おっさんノングラータ

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『月光の夏』と『俺は、君のためにこそ死ににいく』

2007年10月21日 | 映画コラム
NHKスペシャル
「学徒兵 許されざる帰還 ~陸軍特攻隊の悲劇~」
10月21日放送

今年、陸軍特攻隊を扱った映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』が公開されたが、機会がなく観に行くことができなかった。興行的には失敗だったそうだが、好意的な評価も多く、特攻をテーマにした映画としては珍しく、ウェットに過ぎることもなかったようである。

映画の舞台となった知覧からは、沖縄へ来寇したアメリカ艦隊に対し、特攻作戦が展開された。1943年の10月21日、学徒動員の壮行会が行われ、動員された大学生、専門学校生の多くは搭乗員として短期間の訓練を受け、そして特攻作戦に投じられた。特攻作戦はレイテ沖海戦で海軍が始めたものだが、番組では海軍を後追いした陸軍の特攻作戦に焦点を当てている。『俺は~』を観る上で、良質の参考映像になるだろう。

しかし、特攻出撃した全員が戦死したわけではなかった。主に整備不良により、出撃できなかった者、途中で引き返した者が少なくなかった。正確な数は記憶していないが、4割程度だろうか。だが、特攻作戦を指揮する者としては、戦死したはずの人間が生きていると具合が悪い。これから死地に赴く者の士気が下がるかもしれないのだ。そこで彼らは福岡の振武寮へ収容されることになる。振武寮における隊員の扱いは想像がつくが、一度死ぬ覚悟をつけた人間が生き延びてしまったこと、自分は生きて同僚は死んでしまったことが精神に与える影響は計り知れない。振武寮から三重の基地へ送られた隊員のうち、終戦の翌日に3人は自決、3人は敵艦のいない海面に突入したという。

これまで殆ど語られてこなかった振武寮を扱ったのが、『月光の夏』だった。公開された1993年当時は宮崎県都城市に暮らしており、舞台が佐賀県鳥栖市と近いこともあって劇場へ足を運んだ。

鳥栖小学校に、ドイツのフッペル社製の高価なピアノがあった。死ぬ前にこのピアノを弾きたいと、二人の特攻隊員が小学校を訪れる。一人はピアニストの卵、もう一人は音楽教師を志していた青年。ベートーベンのピアノソナタ「月光」を弾いた後、二人は隊に戻り、そして沖縄へと飛び立っていく。

10年以上前に観たきりなので、記憶違いがあるかもしれないが、映画はこのエピソードと、このエピソードを検証する「ノンフィクション」パートがあり、前者はなかなか感動的だったが、後者は「振武寮」というそれまでに取り上げられる機会が少なかったテーマを取り上げる目新しさはあったものの、やや冗長な内容だった。無理に引っ張るのではなく、NHK特集くらいの尺で十分である。全てを語らずとも、最小限の言葉でそこで何があったか、当事者はどう思ったのかある程度は想像がつくし、想像がつかない層はそもそもこのテーマに興味を持たないだろう。また当事者の思いを完全に伝えることは、どれだけ時間をかけても不可能である。

むしろ問題は、ノンフィクション・パートの何がノンフィクションなのかを明らかにしなかった手法である。「掴み」のエピソードが検証できていない以上、こうしたやり方は疑問が残る。いっそ、前半部分を完全なフィクションとして、一つの作品として仕上げたほうが良かったのではないかと思う。

「自分も必ず後を追うから、安心して特攻して欲しい」と若者を生還の見込みがない特攻作戦に送り出した、陸軍第6航空軍司令官の菅原道大中将は、その言葉を実行することなく昭和58年、95歳まで生きたとナレーションは伝える。一方で、「特攻帰り」の語り部は、戦死した戦友の遺族を訪ねて全国を旅している。番組はここで終わり、やりきれなさだけが残る。

恐らく、特攻というものを考えるには、責任を曖昧にしてしまったという批判もあるが、一応は同じような約束をして、切腹という形でその約束を果たした大西瀧治郎を抜きにすることはできないだろう。「特攻生みの親」と呼ばれる大西だが、航空作戦においては非常に優秀な人物であった。『俺は~』では伊武雅刀が演じた。

映像作品では『ああ決戦航空隊』が大西個人に焦点が当てられており、鶴田浩二が熱演している。玉音放送に激怒し、天皇に自決を迫る鶴田の叫びに、あらためて特攻とは何だったかを考えさせられる。NHK特集や『俺は~』で特攻に関心を抱いたなら、観ておいて損はない映画である。

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