新宿で10時間も君と話し、20年間のブランクが消えた時、僕は生活を変えようと心に決めた。
仙台でのNさんとの諍いの日々を、何とか変えていこうと考えたわけだ。60代も残りもうわずかで人生の終末期の70歳もすぐそこにあった。
<暗闇>
心臓君はとても身勝手で、激しい発作がいつ起こるか分からないという状態が続いていた。あんなに頑張った心房細動の根治治療、カテーテル・アブレーション手術の効果は6か月で消え、洞調律には回復しなかった。他に方法がないから、他の抗不整脈薬が効かない場合だけ使われる劇薬、強力な抗不整脈剤のアンカロンと、心房細動が起きると、24時間で作られ始める血の塊を防止するワルファリンの投薬を受けていた。こうして、心房細動が脳梗塞を引き起こすことを防いでいるしかなかった。
これらの薬が、いろんな制約を僕に課してくる。アンカロンには、間質肺炎や除脈、気が遠くなるとか、心不全、肝臓機能低下、甲状腺機能障害などの副作用が現れることもあるといわれている。さらに、ほかの薬との飲み合わせを制限する必要がある。しかも高価だった。
ワルファリンは、僕の大好きな納豆を禁止した。血がサラサラになるので小さな出血でも、血が止まらない。だから運動は禁止されていた。制限、禁止のほかに、処方毎に血液検査が必要だった。とにかく、気が重くなるような薬だった。
僕が残りの時間が少ないと考えたのは、僕がカウンセラーの教育を受けている時に起きたある出来事に遡る。僕が36歳の時のTAのワークショップで、「人生脚本」の理論と実証の実験をしている時だった。その時に出た命題が、「自分自身への弔辞を書く」だった。
どんな弔辞を、何歳のころ、自分で自分に与えるかを考えて書くという演習だった。僕の告別式が行われている時、自分は自分自身にどういう言葉を弔辞として語るのかという命題だ。その演習で、僕が自然に考えたのは、僕は75歳で死ぬという脚本だった。
<自分への弔辞>
今も残っているその時に書いた自身への弔辞には、僕は75歳でくたばり、その時には達成感のある一生を送ったとある。栄光の日々は、自分の書いたエッセイに記されていると書いていた。36年も以前の予言だ。
その39歳の頃、僕は先天的な心臓の病気の存在は知ってはいたが、心房細動の発作は全くなく、へっちゃらで部次長の職を務めていた。残業時間の制限が会社の産業医から出ていたが、そんなことは気にもしていなかった。なのに、なぜ75歳でくたばると考えたのかはわからない。
この「人生脚本」とは、個人が約3~4歳のころに、自己決断したシナリオだといわれている。つまり、自分はどう生きて行こういう「早期の決断」に沿って書かれた脚本だ。僕の場合は、75歳くらいでくたばろうと決めていたようだ。それが明らかになったのは、この演習のおかげ。どんな一生を送ろうとしているのか、自分の人生脚本をやっと理解した始めたわけだ。
僕にとって、75歳という年齢は、重要な意味を持っていた。今も、そう思っている。
Nさんと仙台で、無意味な時を過ごしているのはまずいと思い始めたのが、70歳に手が届く時期だった。僕は、あと8年か長くて10年くらいしか、残りの時間を持っていないと気がついた。貴重な時間を今のまま無為に過ごして行っていいのかと、自分自身が問うてみた。大きな問だった。
<時計>
Nさんとの結婚は、53歳の時だった。あと残された20数年を一人で生きていくのかと考えた時に、一人じゃつまらないなと、一緒に時間を過ごす人に選んで決めた。熱愛の末、結婚したものではなかった。Nさんにとっても、40近くになって、これから独身で生きていくのはどうか…と考えていた時期で、僕たちの選んだ結論は、二人の共同生活だった。
しかし、二人のボンド役を果たしてくれたカロが癌で一人、虹の橋を渡って行ってしまった時、僕たち二人は、いままで真正面からお互いを見ながら時を過ごしてきたのかという疑問が湧いてきた。お互いに、もったいない時間を過ごしているのかも…と考えた。
Nさんは僕より15歳も若い。横浜で父を亡くし、祖母を亡くし、母の住む家を出て、他人の僕と暮らし、突然仙台に暮らすことになった。そこには友達も居ない。その上、一人息子のカロを亡くしペットロスの上に、さらに僕が心臓病を発症し、鬱になったことは、環境としては最悪だった。丁度、彼女の更年期障害のど真ん中でもあった。さらに、Nさんのお袋は弟さんをかわいがり、Nさんには距離を置いていた。結果としては、Nさん自身が、閉ざされた時間を、僕と同居別居の形で過ごしていたわけだ。辛かったに違いない。
彼女がなぜキリスト教の洗礼を受けたのか、僕は聞いていない。何がそうさせたのかも聞いていなかった。宗教は個々人のものだから、他の人が入り込む余地はないし、キリストとの契約の世界にいる人だから、無神論の僕が聞いてもわからない。だから彼女には、教会の牧師さんが、本当の助言者だろうと思っていた。
二人の世界をもうこれ以上築けないから、生活を変えようと思った。
P.S.
<写真<暗闇>は、flickrからAlex. Muellerさんの“Darkness”をお借りしました>
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