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魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

川端康成の恋 伊藤初代のその後 日記に告白された恋情(4)

2014-09-06 23:08:27 | 論文 川端康成
川端康成の恋 伊藤初代のその後 日記に告白された恋情(4)

最高峰「みづうみ」

 川端康成の〈魔界〉文学の最深部にあるのは、間違いなく、この作品であろう。
 「みづうみ」は、昭和29年に雑誌『新潮』に連載された。
 主人公の桃井銀平は、夏の終わり、というよりも秋口の軽井沢に、姿をあらわす。
 彼は、新しい服を買い、それまでの服を袋につつんで、空いた別荘のゴミ箱に捨てる。
 そしてさまよって、トルコ風呂のアーチに誘われたように、そこに入ってゆく。といっても、現在とは異なり、日本にトルコ風呂が入ってきたばかりのころだ。売春宿ではない。
 蒸し風呂に、湯女(ゆな)がマッサージをしてくれるだけだ。
 それでも、湯女の少女の親切さに心をゆるした銀平は、日ごろの思いを、このように表現して少女に話しかける。

   君はおぼえがないかね。ゆきずりの人にゆきずりに別れてしまつて、ああ惜しいといふ……。僕にはよくある。なんて好もしい人だらう、なんてきれいな女だらう、こんなに心ひかれる人はこの世に二人とゐないだらう、さういふ人に道ですれちがつたり、劇場で近くの席に坐り合はせたり、音楽会の会場を出る階段をならんでおりたり、そのまま別れるともう一生に二度と見かけることも出来ないんだ。かと言つて、知らない人を呼びとめることも話しかけることも出来ない。人生つてこんなものか。さういふ時、僕は死ぬほどかなしくなつて、ぼうつと気が遠くなつてしまふんだ。

 私は、この言葉は、銀平の言葉であると同時に、作者である川端康成の、心からの言葉であると考える。
 だから、私の本の冒頭の扉(とびら)に、この言葉を書きつけた。
 康成の人生観の本質を吐露した言葉だと思う。
 ここにあるのは、〈かなしみ〉である。会者定離(えしゃじょうり)の、別れのさびしさにともなう、深い喪失の〈かなしみ〉だ。
 「みづうみ」には、銀平が邂逅する幾人もの少女や若い女が登場するが、最も劇的なのは、銀平の教え子・玉木久子の場合であろう。
 銀平は久子の放つ魅力にとらえられ、彼女が自宅に帰ってゆく後をつけた。
 初めは、怒りにふるえた久子だったが、とうとう二人は、深い関係になる。

    久子の女は一瞬に感電して戦慄するやうに目ざめた。久子が身をまかせた時、多くの少女はかうなのだらうかと、銀平さへ戦慄を感じたほどだ。

 それからたちまち大胆になった久子が銀平を驚かせる。稲妻に打たれたように、久子の女は目ざめたのだ。
 大胆になった久子は、銀平を自分の家の居間へ誘い入れる。

   「私、先生と結婚出来ませんでせう。一日でもいいから、私の部屋でいつしよにゐたかつたの。いつもいつも、草葉のかげはいやだわ。」

 久子の居間は二階の洋室で、女生徒の部屋としては想像も及ばないほど華美で贅沢な室だった。
 しかし久子が銀平の夕食にサンドイッチを作ってくれたりしたから、家人に露見した。
 母が来て、久子の居間のドアを外からノックした。
 「お客さまですから、お母さま、あけないでちやうだい」と答えた久子の凛々(りり)しさに、銀平は「狂はしい幸福の火を浴びたやうに」思う。ピストルでも持っていたら、うしろから久子を打ったかもしれない、と思った。
 玉は久子の胸を貫いて、扉の向こうの母にあたる。
久子は銀平の方へ倒れ、銀平の脛(すね)に抱きついた。久子の傷口から噴き出す血がその脛を伝わり流れて、銀平の足の甲をぬらすと、それは薔薇の花びらのように美しく、桜貝のようになめらかとなって、猿の足みたいな銀平の醜い足は、マネキン人形の指のようにきれいになる……。
 銀平の狂おしい妄想に、銀平の根づよい願望があらわれている。


恩田信子の密告

 しかし、それは久子がこれまでの高等学校を辞めて、私立の女子高等学校に移ってからのことだった。
 久子が何でも話すという親友・恩田信子が、銀平を不潔であるとして、二人のことを暴露(ばくろ)して、校長と久子の父に密告の手紙を書いたのだ。
 手紙の後ろには、「むかでより」と書かれていたという。
 恩田信子の〈醜〉がよく出た場面だが、このため銀平は高等学校を追われ、久子も学校を変えなければならなかった。
 久子の父は戦後も巨大な財を築いたが、その豪邸を見たとき、銀平はそこに犯罪めいた不正が背後にあると想像して、久子をそれとなく脅迫したものだった。

