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おやさま探訪

天理教教祖中山みき様のお言葉やお諭しなどを紹介し、人生をより豊にすごしてみたいと思います。

親孝行する真の理とは

2005-06-29 06:57:14 | Weblog
 首より上五輪、心の働き、首より下五体、身の働き、心の働きを受けて日々の身の動きがある。天の与えである天の恵みを受けて我々は生きて居るように胴体は育て養う。食物は胃や腹でこなしても、首より上から下へさづかる養える。上は授ける与える、胴体は受ける、身に付ける、胃の近くに口があれと云うようなものだが、そうはいかん。
 
 首から上は神上、目上、親、恩人の理にて、上に対して不孝の理が現れる。上首から上に悩みが起こる場合は下に授ける、与える、下を育て養い、恵みを与える。だから目上に逆らえば頭痛を起こしたり、頭に熱が出たり、目上に現れる。言葉で目上に逆らえば来世は、おし、生まれながらに物がいえぬ、自分より目上には素直に通らねばならない。首から上の悩みは、上を悩ました理である。目上の人には頭を下げて通らねばならない。頭は一番高い所、高い所は水で守られて居る。水は正直素直。水は常に低い所に向かう、だから目上の人にはぺこぺこ頭を下げて通ればよい。高い頭を底下げるから人を立てて居る。水の守り、神目上の恵みを受ける事になる。へいへいと素直で通れば自分も助かる。店でも頭の低い所が客が集まる。人の心も水と同じで、高い心では水の守護を受けられず、又神、親、恩人に切れて、気違いや脳病を病み、自ら助からなくなる。
 
 神様は、慾に高慢大嫌いと仰せられ、高慢は神に切れる。又我慢は大きな埃である。又頭は神、父、親に当たるも顔は日、母親に当たるどちらも大切なもの。だから人間が少しくらい勉強したからと云って自分より偉いものは無いように思うのは神様に対して申し訳がない。何故なれば、身は一切貸し物であれば自分というものは無い筈のもの。心一つが我がの理である故、心だけが自分というものである。
理を見つめてより

 頭や顔に怪我をする、精神を病む、これは不足からくる。不足でも親親に対しての不足である。実の親、会社の上司、親方、指導者これらを大切にし、頭を下げるところに、よき運命が開けるのである。

おかげとは親の陰

2005-06-23 06:48:11 | Weblog
 神様はおかげというは親の陰やでと仰せられました。
 親の陰を頂くのである。親の徳を頂くのであります、親に切れたり親に反対したり親の言うことも聞けなかったりしてどうして親の徳を戴くことができましょうか。
 この場合も親といっても色々あります、例えば肉体の親、つまり私身にとっては肉親といい、道の上からは理の親、又教えの親、又技術を習えば親方、すなわち職の親方、教育の上からは先生、お針やお花を習うも先生というように、親といっても身の親、枝の親、教えの親、育ての親という。又人間全体の親は親神様、親あっての子であり、親神様あっての人間である。親神様は世界万物一切の親である。私たちが職を習う場合、親方がこうせ、あゝせえといっても、自分勝手なことをしていては何一つ技術を習うことはできない。女の方がお花を習い、お針の稽古をしても、先生の言うことも聞かず自分勝手なことをしていては、着物一枚縫うこともお花ひとつ生けることもできません。
 
 それは親である先生の徳であるお花を生ける力、又着物を縫う力を分けてもらうことができないからです。だから親の蔭を頂くということは、お針りやお花を教えて下さる先生の教えを守ることにより、その徳を、その力を受けて助かるということのなるのです。これがお蔭を戴いたということになる。
 それで、この教えは一列人間の親である親神様が、今までは一切の元が分らなかったのでその元を教え人間に陽気暮らしをさせてやりたいという上から人間世界に出て下さったのである。それでお互い人間は、今は昔と違って遠いところにも汽車や電車もあり自転車や自動車又は飛行機もある何処へ行くにも不自由はない。
 又寝所にいても世界中のことを知る事もできる夜でも光の下で暮らすこともでき、テレビや芝居や映画により楽しむこともできる。立派な物や便利な機械も使える。こんな結構な世界に暮らしていられ毎日不足をいったり小言を言ったり泣いて暮らしている人が多い。
 すなわち思う事が思うようにならんからである。それでこの上は思う事がかなうようにさえなれば何も言うことのない世界である。
 それでその元を説き人間として、正しい道を教えて下さった。それは話すだけでは分からないから教祖によってひな形手本を示してくだっさた喜べるはずの世の中である。それが喜べないと言う事は要するに親神の心に添わんからである。教祖は貧のどん底に落ち切った中でも喜べるという手本を出して下さった。そうしてお互い人間に徳のないものは徳を積ませ、因縁の深い物は因縁を切らして、人間としての正しい道を教え道によって真実の陽気暮しのできる世界にせてやりたい思召し下さっているのです。この事や一朝一夕の事ではない、天然自然の永き道である。

