入院であった。


                      パパゲーノ



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