 久子が銀平を受け入れたことは、久子の裡に〈魔界〉の住人たる要素があった故だろう。そして久子を〈魔界〉の住人たらしめる要素の一つに、作者は、父親の隠れた犯罪を示唆(しさ)しているのだ。
 その証拠というべきだろうか、久子の父は、あの有田老人と親しい関係にあった。
 その縁で久子は、有田が理事長をつとめている女子高等学校に転校できたのだ。
 しかも銀平は、有田老人とも縁の糸が結ばれていた。銀平の学生時代の友人が、有田老人が私立高校で挨拶する演説の草稿を銀平にまわしてくれる。収入をなくした銀平の大切な資金源となった。
 こんなふうに、〈魔界〉の縁はつながっている。
 だが、大切なのは、銀平と久子のその後だろう。

 私立の学校に移った久子を監視する父の目は厳しかった。
 二人は、久子がえらんだ場所でしのびあいをすることになった。
 久子の父が戦前に買った山の手の屋敷の焼け跡である。
 コンクリートの塀だけが一部は崩れながら残っている。人目がこわい久子は、その高い塀のなかで銀平と会うのを好んだのだ。はびこった草の高さが、二人をかくすに十分だった。

 手紙も電話も、ことづけも出来なくて、久子への連絡は一切絶たれたようなものだったから、この塀の内側に白墨で書いておくと、久子が見に来てくれるのだった。逢いたい日と時間の数字を書いておく、秘密の告知板だった。
 久子が、母の金を盗んできて、銀平に渡すこともあった。
 「先生、首をしめてもいいわ。うちに帰りたくない」と、久子がささやくこともあった。
 「先生、また私の後をつけて来てください。私の気がつかないようにつけて来てください。やはり学校の帰りがいいわ」と言うこともあった。
 そして、久子が私立高校を卒業した日、その秘密の場所で、偶然に二人は久しぶりに会うことができた。


〈魔界〉との訣別(けつべつ)

 だが、このときの出逢いが、二人の最後になった。
 銀平は久子の肩に手をかけて誘った。

   「どこかへ行かう。二人で遠くへ逃げよう。さびしいみづうみの岸へ。どう。」

 だが、久子は思いがけないことを口にした。

   「先生、私もう先生とお会いしないことにきめてゐたんです。今日ここでお目にかかれて、それはうれしいけれど、もうこれきりにして下さい。」

 訴えるように、だが落ち着いた声で久子はつづける。

   「どうしても先生に会はずにゐられなくなつたら、どんなにしても先生をさがして行きます。」
  「僕は世の底に落ちてゆくよ。」
  「上野の地下道に先生がいらしても先生をさがして行きます」

 この対話は、かなしい。銀平と久子の人生を象徴した場面である。
 「僕は世の底に落ちてゆくよ」とは、銀平の、いっそう没落下降してゆくという予感であろう。
 これに対して、久子は「上野の地下道」を口にする。
 「上野の地下道」とは、敗戦後の日本の、敗残の象徴である。上野駅の線路の下をくぐる地下道には、空襲で家を焼かれ、行き場を失った人々であふれた。落魄(らくはく)没落の極まりを表現する言葉が「上野の地下道」だった。
 久子の言葉は、銀平に対する決死の愛情を語って美しいが、同時に、銀平の没落してゆく人生を予言しているかのような言葉でもある。
 この久子の決意に、銀平は反対することはできない。銀平は語る。

   「よくわかつた。僕の世界なんかにおりて来ない方がいいよ。僕に引き出されたものは、奥底に封じこめてしまふんだね。さうしないと、こはいよ。僕は君とは別の世界から、一生君の思ひ出にあこがれて、感謝してゐるよ。」

ここには、期せずして、この「みづうみ」という作品の基本構造が露呈している。
 銀平は生涯の一時期、久子とともに、しびれるような恍惚たる〈魔界〉の世界を共有した。銀平は久子の内部に隠されていた〈魔界〉の要素を引き出し、眩暈のような至福の世界を共有することができた。
 だが、久子は、その世界から去る、という。相変わらず〈魔界〉の彷徨をつづけるしかない銀平は、「僕は君とは別の世界から、一生君の思ひ出にあこがれて、感謝してゐるよ」と、胸中を率直に吐露するのである。
 久子は、この日を境に、〈魔界〉を去って、通常の人々の住む、通常の世界に帰ってゆく。銀平は〈魔界〉にとどまるのである。

   「さう、それがいいんだ。」と銀平は強く言ひながら、刺すやうなかなしみにいたんだ。

銀平は、久子の思い出を胸中に抱きつつ、これからも、〈魔界〉の漂泊をつづけるしかないのである。


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