ひとりごと

30台後半が勉強したことを、とりとめなく、さらしていきます。

それを読んだのか

2010-04-29 | 日記
学会で発表なんぞをしていると、その分野のお偉いさんが、「君はわたしの○○の論文を読んだかね」と質問してくることがある。
また、自分がやってる結果と違うとか言ってくることもある。

重鎮に対し、
そんなマイナーな論文読んでるわけねーだろ、インパクトファクターは1台だろうが!とか
てめぇの実験結果なんか知るか!
というわけにもいかず、初心者はおろおろしがちだ。

そういう時には、まず一呼吸。
彼らは、自分の主義主張を強く言いたいだけ、自分こそが本流よ、と言いたいだけ、あるいは自分も論文出してるんだとかこの分野では先駆者という自己アピールしたいだけで、こちらと議論をしようというわけではないのだ。

不勉強で読んでおりませんとか、後で詳しい条件などを教えて戴ければ検討いたしますとか切り抜けるのが基本技である。

ただし、無礼に礼を持って対応するのは、一度まで。
組みやすいと思われたら、会う時、会う時、攻撃してくる輩もいるから。

応用としては、逆質問という手がひとつ。
わたしの今回のテーマはこうであるが、それとそれがどう関係があるのか?
わたしの今回のテーマ自身が、どう矛盾するとお考えですか?

「いまさら言うな」論の話に戻るけど、
協定を結び、その実行段階において、トラスト・ミーなどと一国の首相が一国の大統領に言った以上、これはアメリカと日本の問題ではなく、日本が解決するべき、日本の手続き上の問題だ。
ハトが本当に本質論を唱えたい、協定を最初っから見直したいなら、
「アメリカさん、すいませんけど、今までの話、全部なしってことにしてもらっていいですか?」
と。
それを最初に言わなかったのだから、あとは手続きの問題なのだ。

それとも、恥の上塗りで、手続きがうまくいきそうもありませんから、そもそも論からはじめさせて戴いてもいいですか?ぶっちゃけ、あの協定をなしにしてもらっていい?と今さら言うかね?
その時は、日本は国際信用を失うことにはなるとは思うけど、それでも良いというなら、そこからはじめればいいではないか。
相手型が議論をもとに戻すことを了承してもらうのが一歩。
相手あっての交渉事で、こっちの都合が変わったら従えの一方論では喧嘩しかない。

むやみやたらに、ハトに本質論を!と言っても、ハトだってアメリカを先に口説き落とさなきゃ、本質論には戻るのはそう簡単じゃねーぜ。
ハトは最初はそんなつもりはなかっただろうに(そうじゃなきゃ、トラスト・ミーなんて言わない、それともアメリカと日本へ言葉を使い分けてる二枚舌)、本質論を従ってる周りの奴らが期待し過ぎで騒いでるだけだろ?

ようは、本質論が終わって、手続き論に入っちゃってるってのが主論なんだから、いまさら本質論の中身なんて知らんよ。ましてやこれぐらいは読んどけって言われても知らん。

いまさら言うな

2010-04-26 | 日記
お前が言うなに引き続き、いまさら言うなという反論がある。

失敗した後、「だから言っただろう、俺は反対だと。」

……こう言われたら、しばきまわしたくなるよな(笑)

別に、その時に反対か賛成かは、些細な問題じゃないんだよな。
一度決まったことを、うまくやろうぜっていう時に、うまくやれることに貢献できなかったことに対して罪がある。
反対だっていうなら、失敗するリスクをわかっていたってことだろ?
それに対してどう対応したんだよ。
そもそも、民主主義って、少数反対の人権はないしな(笑)

後、進行中のプロジェクトで、突然、本質論に立ち止まろうとするやつがいるよな。
もう遅いっての(笑)

今、普天間の問題で、今こそ米軍基地が必要かどうかを議論しなければって話をして、本質論ぶっている馬鹿がいるけど、そういう話は協定を結ぶ際にしろよ。ようするに、辺野古に決定したときに騒がずに、いまさら何を騒いでんのか、と。
だって、辺野古はもう何何年も?前から受け入れることを決定して、見返りの振興費をもらってたわけだろ?
その振興費で振興がうまくいかなかったのは地元のせいだよ(笑)

協定をどうやって実行しようかってのと、協定の中身をどうしようかってのは別問題だからね?

