リリコ雑記

徒然なるままに、思いつき日記。

3月11日と、その後を振り返る。①

2012年03月12日 17時28分37秒 | Weblog

灰色の金曜日。

空もなにもかもが暗くて、寒かったあの日。

一年後の昨日も雪が降っていて、寒い一日になりました。


思い出されるのは、自分が勤務していた建物とその周りの建物が激しく揺れてて、

電柱も電線も街路樹も激しく揺れて、私も経験したことのない大きなうねりが

地面の下から起こっているという恐怖。


収まったようで、何度も繰り返し起こる大きな揺れは、一体、何分くらい揺れていたのか、

そして、いつこの揺れが収まるのか、計り知れない不安を感じていたことを思い出します。



ここで、初めて知ったことが一つ。

docomoやauの携帯電話には、巨大地震の前に警告&情報が流れるとは

その時までまったく知りませんでした。

(私が使ってるのはsoftbankだしー)


というのも、違う部署の方々が、自分たちと同じように外に避難してきたらしいのですが、

その時、携帯の警告音(それも、ギュワンギュワンと凄い音が鳴る)を聞いて、

男性が一人で逃げて来たのを、(その男性と同じ部署の)他の女子たちが

一人で逃げるなんてひどい」とか、「なんで教えてくれなかったの

なんて責めていたのを聞き、docomoはそういう機能があったんだー。

と初めて知ったわけでして。



後で母に聞いたら、やはり母の携帯も鳴ったらしいです。

しかし、今までに聞いたことのない音だったので、まさか携帯が鳴ったなんて

その時まで思いもしなかったらしいけど。


職場が復旧し、後で他の人にも聞いたら、auも鳴ったらしい、といのを聞き、

なにやっとんじゃsof○×ank~~!!


って思ったけどね。

↑同じ部屋で、docomo&auの携帯がみんな一斉に鳴ったから、物凄い光景だったらしい……。




暗い、寒い、そして情報が無い。

という状況から一夜明けて。


一番驚いたのは、水道が止まっていた、という事。


しまった。

昨日のうちに、風呂に溜めておけばよかったと思っても、後の祭り。

しかしここは雪国である。


家の周りにはまだ積雪があり、それを溶かして生活水にすることに。



因みに、ここで我が町の行政の不備が発覚。


我が町の水道局には、災害用にと発電源の設備を用意していたらしいのだが、

いつの間にか撤去されていたという。


いつ、誰が、どのような経緯で撤去したのかは不明だが、

どうせ災害も起こるわけないし、こんなん邪魔なだけじゃん

と、思った(かもしれない)町会議員より上の立場の誰かが撤去させた模様。


で、広域停電により、もれなく水道はストップしてしまったらしい。

本来なら、この緊急時に発電源装置が動いて、各家庭に水を供給出来たハズが、

不可能になってしまったのは、そういう事らしい。



それはそうと、食糧の確保である。

あと、当分の生活用品と、懐中電灯とか電池とか、色々。

この停電が何日続くのかも分からないし、水道もいつ復旧するのかも分からないし。


そこで近くのスーパーに行ってみたところ、店の前にテントが張られ、

そこで均一100円でカップラーメンやパンが売られていて、日用品は、

店員さんに要望すれば、在庫の有る物は出してもらえました。


しかし、その時すでに電池(単1)は全部売り切れ。

勿論、懐中電灯も昨日のうちに全部売り切れた、とのこと。

取り敢えず、単3だけはいくつか買っておくことに。

(午後、再び買いに行ったら、単3も全て売り切れてしまいました)


スーパーマーケットの近くのドラッグストアで開店を始めたので、日用品を買いに。

カセットコンロとか、水とか、にゃんこ用品など色々。

(私は生理用品を買ってもらいました)


その間に、父はガソリンを入れにガソリンスタンドへ行ったのですが、

中々父が帰って来ない。


というのも、ガソリンスタンドは長蛇の列になっていて、身動きが取れなかったという。

ガソリンや灯油が入ってこない為に在庫切れを起こしており、

一人2千円分、と決められたので、少ししか入れれなかったとボヤいてました。


実は、そろそろガソリンが切れるから、週末にでもいれてこよう。


と、父が思っていた矢先のこの大地震。

しまったと思っても後の祭り。


…そこで、今後は少し減ったらすぐに満タンにしておくようにしたそうで。

じゃないと、いつ、また、ガソリンが入って来ないなんて騒ぎが起きるとも分からない。

後で聞くと、そういう人、多いらしいです。


私の友人も、母の職場の人も同じことを言っていたらしい。


“明日”、という名の日常の明日が、突然、

いつもの“明日”じゃなくなる日もあるんだって、


そんな教訓を受けたあの日。



そして、一ヶ月以上も広域に亘るガソリン不足という現実が立ちはだかるなんて、

その時は思ってもみなかったんだけど。



携帯は既に、只の時計になってました。

電波を示す3本線は立っておらず、「圏外」を示すだけ。

県外にいる家族や友人たちに連絡を取りたくても、まったく取れない状態。

しかもこのまま電池を入れてても、バッテリーが切れたら同じ事。


そこで、電源切りました。


あんなに便利に思ってた文明の利器も、この非常時にはまったく役に立たず。


電気がなければパソコンは立ち上げることが出来ないし、

電波が無ければ携帯は使えないし。


そう。電話も通じない。


父のラジオを聴きながら情報を得たけれど、でも、何がなんだかよく分からない。


津波が起こっていたのは知っていた。

でも、耳だけでは想像もつかない。


多数の被災者がでたことも、死者が出たことも知ったけど、まったく想像がつかない。




それよりも、目の前の、自分たちの生活を守るだけで、精一杯だった、あの日。


強い余震は何度も起きたけど、当たり前の日常が戻る日は来るのか。


それだけが、心配だった、3月12日……。


(続く)


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2 コメント

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関東大震災を思えば (yuiKei)
2012-04-17 08:21:30
関東大震災を思えば、まだまだ、なのでしょうねぇ~。被害の違いもあれば。けれど、慣らされた便利さに、不便を感じる大きさは、現代の方が強いでしょうか?上を見ても下を見てもきりがありませんね。辛さや大変な思いって、それぞれの心が決めますもの。生かされているうちは、全て与えられていること。 不便さも、当たり前に感謝を忘れていた事に気づかされますでしょう・・
ねぇ (nene777ne@yahoo.co.jp)
2012-05-08 21:22:47
はじめまして!ノヽ口―_φ(゜▽゜*)♪ 初めてコメント残していきます、おもしろい内容だったのでコメント残していきますねー私もブログ書いてるのでよければ相互リンクしませんか?私のブログでもあなたのブログの紹介したいです、私のブログもよかったら見に来てくださいね!コメント残していってくれれば連絡もとれるので待ってますねーそいじゃo。.。oo。.。oo。.。oo。.。oo。.。oo。.。oo。.。oアドレス残していくのでメールしてね!そいじゃo。.。oo。.。oo。.。oo。.。oo。.。oo。.。oo。.。o

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