理を見つめてより

 この道は親孝行の道と教えられる。自分を生んでくされた親、育ててくれた親、教えの親、導きの親、仕事の親、そして教祖、更には親神様、この親たちのお蔭で、今日の自分がある、おかげさまです。と思える心に偉大なる運命が開ける。
 もし自分が親の立場を戴いたなら、自分の子がそう思ってくれていたらどうだろうか。
きっと苦しい時、ほって置くだろうか。
 そこの所を思案するば、いつも謙虚な心で、おかげ様です。と発せずにはおれないはずだ。

きれいな道を通る

2005-06-22 06:16:05 | Weblog
 次に順序として申しますが、子を思う親の心。親が子供を思う切ない心に何もなかった。人間の親にしても決して条件があって子供を育てるのではない、ただ可愛くてならずして子供のためには夜の目も寝ずに育てて来た。その無条件の心で育てて来たなればこそ、親は子供に向かって孝行をせよといはいでも、子供は自発的に親を大切にする。孝行をする。それが天の与えというものである、神様の御言葉に「どうせこうせいはいでも思はいでもひとりなって来るのが天与え」と仰せられて御座居ます。又
「布教するものが信徒を不足に思うている様なことでは教会の門をしめて布教している様なものやで」
 とも仰せ下されてある。ところが道の若いものは明日にでも布教をして一人の信徒をこしらえたら直ぐにつくさせようとしたがるからいかん。今日生まれた子供に親の思う様なことをさせ様とするのも同じ事で、そんなことが出来そうなことはない。けれどもその生まれ立ての子供も仕事は出来るものだという考えがあるから、この人は心が出来ぬの、悟りが悪いとかいうて信徒を不足にせにやならぬことになる。そんな無理なことがあるものか、何といっても年限の旬だけは見てやらにゃいかん。待ってやらにゃならぬ。
御言葉に
「何程立派な木でも荒木では見られにゃせん」と仰る。
 荒木のままでは役に立たぬのはむしろ当然である。段々面倒も見て造り上げてこそ柱になる。だから信徒が出来たら、その信徒を内の子供を育ててやる様に無条件で育ててやらにゃならぬ。どんなことがあっても我が身忘れた心で、真実の心で面倒を見てやる、すればその理が向こうに映って孝行を教えなくとも孝行をしてくれる様に、理の親としてつかえてくれる。それに一人道につけたらもう自分のためにあれもさせ様これもしてもらうと、きたない心になると、かえって子供の成人は遅れて来る。遅れるどころでない、ウッカリすると逃げてしまうようなことになる、そこで神様はかように仰せられてある。「きれいな道というもは、急いではいかん。成って来る理がきれいである、きれいな心でかかるからきれいな道になる。」とある。
 望みある心ほど汚いものはない。何も思惑立てず、とにかく内の親と同じ様にきれいな心で育てて行けばそこにきれいな花が咲いて来る。旬が来たら必ず実が来る。その時を待てばよい。
伝道の心二 村田勇吉

