首より上五輪、心の働き、首より下五体、身の働き、心の働きを受けて日々の身の動きがある。天の与えである天の恵みを受けて我々は生きて居るように胴体は育て養う。食物は胃や腹でこなしても、首より上から下へさづかる養える。上は授ける与える、胴体は受ける、身に付ける、胃の近くに口があれと云うようなものだが、そうはいかん。
首から上は神上、目上、親、恩人の理にて、上に対して不孝の理が現れる。上首から上に悩みが起こる場合は下に授ける、与える、下を育て養い、恵みを与える。だから目上に逆らえば頭痛を起こしたり、頭に熱が出たり、目上に現れる。言葉で目上に逆らえば来世は、おし、生まれながらに物がいえぬ、自分より目上には素直に通らねばならない。首から上の悩みは、上を悩ました理である。目上の人には頭を下げて通らねばならない。頭は一番高い所、高い所は水で守られて居る。水は正直素直。水は常に低い所に向かう、だから目上の人にはぺこぺこ頭を下げて通ればよい。高い頭を底下げるから人を立てて居る。水の守り、神目上の恵みを受ける事になる。へいへいと素直で通れば自分も助かる。店でも頭の低い所が客が集まる。人の心も水と同じで、高い心では水の守護を受けられず、又神、親、恩人に切れて、気違いや脳病を病み、自ら助からなくなる。
神様は、慾に高慢大嫌いと仰せられ、高慢は神に切れる。又我慢は大きな埃である。又頭は神、父、親に当たるも顔は日、母親に当たるどちらも大切なもの。だから人間が少しくらい勉強したからと云って自分より偉いものは無いように思うのは神様に対して申し訳がない。何故なれば、身は一切貸し物であれば自分というものは無い筈のもの。心一つが我がの理である故、心だけが自分というものである。
理を見つめてより
頭や顔に怪我をする、精神を病む、これは不足からくる。不足でも親親に対しての不足である。実の親、会社の上司、親方、指導者これらを大切にし、頭を下げるところに、よき運命が開けるのである。
首から上は神上、目上、親、恩人の理にて、上に対して不孝の理が現れる。上首から上に悩みが起こる場合は下に授ける、与える、下を育て養い、恵みを与える。だから目上に逆らえば頭痛を起こしたり、頭に熱が出たり、目上に現れる。言葉で目上に逆らえば来世は、おし、生まれながらに物がいえぬ、自分より目上には素直に通らねばならない。首から上の悩みは、上を悩ました理である。目上の人には頭を下げて通らねばならない。頭は一番高い所、高い所は水で守られて居る。水は正直素直。水は常に低い所に向かう、だから目上の人にはぺこぺこ頭を下げて通ればよい。高い頭を底下げるから人を立てて居る。水の守り、神目上の恵みを受ける事になる。へいへいと素直で通れば自分も助かる。店でも頭の低い所が客が集まる。人の心も水と同じで、高い心では水の守護を受けられず、又神、親、恩人に切れて、気違いや脳病を病み、自ら助からなくなる。
神様は、慾に高慢大嫌いと仰せられ、高慢は神に切れる。又我慢は大きな埃である。又頭は神、父、親に当たるも顔は日、母親に当たるどちらも大切なもの。だから人間が少しくらい勉強したからと云って自分より偉いものは無いように思うのは神様に対して申し訳がない。何故なれば、身は一切貸し物であれば自分というものは無い筈のもの。心一つが我がの理である故、心だけが自分というものである。
理を見つめてより
頭や顔に怪我をする、精神を病む、これは不足からくる。不足でも親親に対しての不足である。実の親、会社の上司、親方、指導者これらを大切にし、頭を下げるところに、よき運命が開けるのである。