魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

川端康成の手紙 初恋 運命のひと伊藤初代(4)

2014-07-12 22:55:01 | 論文 川端康成
川端康成の手紙 初恋 運命のひと伊藤初代(4)

迎える準備

 1921(大正10)年10月8日に岐阜で伊藤初代との婚約が成り立ち、10月末には岩手県岩谷堂に初代の父親を訪問して、結婚の承諾を得た。
 あとは初代の上京を待つばかりである。
 その間にも、初代からの手紙はとどいた。

  私は私をみんなあなた様の心におまかせ致します。私のやうな者でもいつまでも愛して下さいませ。
   私は今日までに手紙に愛すると云ふことを書きましたのは、今日初めて書きました。その愛といふことが初めてわかりました。

   又あなた様のお手紙によれば、11月の中頃に岐阜へ私を迎へに御いで下さいますさうですが、私として、来て下さいますのはどんなに  うれしきことでせう。しかし御母様(養母)はどこまでもあなた様や岩佐様のことを悪く申してゐるのです。

   11月の1日には行けませんやうになりましたが、10日頃には行きたいと思って居ります。しかしあなた様が岐阜においで下さいます  なら待つてをりますが、私があなた様のところへ行つてよければ、十日頃に逃げて行きます。

   唯今の私が東京に行つたらよいのか、あなた様に来ていただくか、2つのことをおさしづお願ひ致します。わたしはどのやうなことがあ  りましてもお傍へ参らずには居られません。お手紙を待つて居ります。

 10月23日の手紙(「彼女の盛装」)を写し出したものだが、いずれの部分にも、稚拙な表現のなかに、みち子の、康成に対する愛情と全幅の信頼があふれている。
 康成は、幼いみち子をひとりで上京させるにしのびず、自分で岐阜まで迎えにゆくと手紙を書いたようだ。
 これに答えて、みち子は、来てくれるのはありがたいが、養母がふたり(康成と三明であろう)に悪感情を持っているから、かえって事態が難しくなると、婉曲に、迎えに来ない方がよい、と書いている。しかし最終的には、「おさしづお願ひ致します」と康成に判断をゆだねている。

 しかも行間にあふれる愛の言葉は、稚拙なだけに、かえって真情がこもっている。「私は今日までに手紙に愛すると云ふことを書きましたのは、今日初めて書きました。その愛といふことが初めてわかりました」とは、何と美しい愛の言葉であろうか。

 「わたしはどのやうなことがありましてもお傍へ参らずには居られません」という言葉にも、娘らしい一途な心があふれている。
 これに応じて、康成も着々とみち子を迎える準備をすすめた。
 秋岡さん(菊池寛)に資金をもらって、本郷に、二間つづきの二階の小ぎれいな部屋を借りた。鍋や釜の所帯道具はもちろん揃えた。
 それでも足りずに、みち子のために用意する、若い娘にふさわしい品々を原稿用紙に書きつけた。

  鏡台  女枕  手袋  化粧手拭い  髪飾り  針箱
  針   糸   指ぬき 箆(へら)      鋏(はさみ)    アイロン
  鏝(こて)   箆板(へらいた)  鏝台  鏡台掛け   手鏡  洋傘と雨傘
  部屋座布団   衣装盆
  櫛   ブラッシュ   髪鏝(かみごて)     元結い  髷(まげ)形
  手絡(てがら)  葛(かずら)引き     鬢(びん)止め    おくれ毛止め
  ゴムピン毛ピン     すき毛    かもじ
  ヘヤアネット      水油     固煉油   
  鬢附け油    香油  ポマアド   櫛タトウ

康成はこのように準備万端をととのえて、いったいみち子とどんな暮らしをしようと考えたのだろうか。この結婚に何をもとめていたのだろうか。

   私はその娘の膝でぐつすりと寝込んでしまひたいと思つてゐたのだつた。その眠りからぽつかり目覚めた時に、自分は子供になつてゐる  だらうと思つてゐたのだつた。幼年らしい心や少年らしい心を知らないうちに、青年になつてしまつたと云ふことが、たへ難い寂しさだつ  たのだ。                                (「大黒像と駕籠」、『文藝春秋』1926・9・1)

ここでようやく、康成がみち子にもとめていたものが明らかになる。
 康成には、自分が両親を知らず家庭の味を知らずに育った、という抜きがたい寂しさがあった。
 みち子はどうだろうか。
 みち子もまた、早くに母親を失い、父親や妹と別れて育ってきた。自分と同じように、幸福な少女時代をもたなかった。

 そのふたりが結ばれることによって、ふたりとも子供に返る――娘の膝でぐっすり眠りこんでしまいたいとは、そんな願いをこめた表現だった。娘もまた自分のふところでぐっすり眠る――そうしてぽっかり眠りから目覚めたとき、幸福な少女に戻っている。……
 康成がみち子にもとめたのは、そのような幸福の形だった。そうして、この願いは達せられたのだろうか。