もっと最悪なのは、普天間は嫌だ、徳之島は嫌だと言っている、日本には受け入れるところはないんだと鳩山がはっきりいわないのが悪いんだと、日本から出ていけ、オバマが考えるべきだって言ってるやつがいるけど…。自分は本質ぶってるかもしれないけど、、、遅いんだよ。

会社の社長だって、前の社長が決めた借金は返さんとしかたがないんだぜ?

決まったことに後からでも反対できるんだったら、議論は進まない。
議論においては、今、議題がなにかということをはっきりさせなければまともな議論はできない。

でわの守

2010-04-20 | 日記
議論でよく現れるタイプとして、「でわの守」と呼ばれるヒトがいる。

とにかく、アメリカでは~、フィンランドでは~、と繰り返す。
まぁ、同じ種類として、それは海外の話で、日本では~と繰り返すヒトも多い。

これは、原則論と実施を混同しているのだと思う。

社会制度の原則なんて、海外と日本でそれほど大きく違うわけがない。人間なんだから。
もちろん、文化が違うから、その実施には固有の適切な方法があってしかるべきだ。

それだけのこと。
それをわからすに、○○では~というのは単なる情報に、もしくは状況に踊らされているだけの話だ。

最近は原理主義者も多いようで、アメリカでどうやっているか知らん!日本ではこうじゃなきゃいけないんだ!というのも多い。
問題は、それが、どこに根ざしているかということだ。

いつぞやの、本人も、そうだとはわかってないかもしれない前提条件と言うやつである。

遠い例えをすれば、大昔の話だが(逆に、もう言っても良いだろうw)、原爆反対運動の中で、ソ連が持っている原爆は良い原爆というジョークがあった。
原爆に反対と言っても、それの前提は、社会主義信奉なのであって原爆の反対というのは、実は絶対ではない。
近い例えをすれば、アメリカ「では」、成果主義だ!日本でもしようと言う。日本「では」年功序列だ!それを守らなければ、という。
まぁ、別にいうのは構わない。成果主義にも年功序列も、メリットもデメリットもいっぱいあるし、やりかたもいっぱいある。
ただ、本心はなにか。
上の無能な働かないやつがむかつくから成果主義、とか働かなくてもある程度は出世したいから年功序列という、単なる欲望のぶつかりあいになってないか。

単なる議論なら勝ち負けで収まることもあろうが、利害や欲望の戦いというのは、勝負という形になってしまうと、負けた方に禍根を残すことになることが多い。勝った方もいろいろ失うし。

「ではの守」というのが必ずしも悪いというわけじゃあない。単なる利害の隠れ蓑になってしまっているのではないかと。そこが問題なのだ。

単なる利害や欲望の戦いでは、禍根が残さないのが重要である。
(完膚なきまでにたたいて、禍根が残らないようにするという荒業もある。)
そのためには、信念の戦いではなく、これは利害調節なんだとわかるかたちで行うのが良い。
逆に、信念の戦いであるならば、利害は別だということを理解しなければならない。

学習

2010-04-19 | 日記
ときどき、セミナーに行くと、目から鱗の考え方や、仕事の改善方法にあう。
しかし、それは、ほとんどの場合はその場限り、あるいは一週間と持たない。

学習とは、新たな知識を得ることではない。
それによって、なにかが変わることなんだって言われると、じゃあ俺ってセミナーではほんとのところ、何も学んでいないのか、と悩んでしまう。

とある研究によると、人間ってのは難儀なもので、新しい方法を知っても、その方法で成功しない限りは、その方法は定着しないのだという。
こういう話を聞くと、じゃあ、結局、学びってなんなのだ?と思う。

という話をしていたら、
おまえ、この前、マネージとか経営戦略って、多少のまねごとはできても、結局は、そっくりあてはまるものはないから、成功したヒトのやりかたを見たら、とりあえず取り入れて、ダメならやめる、良いところだけ抽出していく、また取り入れるの繰り返しって言ってなかった?それと何が違うの?
と言われた。

おっしゃる通り(笑)

変ることを恐れるな。
手間をかけることを嫌がるな。
下がっても後悔するな。
何もしないやつにはなるな。

プロジェクトマネージャーに必要なもの

2010-04-12 | 日記
脱線中

いつぞや優秀な研究者は、それゆえに無能なプロジェクトマネージャーになるという話をした。

じゃあ、有能なプロジェクトマネージャーの条件ってなんだろう?

