リリコ雑記

徒然なるままに、思いつき日記。

さよなら茶々。それから、ごめんね、茶々。

2012年07月17日 17時26分36秒 | にゃんこ画像


一度は回復の兆しをみせた茶々。

私はもう少しで風邪は治るんだと、本気でそう思っていました。

貧血だとか、血液が作られてないだとか、黄疸だとか、血小板が少ないとか、

色々言われたけど、病院で茶々の様子をちゃんと診てくれるのだと、

疑いもしなかったのです。


しかし、次の日に事態は一変。


元々の彼の体質なら、まだ納得できる。

数年前の事故により、骨折したのが原因なら、それも納得できる。


でも、この異常さは何なんだろう。


臨床において、一体何が行われているのか。

点滴は何の薬を使っているのだろうか。


きっちりと問い質したかったけど、今となっては空しい限り。


私は何処で間違ったんだろうか。

どうして茶々は死ななければならなかったのか。

もし、途中で病院通いを止めさせていたら、もっと静かに最期を迎えたのではないか。


色々と考え、一つだけ確かなのは、やはり、私の判断ミスが茶々を死なせたのだと、

原因はそれしかないと思う今日この頃。


寿命だったら、病院には頼らなかった。

我が家で静かな余生を過ごさせてあげられたのに。

そしたら、あともう少しだけ、長く生きさせてあげたかもしれないのに。


私は、ただただ茶々を苦しませ、あんな最期を迎えさせてしまったのだ。

そう思うと、苦しくて仕方がないのです。。。





7月5日(木)

いつものように診療が終わり、家に戻り、籠から出して、すぐでした。

それは異常なくらいの呼吸音。

ぜいぜいと、全身を震わせ、痙攣したように、苦しそうに呼吸を繰り返す茶々の姿が。


そこで、昨日、籠から出した途端にぜいぜいと呼吸する茶々を思い出しました。

まさか、と思いつつ、膨れ上がる病院への不信感。

だって、病院では、一日中点滴してたんだよね。


何で獣医たちはこの異常にまったく気付かないの?

病院では、一体何をしていたの?


というか、

茶々を私たちに引き渡す際、どんな様子かも確認しないで引き渡したというの?



母はこの異様な茶々の様子を見て、

「この呼吸の仕方は異常だ」と怒ったような声で言ったけど、それくらい私にだって分かる。

昨日とは一変し、ぜいぜいと苦しそうな呼吸を繰り返す茶々。

そして、部屋の隅に逃げるように隠れ、苦しさのあまり何度も体勢を変え、全然動かない様子。

昨日、あんなに回復していたのに。

今日は何故こんなに急変しているのか。

そして、それに気付いていない獣医たちの無神経さに腹が立ち、

どうして茶々がこんな状態になっているのか問い質したかったけど、

もう病院は閉じてしまった状態だし、院長先生はいない状態だし。


ただ、もしかしたら茶々はもう助からないのだろうかと、

頭の隅で嫌な思いが浮かんできました。


母は、「点滴の薬が合わなかったんだ」と私に言います。

点滴の薬は何を使っているのか、私たちに説明はありませんでした。

只のブドウ糖みたいなものならいい。

でも、これはきっと違うもので、何らかの薬が使用されているに違いない。


風邪を治す為の治療が逆に茶々を追い詰め、死へと向かわせているだなんて。



でも、私は最後まで諦めたくなかったし、

茶々が治るって信じたかった。


もし、奇跡が起こるなら、起こって欲しかった。


その日の夜中、大雨が降りました。

茶々はいつものように、私の部屋の窓際で、伏せっています。

激しい雨で、叩きつけるような大雨。

そして、茶々の苦しそうな呼吸も聞こえてきます。


神様。どうか茶々を助けて下さい。

奇跡を起こして下さい。


祈るように、その日は就寝しました。




7月6日(金)

結局、今日もまた、病院へ連れてゆくことに。

熱は完全に下がったものの、逆に、異様に冷えている茶々の体温に不安を感じながらも、

病院へ預けることにしました。



以前、桃が入院した時や、そのずっと前、ちぃが生きていた時はお世話になった病院です。

だから信じたくなかったのかもしれません。

あの時はどちらも回復して帰ってきたし、茶々みたいな事は起こらなかったし。

どうして茶々だけが、あんな風になっているのか。

そして、病院ではちゃんと茶々を診てくれているのか、どうしても不安だったけど、

さすがにあの様子の茶々をみれば異常だと分かるんだし。

しかも、あの状態では、私らではどうすることも出来ないのだし。

ここはプロに任せるしかないかと、諦めていました。


帰り、迎えにゆくと、更に呼吸の苦しそうな茶々の姿が。

昨日よりも悪化してるんだけど、どういうこと?