 「きれいな道を通る」これは一見簡単なように見えて、行うのが難しいものである。つまり最初はそう、きれいな心で高い理想をもち、また人助けに燃えているものだが、立場を貰い、人様から先生と呼ばれたりすると、いつの間にかほこりが付いていることすら気づかなくなり、自分を支えてくれる信徒に不足までいいがちになる。そして組織中心に全てを見て、信徒の悩みにも心を配らなくなる。ましてや、お供え中心の教理を展開し、ついにはきたない道に転落する。
 この種の問題は別にお道だけにあるのではない。会社でも公務員でも、組織をもったならば起こりがちである。
 しかし、ここにこの道の信仰の価値がある。ほこりが付きそうだと感じたら、きれいな道に戻すことである。すなわち自分の事さえ忘れ、信徒中心、お客様中心、市民中心に舵を切り直すことである。
 この純粋、きれいでほこりのない世界を生きることを神様は道を通ると呼ばしたのだ。

暗がりの尽くしとは

2005-06-21 06:27:17 | Weblog
 「判らぬ間は判らぬことを教えるのやで」とある。判るようになれば又判ることを教えて下さる、今の間判らぬ中にはただ神様の仰ることを聞いてさえ居ればよい。人間の親である神様は決して無理なことはおっしゃらぬ。声のかかった所を目標として通って行くより仕様がない。ところが人間というものは困ったもので直ぐ「けれども」が付く。目に見えたものをあてにしたがるからこうなるのであるが、形のものを頼りにして居たのでは決してこの道は通り切ることは出来ぬ「この道は暗がりのつくしやで、年限立ったら見えて来る」と仰ってある様に暗がり暗がりの中を通って行くより他に道はない。そこが世上との違う所である。

 形に表れたものならば目に見えただけのことしかできないが隠れたものが大きい仕事をするものである。種にしてもそうでしょう。人の目に見える様な所に蒔いた種は決して生えて出るものではない。芽を出させるためには土で埋めて暗がりの中に包んでしまわにゃいかん。神様はこれがさしたいと仰る。種を蒔いて置きながら人に見て貰いたがるものであるあれはわしがした。わしはあれだけのことをしたという風にそれでは折角蒔いた種を又土から掘り出してこんなよい種を蒔いたのだといって、人に見せるのも同じ事でそんな芽は生えて来ない。暗がりえ隠した理は人はなるほど知ってくれないかもしれぬ。しかしそれは神様が立派に受け取って居て下さる。

 とにかくこの世界は暗がりの中から出来て、今なお暗がりの中から神様が働いて下さればこそ出来ているいるのだということをよく悟って頂かにゃいかん。木には美しい花が咲き、立派な実ものる。すればこの道にして暗がりのつくしほど大切なものはない。お互いこの木にたとえれば根の働きをさして頂かにやならぬ。
先人講話 伝道の心 村田勇吉より

 人間はとかく結果を求めがちである。ましては自分が何も汗も、努力もせず、人の手柄を取りたがる人物も大勢いる。
 教祖ひながたは、まさしくこの逆であった。ひながたの大部分は、明るい道も見ず、自ら身まで隠された。まさしく、結果を見ずして世を去ったのである。ここに教祖ひながたの魂がある。
 これこそが人を助ける力、すなわち暗がりの尽くしである。
人知れず、暗がりの中を結果を求めず、努力する。この道にとどまらず、それぞれの道で大成する指針となるはずだ。

天の与えは受けるとも人の情けは受けてくれるな

2005-06-20 06:46:42 | Weblog
 貧しくて食べなくなったからとて箪笥の中から一枚出して売り、又苦しくなったから一枚賣るというのであれば道は楽なものだ。しかしこの一枚の羽織、これが神様の御用をして呉れるのだと思ったならば、たとえ身は三日五日食べなくとも決して思い切るということは出来るものではない。この着物がなくては神様の御用が勤まらぬのだ思ったならば、どうしてそれを質屋に置くことが出来得よう。この理の悟りを付けて行かねば、道はとんでもないものが出来てしまう。何でもないようであるが大事のことである。
 神様も「どうなろうこうなろう思わず尽くすが末代の理」と仰せられてある。又菅原道真の歌に「身のために国を思うは二心、国のためには身をも思わず」と詠んである様にお互いが、自分一個の身のために、助け一条のためには身も家も考えないというのが実である。真の誠である。どれだけ口で立派な教理を説き流しても心だけの理しか向こうには映らぬのだから、難儀したくない。苦労はなるべく避けたいという様な心で懸かって居た日には、その理が向こうに映って、何時まで経っても結構になるだけの理を運んで貰うことはできない。そんな人に限って少し難儀不自由をしてしていても、人が見てやあ気の毒になあといって少しの情けでもかけてくれようものなら、それ天の与えといはぬばかりにそれを受ける。しかし人の情けを喜んで受ける様ではいかん。神様も仰る。
 
