作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 酷暑の大阪 】

2008-06-11 08:40:46 | 02 華麗な生活


ジャケットなら偶には羽織るが、キチンとネクタイをしたのは
いつ以来のことだろう。
60本以上を捨てたのが十年以上前のこと。それが僅かに
残っていて、その貴重なネクタイを締めたのだ。

ナゼって、今日はこのボクにお呼ばれがあったからです。
名前を書けば、ほとんど誰もが知っている、女性経営者の
最先端を行く方。
社長を継がれたご長男と、その妹に当たる方とで、
大阪本町のビル群の一つ。その地下にあるウナギの名店。
初対面であったが、ご両者はボクのブログを読んでおられ、
こっちの中味はバレバレとあって、気取っている余裕なんかない。

美味しくいただいてから、御本社を訪問。そこに会長が待機して
くださっていた。会長にお目にかかるのは、今日で三度目。
そんな経営者ファミリーは、ボクを親戚の一人かと思えるような、
誠に打ち解けた雰囲気で遇してくださった。
会長に言われた言葉に中に、ボクを大喜びさせたこと。
「まだこんなヤンチャな人が残っていた」。
ボクは最大の誉め言葉と受け止め、酷暑の大阪から、だいぶ
マシと思える神戸に帰り、いただいた鶴屋八幡の極上の和菓子を
社員たちと分けて賞味した。

いい歳こいて、臆面もなく本を五冊も出した。
その大胆さのおかげで、今日という嬉しい日が待っていた。




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【 異国の丘 】

2008-06-11 08:33:10 | 02 華麗な生活


久方ぶりにNHKの歌謡ショウを見た(聴いた?)。
作曲家吉田正の命日に当たるそうで、彼の教え子たちが
揃っての歌番組だったが、ボクがこの番組にチャンネルを
合わせたのには理由があった。
戦後間もなしに、誰の作曲とも知れぬまま、巷の各地で
歌われだした「異国の丘」という曲であった。

ソ連は日本がポッダム宣言を受諾することを知り、
まさに火事場泥棒のごとく、参戦と称して乱入し、
北方領土を戦争終了後に奪い取り、
満州在留邦人を言葉には表わせられない地獄道に落とした。

俄かに動員された新兵たちの多くを捕虜としてシベリアに連行、
僅かな食糧で過酷なノルマ(ロシア語だ)で捕虜を虐待した。

そんな哀れな境遇に落とされた捕虜たちの中から、
誰が作ったのかも明らかでない歌が歌われた。

先立って帰国できた人たちから、日本内地にその歌が広まった。
その作曲者が吉田正であることが後に明らかになる。

出演者たちが威儀を正して斉唱する中に、KYのバカ女が一人。
真っ赤なドレスで一人だけ嬉しげに両手で拍子をとっていた。
そのバカ女の名を公表する。そいつを八代亜紀という。




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