相変わらず暇な木馬の午後のカウンター。
今日の話題は、今週のサンデー毎日の記事から、昭和30年代の人なら知っているであろうフランク永井の「西銀座駅前」の歌詞の中で、「ABC、XYZ これがおいらの口癖さ」のと言う一説で、「ABC,XYZ」これが口癖なんて凄い。と中野翠のエッセイに書いてあったのを読み、皆で納得したり、笑ったりした。
子供の頃は、歌詞まで気にせずに、やたらかっこつけて歌ったりしてたけど、ほんと言われて見ると、確かに可笑しいよね。会話の何処で口癖のABC,XYZなどと言うんだろうね。
でもあの歌が流行(はやる)った頃は、やっと日本の未来が見えて、立ち直って頑張って生きていた時代で、あの低音の都会的なムード音楽にカッコイイ、しびれると思ったんだけど、(コートの襟を立てて大都会の群衆の中に消えていく、スマートな男性をイメージして)よくよく考えてみるとホント可笑しい。(犬も歩けばどうして棒に当たるのかに匹敵するくらい・・)
昭和32年、33年のころ、2年続けて浜田地方は夏休みに大雨が降り、浜田川が氾濫して、ほとんど街中が水の被害にあった。(その時、例のオール5の成績表も流れてなくなり、証拠隠滅の目に会うのだが・・)
その時の、街中泥だらけで、汗だらけで、復興作業している中、フランク永井のムード歌謡「有楽町で会いましょう」「夜霧の第二国道」「西銀座駅前」とかが何処からともなく流れるのだ。
木馬の連中も年齢的に初老に指しかかっていて、真に新しいものえの反応に鈍くなっているのか、こういう話には盛り上がる。
相変わらずのんびりとした空気が流れている木馬ですねぇ・・(大丈夫かいな?)
*****
さて、私はと言えば暇に任せて、今日発売の文芸春秋で第134回下半期芥川賞 絲山秋子の「沖で待つ」を読んだ。
素直に面白かった。好きなタイプの文章と、短編でありながら、物語のストーリーがしっかりしていて、深みがあったように思えた。
名は体を現すという"太っちゃん"と呼ばれる牧原太と、“私”との職場の同僚の話で、男でもなし女でもないいわば戦友のような関係の二人の友情物語だ。
二人が入社した住宅設備機器メーカーで福岡支店に配属になったところから本筋は始まるのだけど、その間に"太っちゃん"は結婚したり、“私”は転勤したり、でも次に東京で二人は出会う。その時、どちらかが先に死んだらお互いの家に忍び込んで、パソコンのハードディスクを壊し、中の記憶を消すと言う約束をする。
ところが、私がこの小説でユーモアを感じたのは、たたいても何しても是絶対に死なないと思っていた、"太っちゃん"が、交通事故でもなく、病気でもなく、自分のマンションから自殺しようとして、上から落ちてきた人が、直撃して頭を打って死んでしまう。この設定に感心したし、短編なればこその、後を引かない悲しさだなぁと思った。
約束を守る為、パソコンを壊す描写が続くのだけど、(犯罪者のように手袋をして)しかし本当に本に書いてあるようにハードデスクのところは、星型ドライバーじゃないと開かないのか、(プラスでもマイナスでもダメ)私は調べる事は出来ないが、フィクションなのか、事実なのか、誰か教えてほしい。
曇り 時々粉雪 時々薄晴れ 6℃
今日の話題は、今週のサンデー毎日の記事から、昭和30年代の人なら知っているであろうフランク永井の「西銀座駅前」の歌詞の中で、「ABC、XYZ これがおいらの口癖さ」のと言う一説で、「ABC,XYZ」これが口癖なんて凄い。と中野翠のエッセイに書いてあったのを読み、皆で納得したり、笑ったりした。
子供の頃は、歌詞まで気にせずに、やたらかっこつけて歌ったりしてたけど、ほんと言われて見ると、確かに可笑しいよね。会話の何処で口癖のABC,XYZなどと言うんだろうね。
でもあの歌が流行(はやる)った頃は、やっと日本の未来が見えて、立ち直って頑張って生きていた時代で、あの低音の都会的なムード音楽にカッコイイ、しびれると思ったんだけど、(コートの襟を立てて大都会の群衆の中に消えていく、スマートな男性をイメージして)よくよく考えてみるとホント可笑しい。(犬も歩けばどうして棒に当たるのかに匹敵するくらい・・)
昭和32年、33年のころ、2年続けて浜田地方は夏休みに大雨が降り、浜田川が氾濫して、ほとんど街中が水の被害にあった。(その時、例のオール5の成績表も流れてなくなり、証拠隠滅の目に会うのだが・・)
その時の、街中泥だらけで、汗だらけで、復興作業している中、フランク永井のムード歌謡「有楽町で会いましょう」「夜霧の第二国道」「西銀座駅前」とかが何処からともなく流れるのだ。
木馬の連中も年齢的に初老に指しかかっていて、真に新しいものえの反応に鈍くなっているのか、こういう話には盛り上がる。
相変わらずのんびりとした空気が流れている木馬ですねぇ・・(大丈夫かいな?)