 「天の与えは受けるとも人の情けは受けてくれるな」と、これが真実の道である。それに少し位の人の情けさえ受けたいようでは泣きたくなる。あの人はみすぼらしい風をして居る気の毒やから一枚着て貰えと言う恵みを受けて、それを喜んで天の与えやなどと平気で受けて居る様なことでは第一親神に対して申し訳ないのでわないか。この根性があるから世間から色々と非難されるような種を造ることになって来る。
 非難されても、色々あるもので、お道の者には学問が無いと言って笑われる位のことはなんでもない。非難される焦点の問題は実に、その人の心に真実があるかないかということにある。学問のある人が布教に出ても結構な理を見ず、結果の面白くないと言う様なはこれまでから沢山ある。その代わりかえって学問も何もない人の方が良い結果を見て居るが多い。それは心に真実があるからであって、学問の有無は何の原因もなさない。すれば小道を真実に通るということはこの身はもうどうなってもよいという心がなによりも大切なことであるということが判る。

先人講話 重囲の中にたちて 村田勇吉より

教祖ひながたの真髄とはと聞かれると私は、即座にこの一言をいう。
「天の与えは受けるとも人の情けは受けてくれるな」
この精神だ。
でも、実際、教祖ひながた、ひながたと目標にしている教徒で、どれだけこの基本を理解している人がいるだろうか。ましてや、人様から畳の上の乞食のように思われている人もいるのではないだろうか。

 天理教伝道師が命を掛けて心に命ずるものはまさに
「天の与えは受けるとも人の情けは受けてくれるな」
であろう。

神が表へ現れて

2005-06-06 06:43:31 | Weblog
よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない

 くにとこたちの命が先においでになりて、この世の人間を拵え下されて、おみすましになされて、拵えたる人間には六台の根を知っている者がない。むねのわかりたものはないと仰せられしなり。六台の根というのは、人間元はじまりの六台で、月、日、くささづち、つきよみ、いざなぎ、いざなみの六台で、この六台により人間をお造りになられた。

そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな

 おもたりの命様がお出ましになりて、くにとこたちの命様が六台の根を知りている者がないと申されたのをおもたりの命様が、それは知らぬこと、説いてきかした事はない、知らぬが無理ではないと仰せられしなり。

このたびはかみがおもてへあらわれて ないかいさいをとききかす
 
 これからは神が現われて、どんな事でも、こんな事でも説ききかすと、くにさづちの命様が申されし事をいうなり。

このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ

 大和地方を他国からは神々といふているがなんでいうのやら、いうているやら元はしろまいと、つきよみの命様が申されし事なり。

 このもとをくはしくきいたことならバ いかなものでもこいしなる
 
 この世始めて拵えた本元を聞いた事ならばどんなものでも恋しなるでと、くもよみの命様が申されしことをいうなり。

ききたくばたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを
 
 神の道について、この成りた元を聞かそうと思うものは、訪ねて来た事なら、よろづいさいの元の因縁の事を聞かしてやろうと、かしこねの命様のお言葉であるなり。

かみがででなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり
 
 訪ねて来て聞かすのは神が出で聞かしたなら、世界中は勇み心になると、たいしょくてんの命様が仰せになられた。

いちれつにはやくたすけをいそぐから せかいのこころもいさめかけ

 助けの道を教えたいから世界中の心、早く勇んで来いと、おうとのべの命様が申された事なり。

 これはくにとこたちの命様からおうとのべの命様までの八柱の神々が世によろづいさいを説き聞かしてなにかなわんと言う事のない様にご守護下さる事を一柱の神に一下りづづお治め下さる事をば八柱さんというなり。

みかぐら歌の真実の意味より


 天理教の立教、天保9年10月26日の夜、くにとこたちの命からいざなみの命まで、次々とご降臨したまい、これから、神が表へ現れると、ご宣言された。
 なかでも、このくにとこたちの命からおふとのべの命までの神が、重要な働きをしているのだ。
この世界を、この八神が、それぞれ、旬刻限や、人間の成人のレベルに応じて、あるときは動物、あるときは聖人、宗教家、思想化、知識人、文化人、その時代に必要とされる人物になり、ご降臨されていたのである。