そこで、昨日からこのような状態だと伝えてみるも、

「そうですね。明日、また来て下さいね」

と、きつい感じの女医さんに言われ、言葉を失いました。


家に着いた茶々は、昨日よりもぜいぜいと音を立てて呼吸していて、本当に苦しそう。

一体何がどうなっているのか、どうして茶々はこんなに苦しそうなのか。

どうしてこんな状態になってしまったのか。

こんな状態で茶々は助かるのか。


母は、「こんなんじゃもう助からない」と言っていましたが、私もそう思いました。

病院へ行って悪化して帰ってきて、それで説明もない。

もう、どうしていいのかも分からず、ただ、苦しそうな茶々を見守るだけ。


夕食後、それでも何かは食べて欲しいと思い、ヨーグルトをすこしだけあげてみたら、

茶々はそれを舐め、そして、目を閉じて、苦しい呼吸と闘っていました。


それが茶々の最後の食事になったのですが、私はこれだけで勇気を貰いました。

奇跡は必ず起こって欲しい。

こんな苦しい状態のまま、死んで欲しくない。


茶々は昨日と同じように、何度も場所を変え、何度も体勢を変え、

苦しい状態を何とか耐えている状態でした。

絶望的な状態であるのは確かで、でも、もう、私たちに出来ることはありません。


今日もまた、私の部屋に連れてきて、いつもの窓辺にへたり込む茶々。


多分、もう長くはない。

だったら、私は最後まで泣かないでいようと心に決めました。

こんな状態の茶々を見て、再び母は

「点滴の薬が合わなかったんだ」

と言って泣きました。


以前、母の上司が、「ちょっと検査入院に行ってくる」と言って、紙袋一つで病院に行ったら、

そのまま入院になり、数か月後に亡くなってしまったそうです。

その上司の妹さんという方が母に語ったのは、

「兄は新薬を試して、それで死んだのだ」と。


初期のガンということで、母の上司は新薬を試したらしいのです。

しかしそれは体に合わず、どんどん衰弱して体力も戻らず、免疫も落ちて、

遂には骨と皮だけになって亡くなってしまったらしいのですが、

今回、茶々にも同じことが起きたのだと母は言っていました。


薬は、体に合わなければ、ただの毒です。


一週間前連れていった時、「只の風邪」だと診断されたはずなのに。

それがどうして、病院で点滴を受けて帰ってくるたびに悪化し、

貧血状態だの、血小板が少ないだの、骨髄から血液が作られないだの、

そんな不治の病みたいな状態になって帰ってくるんだと、母の怒りは収まりません。


多分、強い薬の作用で血液が潰れ、毒となった液体は茶々の体を回り、

再生作用にも影響し、挙句の果てには呼吸まで奪おうとしているのかもしれません。


母は、もう茶々は助からない、と泣き、私はぐっと堪えました。

茶々に残された時間はあとどれくらいなのか。


いやそれよりも。


私は何処で間違えたんだろうかと考えるようになりました。

水曜日の時点で、病院通いを止めておけばよかったのか。

それとももっと前なのか。


この小さな町の動物病院はここしかないし、隣の市までは来るまで1時間以上掛かるから、

連れて行けなかったし。

あの動物病院しか頼る場所はなかったし。

でも、あんな様子の茶々を見て、獣医たちは何をしていたのだろうかと、

それだけが疑問でなりませんでした。


母は、

「どうせ死ぬなら、病院に連れて行かないで、家で静かに死なせてあげたかった。

こんなに苦しんで、こんなに辛い思いをさせながら死なせるのは忍びない」

と、また泣きます。

私も同じ思いだったけど、でも、もうどうしようもない。

茶々はきっと、最後まで苦しんで死ぬのだと思ったら堪らなかったけど、

堪えました。


茶々が生きている間は、私は泣かない。


そう、決めたから。





7月7日(土)

