元川崎市議会議員 尾作ひとし

対話から、そして聞くことから始める。多くの人の意見を、そして幸せを叶えるために。川崎市麻生区市議会議員の日常ブログ。

年度末

2014-03-31 23:37:28 | 未分類

3月31日(月)

 

 年度末。今日で学校や職場を離れる人、明日から新たなスタートを切る人。人様々である。

 そんな年度末の今日、消防署を訪れ、今日で転勤となった署長と署内の食堂で昼食を頂き機会を得た。

 メニューは、うどんのつけ麺。最近ラーメン屋のつけ麺は流行っているが、うどんのつけ麺は初めての経験である。食事は皆署員が交代で作っているとのことだが、何故つけ麺なのか聞いてみたところ、緊急出場があった場合、通常のうどんだと出場中に伸びてしまい、全てを無駄にしてしまう。しかし、つけ麺なら伸びる心配も無く、無駄も最小限に止めることができるためだとの説明。「なるほど」と改めて感心。やはり、我々議員も各職員、署員の目に見えない努力にもしっかりと目を向け、評価しなければならいことを改めて感じた。

 署長には、以前、私が健康福祉委員会の委員長だった頃、当時救急課長だった頃から、大変お世話になったことを思い出す。新たな職場に移られても大いにご活躍されることをご祈念致します。

 夕刻より、横浜で開かれた自民党神奈川県支部連合会の大会に出席。

                

 会場には1,000人余の方々が参加し、来年の統一地方選挙を控え熱気を帯びていた。

 優秀党員表彰の頃に、本日で会長職を勇退し、小此木八郎新会長に譲る菅義偉県連会長(官房長官)も会場に駆け付け、更にヒートアップ。活動方針を採択し、来年統一地方選挙に挑戦する第一次公認候補予定者、県会41名、横浜市議30名、川崎市議18名、一般市議15名の紹介後、無事閉会した。ご参加くださいました県下支部役員、党員の皆様ご苦労様でした。


春の嵐・・・これから

2014-03-30 23:06:15 | 未分類

3月30日(日)+強風

 

 桜の花見には絶好の日曜日・・・しかし天気は暴風雨。東京では瞬間最大風速24mを記録したとか。花見を目当てに様々なイベントも予定されていたようだが、残念な日となった。

 目当てと言えば、高度御成長期、右肩上がりの経済成長の中、成長を前提とした資源(税金)の投入可能な限り増加し続け、一人でも多くの利害関係者が満足のいく総花的政策が良いとされた時期である。この「満足」を翌年どのくらい上積みすることができるかが満足度が決まり、政治家の評価となる。結果、水準の無い青天井の増加を続け、「満足度」の向上を基本に、制度や政策が実行され、財政も肥大化を続けてきた。

 しかし、バブル崩壊以後、日本社会は本格的な少子高齢社会に突入し、他国間競争も相まって財政の限界が明確となってきている。つまり外界は春の嵐が吹いている。したがって、これからの政治は「満足」から「最適」への変換が必要となる。「最適」とは、限られた財源をいかに有効に活用するか、つまり、総理、首長の経営手腕が最大の関心事となる。

 そこで、行政だけでは担える領域には限界があることを認識し、これからは民間企業や市民との協働が重要となる。つまり民間でも行政サービスを生み出すことが重要となるのだが、そこにはまだまだ組合など「岩盤規制」が立ちはだかる。そうしたものを超え、限りある「資源」を有効に使うには、行政の立場が絶対と言うことをではなく、行政が担うべきサービスと民間にも委ねることができるサービスの違いを認識し、観と民の垣根を低くすることができるかにかかっている。

 基本的に財政の定義は、国や地方自治体の公的部門の経済活動を意味するものであるのだが、これからの日本を見渡すに、公的部門に限定されることなく、民間も含めた概念の広域化を図らなければ持続可能な財政運営は期待できない。

 残念ながら、福田市長の「公約」を見る限りそれは期待できない。旧態依然とした総花的「満足」の域を出ていないからである。また、各議員も、財政の現年度の収支、財政の将来推計などお構いなしで予算要望に走る旧型議員がいる。残念ながら若い議員の中にも多いのには驚かされる。身近なことは質問するにも簡単であるからであろうか?