 そしてこの度、人間の子数の年限が満ちた天保九年10月26日、元の地場へと再び帰り、中山みきの口を通じて神が表へ現れると、ご宣託されたのである。

 実に、我々人類にとって偉大なる時旬が出現したのであった。

 まさしく天理教の信仰者にとって、この意味をしっかりきざみこの喜びを身体や心で感じる時、八柱の神の守護があざやかに感じられることとなり、偉大なる守護を戴くことになる。

正月祝いの理

2005-05-09 06:29:47 | Weblog
 年の始まり、月の始まり、日の始まりを正月というのは、これは正しい。月様は泥海中の処より、正しい人間、正しい世界を造られたのをいうなり。正しい事を正という。暗がりの世界を照らす月様は先に立ってこの世界を造られた理をもって、この世界をこの日とは言わず、この夜(世)というなり。
 三日の祝いは、これは人間元々、お産(さん)で産み広められて、日々身の内は、温み、水気、息の三つでもっている。又世界も同じ事。水と火と風とは台なり。身の内、温み、水気、息の三つが十分の守護あれば不足なし。この三つ変われば、身の内に不足出来る。よって、身の内の悩みを看るに、脈を看る。脈とは、この三つのやくをいうなり。
 この世界は皆三つの理、三つずつの理あり。天地人とか、上中下とか、又、月も三日月が始まりなり。三日芽でなくば見えかけぬとは、人間でも子が宿っても一ヶ月、二ヶ月のうちは、人から見てはわからん。三ヶ月目からちょっと見えかけるのも同じ事なり。三日の祝いの理は、これは、水、火、風の三つの理をもって祝うなり。
 一重の餅は、天地の理。天地は丸きりものなり。丸きは正しきなり。
 門松の女松、男松は、これは女神、男神の夫婦の二神よりできたる理を示せるものなり。
 ゆずり葉をつるは、代々親は子を産み、子は親となりて、子孫に世をゆずり行く理をもつなり。
 注連縄の七五三は、七は天神七代、五は地神五代、三はさんで産み広められたる理なり。世界でいう天神七代は、これを神々七人のように思えど大いに違う。これは、な、む、あ、み、だ、ぶ、つの「くにとこたちの命様」より「たいしょく天の命様」迄の神々をいう。この七柱の神は、道具となってした理をいう。地神五代というは、これも世界では神々の思えども、ぢしん五体というて、皆銘々の身の内の事、五体の人間のできた事を言うなり。
 数の子を用いるは、元々いざなぎ、いざなみの二神は、今のおぢばの甘露台を神々の身体の真ん中として、なむ/\と三日三夜に子数九億九万九千九百九十九人を宿仕込み、腹にや凭れた理をもって用いるなり。
 まめを用いるは、無事にてこの世を送らそうとの、神の思し召しの理をするなり。
 注連縄というは、しめとは、しめる事なり。なは、「くにとこたちの命様」月様の事なり。わは丸く取り巻く事をいうなり。これは月様は、この世界を輪の如くに取り巻きて、しめていられる理なり。よって注連縄は、左なわに縫う物なり。その形は、月さまの本体、頭一つ、尾一筋の大竜の形なり。
 七日七草は、元々人間は九億九万年泥海中に住まいたる時は、海草等を食べて通りた理をするものなり。十四日のとしこしという理は、十四日で月は満月とはいえぬ。十五日は満月なり。
 人間も男は十四才では一人前とはいえぬ。十五才よりは、男一人前なり。これで十四日をとしこしというなり。
 十五日の小豆の粥は、これは元々人間は、泥海中で住まいしたる理でするものなり。
天の理法より

 各全国の神社が一番活気ずくのはもちろん正月だ。神社によっては、経費の大部分がこの正月でお供えが上がる神社も少なくない。
 では、なぜ日本人が神社にいくのか。それに対して明確に答える人は皆無だ。
しかし、それには深く深く理由があるのだ。