昨夜よりも更に状態の悪い茶々を連れてゆき、どのような状態なのか、

聞くことに。

今回は父に連れて行ってもらい、私は茶々と病院に残ることに。


一度診察してもらい、そして、暫く待たされました。

1時間後くらいになって、呼ばれて診察室に入った私に言い渡されたのは、

死の宣告みたいなものでした。


「今夜、持ったら来て下さい。明日、日曜は休みですが、院長先生が当番で、

午後4時から出ていますので、まだ大丈夫なようだったら連れてきて下さい」


と、きつい感じの女医さんから言われ、もう、駄目なんだと確信しました。


茶々は長くても明日持つか持たないか、

というよりも、今夜持ったらいい方だ、と言わんばかりの口調で言われ、

でも、ショックが大きくて、何も言い返せなかった私。


レントゲン写真を見せられましたが、3日前に撮った写真をみれば、

綺麗な肺が映っていましたが、今日見せられた茶々の肺は、

上から三分の一くらいまで白く濁っており、これの所為で呼吸が苦しいのだと

説明されました。


この白っぽいのは血液で、だからといって、液体ではなく、

細胞組織に入り込んでいる状態なのだと言われました。


つまり、この血液を取り去ることは不可能に近いということ。


茶々の貧血状態は更に酷くなっていて、それが肺に入り込んでいる白い影だと言われ、

更に、骨髄から血液がまったく作られないので手の施しようがないのだと言われました。


つまり、今も茶々の肺の細胞組織に血液が入り込んでいて、彼の肺を潰しながら

浸食している状態であるということ。


しかも、ここ2~3日で急激に悪化しており、原因はこちらでもまったく分からない

と言われ、この病院ではもう駄目なのだと悟りました。


この時、「もう点滴はいらない」と言えたらよかったんですが、

「二時間半の点滴を行いますから、飼い主さんは一旦お家に帰ってから、

迎えに来て下さいね」

と言われて部屋を出るように促され、結局医者のいいなりに点滴を承諾してしまう私。


今思えば、この時更に駄目押ししたのはこの点滴で、やはり、私は間違ったのだ

後悔することに。


二時間後の点滴を終え、自宅に戻った私はその後で、茶々は今夜、

越えられるかどうかなんだし、点滴の針を抜いてもらえばよかったと思ったのですが、

病院を出た時点ではまったく頭になくて、ただただ、苦しそうな茶々を思っていました。


今夜が山だと家族に伝え、そして、最後まで寄り添ってあげようと、そう思いました。


部屋の隅の、暗い方へ隠れている茶々を引っ張り出し、

私の部屋に連れてゆきました。

私の知らない所で、冷たくなっている茶々を想像したくなかったからです。

横になりながらも、一晩中、私は茶々の呼吸を聞いていた気がします。

時々声を掛け、撫でてあげて、でも、いつもよりもずっと低い茶々の体温に不安を感じ、

まるで器械のようなぜいぜいという呼吸音が消えると、まさか、死んでしまったのかと

何度も耳を澄まし、再び荒い呼吸音が聞こえてほっとする。

そんな時間が一晩中続きました。

茶々は相当苦しかったはずなのに、延命を願う自分は鬼だろうかと思い、

しかし、それでも、一秒でも長く茶々には生きて欲しくて、

その矛盾でぐるぐると悩みながら、茶々の呼吸音を聞いていました。


何時になったのか、気が付かなかったけど、まだ日の開けない時間、茶々は動きました。

窓辺から降りて、よろよろと私の枕を横切り、そして、廊下へ。

まさか、こんな体でトイレか?(点滴を終えてから、トイレには一度も行ってなかった為)

と思ったのですが、どうやら母の部屋へ入っていったようです。


母の部屋から漏れてくる茶々の呼吸音を聞きながら、うとうとと寝る私。


日曜日、父は仕事の用事で朝6時前には家を出なければならず、

母は一旦起きて父を送ったそうですが、その時、茶々はまだ母の部屋にいました。


6時半頃になって、茶々の様子を見に行く私。

そこには、目を見開き、一定の早いリズムで顎を動かし、呼吸をしているだけの

茶々がいました。

多分、意識は殆どないのかもしれません。

殆ど吸えない呼吸を繰り返し、必死に生きている茶々の姿に、泣きそうになりました。

あとどれくらいの時間なのか。

残りわずかな時間が迫っているような、そんな感じでした。


そこで、初めて点滴の注射針が刺さったままの状態であることに気付いた私。

母と二人で注射針を抜くことに。

死ぬ寸前は、せめて、痛い要因は取り去っておきたかったからです。


いやそれよりも、病院で抜いて貰えばよかったと後悔する私。

医者は、「その子は一晩持てたらいい」といった感じだったので、だったら、

せめて点滴の為の注射針を抜いて貰えばよかったと思ったのですが、後の祭り。


素人二人で、茶々の腕に突き刺さっている針を抜き、取り敢えずほっとする私。


その直後でした。

意識を取り戻したのか、茶々はよろける体を何とか動かし、

私の部屋へと戻っていったのでした。

私の部屋の隅に、倒れるようにして、茶々はいました。

まるで機械の音のような、荒い呼吸。

多分、水の中で呼吸しているのと同じように、酸素を吸えずに苦しんでいるに違いないのです。

これはいつまで続くのか。

いつまで茶々を苦しめるのか。

そう思いながら、でも、死んで欲しくなくて。


その時は、突然にきました。


突然、苦しそうに、ばたばたと、尋常じゃない暴れ方をする茶々。

まるで息が詰まってしまって、呼吸が出来ない、そんな感じで。


そんな中、痙攣したように体を突っ張った茶々は、二度、苦しそうな息を小さく吐き出し、

そして最後に一つ、更に小さな息を吐き出し、

地獄のような苦しみから永遠に解放されたのでした。



その瞬間、大声で茶々の名前を叫び、私は慌てて抱き上げた。

力のない茶々を抱きしめ、呼吸をしていないのが分かると、悲しさが襲ってきた。

今まで堪えたものが、あふれだすように、私は泣いた。


何度も謝って、何度も茶々の名前を呼んで、大きな声で泣いた。


どうして、こんな最期を迎えなければならなかったのか。

あんなに元気な茶々が、地獄の苦しみを味わうようにして死ななければならなかったのか。



どうして、どうして、どうして。



私には、分からなかった。


どうしてこんなに早く、茶々は私の元を去らなければならなかったのか。



7月8日、日曜日の、午前7時頃。

茶々は、同じ日に生まれた兄弟の桃を残し、死んでしまいました。



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