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さて、私はと言えば暇に任せて、今日発売の文芸春秋で第134回下半期芥川賞 絲山秋子の「沖で待つ」を読んだ。
素直に面白かった。好きなタイプの文章と、短編でありながら、物語のストーリーがしっかりしていて、深みがあったように思えた。
名は体を現すという"太っちゃん"と呼ばれる牧原太と、“私”との職場の同僚の話で、男でもなし女でもないいわば戦友のような関係の二人の友情物語だ。
二人が入社した住宅設備機器メーカーで福岡支店に配属になったところから本筋は始まるのだけど、その間に"太っちゃん"は結婚したり、“私”は転勤したり、でも次に東京で二人は出会う。その時、どちらかが先に死んだらお互いの家に忍び込んで、パソコンのハードディスクを壊し、中の記憶を消すと言う約束をする。
ところが、私がこの小説でユーモアを感じたのは、たたいても何しても是絶対に死なないと思っていた、"太っちゃん"が、交通事故でもなく、病気でもなく、自分のマンションから自殺しようとして、上から落ちてきた人が、直撃して頭を打って死んでしまう。この設定に感心したし、短編なればこその、後を引かない悲しさだなぁと思った。
約束を守る為、パソコンを壊す描写が続くのだけど、(犯罪者のように手袋をして)しかし本当に本に書いてあるようにハードデスクのところは、星型ドライバーじゃないと開かないのか、(プラスでもマイナスでもダメ)私は調べる事は出来ないが、フィクションなのか、事実なのか、誰か教えてほしい。
曇り 時々粉雪 時々薄晴れ 6℃
イタズラ防止の為(+)や(-)のドライバーが使えない、専用の工具が必要なネジはあります。
六角レンチとかラインヘッドとか…
星型というのは「トルクス」というタイプのネジとそのドライバーではないかと思われます。
呪われたネジ屋の「どてらい男(やつ)」でした。
じゃー本当にパソコンの心臓部を開けるのは星型ビスなのですね。へぇ~へぇ~へぇ~。
ところで、今、フランク永井どうしているんだろうね。あの張りのある哀愁をおびた歌声を聴くと、当時夏休みに浜田祭りのイベントできていた、サーカスとか思い出してしまう。会場周辺で聞こえていたのよ。
♪チャコ、チャコ、酒場に咲いた~花だけーど♪
は困難みたい・
最近は頓に振り返りの話題が多いね。
菱川師宣よね、浮世絵の・・
わては安藤広重と遠類じゃ・・ないけど、
過去の思い出を大事にして生きていきます。悪しからず・・
本屋で見かけたなぁ。読書したいな。
映画も最近ご無沙汰です。(涙)
でも勉強頑張ってます。
最近は、自分が死んだらハードディスク壊してほしい人、多いかもしれませんね。
ハードディスクじゃないけど、この前職場のキーボードを壊してしまって、キーボードの基盤が壊れたかな?と言いながら開けようとしたんだけど、特殊なドライバーが必要で結局開けられませんでした。
なかなか手ごわいですね。
この本とても短いんですよ。あっという間に読んでしまう、でも川上弘美のような、リズミカルな文章でなく、しっかりとした構成に感心しました。
話は変わりますが、ネットの力って凄いですね、この精密機械のネジ 結構知っている方がいらして、2人も教えてくれました。
知ってる人いるんですね。
知らなかったのは私だけ??情けない・・
私のパソコンはそこまでやらなくても良いけどリカバリは頼んでおこうかな…なんてね。
あの描写、ほんとドキドキでした。
私はある程度の高さから落としてしまったら、みな消え去るのかと思ってましたが、甘いですね。