 つまり、人間の元始まりの理を忘れぬように、元の神、実の神、月日二柱を忘れぬようにとこの行事をおこなうのだ。それほど、大切な行事であるのだ。
 しかし、昨今この行事でさえすたれつつある傾向にあるが、それは、この深き正月祝いの理の話しを知らぬが故だろう。



面足の命の守護

2005-05-08 07:12:42 | Weblog
 をもたりのみこと様は女神にして、昔天地開闢の際、くにとこたちのみこと様と、人間及び万物を拵えくださるに月、何こともご相談相手にて、御力添えとなり、月様のもうされることには何一つおそむきになることなく、お前は日輪として天に上がり、天より守護せよとお約束にて、地を守る神である。天は月や地は日や、初めて天と地とが別れて、この世界は天地抱き合わせの物となり、その中に人間住居する、月日ふところの中という。天とうさまは、見抜き見通し、わが身にしてもふところの中にある物は、皆見える如く、神も何ごとも分かりある。方角は南に位し、仏法にては、むなり。阿弥陀如来に現れたまい、仏の法を御示しになり、この度は二世の世立て替えとなり、天より天下り助け一条の道をお説き下され、人間身の内は温みの守護、世界では火一切の御守護下さるなり。

十柱の神の守護及び病い理の説き分けより

 月様、国常立の命が世界第一の神なら、その妻役である面足の命様は世界第二の神なのだ。
この月日二柱こそが、陰陽の理、二つ一つの理、天地の理、月日の理、火水の理である。
日本の神社にて、行われている祭りもこの二柱の理をたたえ執り行われている。
かつて、我々日本人の先祖である縄文人もこの月日の理を称え、岩を祀り、山を祀り、木を祀り、祈りをささげてきたのだ。
 そう、真の日本神道を研究すれば、縄文神道にたどりつく。縄文神道を深く探求すれば、出会うのが、龍と蛇。龍と蛇に出会えば、水と火に出会う。
 この日本人の精神構造に深く根ざす神道、実はそれは月日二柱の守護にて、この日本にて発生したのだ。


国常立の命の守護

2005-05-01 05:51:33 | Weblog
 くにとこたちの命様は、男神にして、昔天地開闢くだされ、万物一切を御拵えになりまして、これなら世界は立派にたちゆくと、国中を見定め天に上がり、月さまとして天より守護をしようと思し召しになり、方角にては北に位し仏法にては、ななり、釈迦如来にと現れ、世界の悪気な心をなおさんがため、仏の法を御説きしめされ、この度は年限たちきたゆえ、天より天下りたまい、人間に教えてない珍しきしき不思議な道をお説きくだされ、人間身の内では、眼胴潤いの御守護にて、世界では、水一切の御守護下さるなり。

十柱の神の守護及び病の理の説き分けより

 世界を創り、万物を造り、人間世界を造りたもうた神が国常立の命なのだ。
真に助かる信仰とは、この天理教をも立教せしめた、世界第一の神を立てぬく信仰こそが、偉大なるご守護をいただく人生となる。

教祖に最初にかったのは国祖、国常立の命様である

2005-04-30 08:06:06 | Weblog
天保九年十月二十六日、教祖様に神懸りがありました。「さあさあ我は天の将軍、国常立尊なり、この度みきの身体を神の社と貰い受けた。これに承知しない時は一家断絶」というてお降りになる。続いてまた天井でガタリと音がして、「さあさあ我は天の将軍、面足尊なり・・・・・」というておおりになる。こうして次から次へと十柱の神様皆お降りになりました。それからというものは、御教祖様の身体は神様の身体で、今まで中山家にあった沢山の田地田畑家屋敷庫まで総べて人助けのためにほどこせと仰せになるとおっしゃって、皆お恵みになったのでございます。

本部員別席講話(四)より

教祖に天保八年より、長男、本人とも身上になっていたが、翌年天保九年十月二十六日に中山家が、神の社に教祖をささげますと約束すると、ついにその本体を現したのである。
それは、国祖、国常立尊であった。

つまり、天理教を立教さしめた神は、国常立の命であったのである。
その後次々十柱の神々がご降臨されたとのことである。
そしてついに、神が九億九萬九千九百九十九年の時をへて、表へ現れた旬間でもあったのだ。