「非常」の手紙

 「非常」は、「みち子もの」の中核となる作品である。主人公の「私」は北島友二という名、友人の柴田は三明、そして新進作家の吉浦は横光利一、今里氏は菊池寛と、モデルはすぐわかる。
 
 今里氏は人通りの中で無造作に大きな蟇口(がまぐち)から札(さつ)を出して「私」にくれる。明日引っ越しをする「私」の資金である。
 上野広小路で今里氏に別れると、「私」は友人の柴田を訪ね、誘い出して、冬の座布団を五枚買う。
 「鏡台、お針道具、女枕――みち子が来るまでに買はなければならない品々が私を追つかけてゐる。」
 「私」は明日その二階へ引っ越す家に立ち寄る。その家の主人と対話する。

  「では、明日御一緒に?」
  「明日は僕一人です。4、5日のうちに岐阜へ迎へに行くんです。」
   実際4、5日のうちに迎へに行くはずなのである。みち子からその日を報せてくる手紙を私は待つてゐるのだ。その手紙が来さへすればいいのだ。なんとかして、みち子が東京に来てしまひさへすればいいのだ。

 そして浅草の下宿に帰ると、みち子の手紙が来ている。「私」は2階へ駆け上がった。みち子が東京に来たと同じではないか。
 しかし、その手紙は、余りにも意外な文面だった。

   おなつかしき友二様。
  お手紙ありがたうございました。
  お返事を差上げませんで申しわけございませんでした。お変りもなくお暮しのことと存じます。

   私は今、あなた様におことわり致したいことがあるのです。私はあなた様とかたくお約束を致しましたが、私には或る非常があるので   す。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ません。私今、このやうなことを申し上げれば、ふしぎにお思ひになるでせう。あ  なた様はその非常を話してくれと仰しやるでせう。その非常を話すくらゐなら、私は死んだはうがどんなに幸福でせう。

   どうか私のやうな者はこの世にゐなかつたとおぼしめして下さいませ。

   あなた様が私に今度お手紙を下さいますその時は、私はこの岐阜には居りません、どこかの国で暮してゐると思つて下さいませ。
   私はあなた様との○! を一生忘れはいたしません。私はもう失礼いたしませう――。

   私は今日が最後の手紙です。この寺におたより下さいましても私は居りません。さらば。私はあなた様の幸福を一生祈つて居りませう。
   私はどこの国でどうして暮すのでせう――。
   お別れいたします。さやうなら。
   おなつかしき友二様

「私」は茫然としながら、幾度も手紙を読み返す。消印を調べると、岐阜、10年11月7日、午後6時と8時との間、である。
 「私」は柴田のところへ駆けつける。

 「非常」とは、いったい何だろう。
 處女でなくなったこと?
 生理的欠陥?
 悪い血統か遺伝?
 明るみへ出せない、家庭の、親か兄弟の恥?
 ○! も、わからない。
 いずれにしても、わからない。もう、あの寺にはいないんだろうか? とすれば、今、どこにいるのだ。東京へ来る汽車にでも乗ったのだろうか?

 そのとき、柴田がぽつりと言う。
「この前来ると言つた時に、東京に来さしてしまへばこんなことはなかつたんだ。機会の前髪を掴まなかつたからいけないよ」
 ――10月の中頃に来たみち子の手紙のことだった。11月の1日に岐阜を逃げ出すから汽車賃を下さいと言ってよこしたのである。
 しかしそのとき、みち子は5歳年上の近所の娘と一緒に来る、というのだった。「私」はそれが不愉快だった。
 東京へ着く時は、みち子一人であってほしいのだ。みち子の感情を真っ直ぐに一ところへ向けて置いて、それを真っ直ぐに受け取りたいのだった。
 そんなことで「私」は、みち子が近所の娘と一緒に来ることに反対したのだった。
 その時のことを柴田に言うと、「なんだ。女一人くらゐ僕がなんとでも片づけてやつたんだ」と言った。
 今になってみれば、あんな綺麗好きなことを言はなくて、とにかくみち子を東京へ受け取つてしまつておけばよかつたのだと、「私」もひしひし感じる。しかしもう遅い。
 とにかく「私」は今夜の夜行で岐阜へ行くことにする。友人たちから金を借り集め、岐阜の寺へ電報を打っておく。

  ミチコイヘデスルトリオサヘヨ

 もちろん差出人の名は書かない。みち子を家出させようとしている「私」が、取り押さえよ、というのだから。
 東京駅の待合室で「私」は今里氏に手紙を書く。柴田を行かせるから、また金を貸して欲しいと。
 汽車の窓から首を出して、「私」は柴田にきっぱり言った。
「みち子のからだがよごれてゐないなら何としても東京へつれてくる。若(も)しだめになつてゐたら、国の実父の手もとへ帰れるやうにしてやらう」


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