忘れがちなのは、テクニカルなものだ。
情報伝達方法やら、意思の統一方法やら、時間管理スケジュールとか。
知っとくだけでプラスになるもの、というか、知らなくちゃいけないものはいくらでもある。
最も重大なことは、研究と、そのマネージというのは、別の「職種」であって、「別の仕事のやり方がある」、ということだ。

なお、マネージというのは、調整に近いニュアンスのものであって、「管理」ではない。
特に、研究プロジェクトにおいて、研究畑以外のヒトがありがちなミスだが、、研究と研究者を、「管理」しようとするとろくなことにはならない。商品をいついつまでにどれだけ作れ、そのためにはここまでにこうしなければならないというデッドライン制はあほのやることだ。
必要なのは、本当にだすべきもののレベルに到達させるための努力と、それを誘導する努力である。
(なお、単なる興味や、科学者としてのプライドだけで、求められているレベルよりも上のレベルをむやみやたらと追うのは暴走である。最終製品に無駄なコストが上乗せさせられるだけだ。)

もちろん、テクニックだけではどうしようもない。
必要なのは、そのバックボーンだ。どうやったら、PMの言うことを聞いてもらえるか。
ある日、突然、超有用なマネージャーが来たところで、実のところ、だれも従わないのだ。
わたしがここで言わんとしていることは、必ずしもリーダーシップ云々というものではない。それに近いんだけど、やや異なる。

そいつが命令したとしたら、そいつに従うか?という微妙な問題だ。
上司と部下で、そりゃ上司の命令に従わないって選択肢はないんだけど、積極的に従うのとしょうがないなーと思って従うのでは、達成率も違うし、達成したとしても、命令が表面的にしか伝わらない。
部下を持つ身のヒトはわかるだろう。

そりゃそういったけどさ、その真の意味はこうだろう、それを前提にそうやれよ、というやつだ。

例えば、今、文部科学省はポスドク対策として彼らをプロジェクトマネージャーにしようとか言っているらしいが。
単にドクターとって、そこから2~3年研究してました、プロジェクトマネージャーの勉強も座学とOJTでやってきましたっていうやつの調整に、誰が従うよ?

逆に考えて、マネージを受ける側からすると、どういうやつなら従う?あるいは、そいつとうまくやっていこうと思う?
結論的には、いくつかあろう。
1.研究者(同業者)として経験があり結果を出している。
2.プロジェクト・マネージャーとして経験があり結果を出している。
3.本人ではないけど、バックに強力な支援者がいることがわかっており、その支援者のことを考えれば、従ったほうが良いと打算的に思う。
4.自身もこのプロジェクトを成功させたい理由があり、そのためにはそいつを使った方がよいとわかる。

3は、打算的である。
支援者というのは、例えば社長だ。
社長肝いりのプロジェクトで、社長が、このプロジェクトのマネージ権限は全てこいつにやらせるという委任があれば、従うやつもいるだろう。

1、2は、逆説的だ。
そもそも優秀なプロジェクトマネージャーの条件なのに、優秀だから従うってのはね。
そして、「優秀な研究者というのは、無能なプロジェクトマネージャーになりやすいというのに、優秀なマナージャーの条件でもある」とは一体、どんなパラドクスか。
普通に考えれば、結局は個の素質のみによって優秀なプロジェクトマネージャーにはなりえないということになる。

あとは、4である。
研究者本人、プロジェクトマネージャー本人。
なにかに対する情熱は、理論を覆すことはあるってのは事実。
それを誘導できるなら、大したもんだが…。