 いよいよ明後日からは新年度。議会運営検討協議会の答申により、決算審査審査特別委員会の質疑方法も変更される。予算要望するのであれば、財源、ランニングコスト、効果を含めて検討して頂きたいものである。


麻生川桜まつり

2014-03-29 22:38:42 | 未分類

3月29日(土)

 

 「小田急線、向ヶ丘遊園~相模大野間不通」・・・私が小学校の頃良く聞いたものである。その原因の殆どが、百合ヶ丘~柿生間(当時新百合ヶ丘駅は無い)、麻生川増水による線路の冠水。

 今日の開会式での斉藤市観光協会会長、小島前区観光協会会長の挨拶にもあったが、土地改良事業前の麻生川は、蛇行した川で、稲城市の平尾団地造成も相まって、雨が降り続くと至る所で農地への冠水や土砂が流入するするなど大きな被害をもたらした。

 要するに、麻生川沿岸の土地改良は周辺農業者の悲願でもあった。昭和43年5月神奈川県から土地改良事業の認可を受け、平成12年工事が完了したものだが、初代組合長の鈴木太郎氏、二代目長瀬良雄氏、三代目の鈴木貢氏の苦労は大変なものであったであろう。鈴木貢氏が生前、「土地改良の残金が若干残っている。それをどうにかしなければ解散ができない。石碑を立てたいと思うのだが」との相談を受け、川崎市より尻手黒川線高架下の柿生駅前町内会館の隣地を借受、平成23年5月、石碑の除幕式を挙行、晴れて最終的に解散となった。事業開始から約50年の歳月を経て、あの「いきものがかり」のヒット曲「さくら」の歌詞にもなり、今こうして「桜並木」の下で「桜まつり」が催行できるのも、こうした諸先輩のご苦労の賜物であることを忘れてはならない。

 さて、本題の「桜まつり」。昨年の肌寒い天気とは違い、春爛漫の好天気。桜満開とはいかなかったが、多くの人出で賑わった。

  

 今年は、市政90周年、禅寺丸柿発見800年を記念して、ゆるキャラ「かきまる君」も発表、会場を大いに盛り上げた。

 この「桜まつり」は、麻生川沿岸土地区画整理事業によって植樹されたものであるが、平成に入った頃から見ごろを迎え、花見客も増えてきた平成6年、区政推進事業の一環として、麻生区役所と街づくり財団が協力して、第一回麻生川桜まつりが開催された。しかし、花見客のマナーの悪さやごみの後片付けを巡り、平成9年は主催者の調整がつかず休止、平成10年に土地改良区理事長、上麻生町内会(以前はマイシティー新ゆり、柿生駅前町内会、上麻生東町内会は一つであった)麻生環境センター上部利用運営委員会の三者で復活、その後平成12年に発足した麻生観光協会に平成13年より事業が引き継がれた。

 こうして紆余曲折を経て現在に至る「桜まつり」。先輩方の努力に、ご苦労に感謝しつつ、マナーを守って楽しんでいただきたいものである。


期待と失望

2014-03-28 23:24:47 | 未分類

3月28日(金)

 

 みんなの党渡辺喜美代表が、8億円借り入れ問題で窮地に立っている。一時は、多くの国民が期待し、前回の川崎市議選では「みんなの党」と言うだけで全員上位当選している(6名)。しかし、昨年の参議院選挙において松沢成文議員を巡る公認問題をきっかけに、凋落の一途を辿り、離党者の多くが「結の党」に参加。川崎市議会でも、6名中4名が離党した。そして今回の問題である。維新の会と言い、みんなの党と言い、一時期多くの国民の期待を背負っても、結局、数年で終焉を迎えることになる。それは新自由クラブ等過去が実証している。

 さて、それはともかく、安倍総理は、成長戦略の一つである国際戦略特区の指定6区域を発表した。

 川崎は、神奈川・横浜と共に昨年6月に国家戦略特別区域に対する提案「健康・未病産業と最先端医療関連産業の創出による経済成長プラン~ヘルスケア・ニューフロンテアの実現に向けて」を作成し、国に提出していた。

 川崎市は、共同提案が高く評価されたとしているが、今後まだ区域内での調整や閣議決定と言うハードルがある。仄聞の範囲だが、川崎は福田市長の対応から、指定区域から除外されるとも仄聞しており、4月下旬に発表される正式決定まで予断を許さないところか。是非担当部署の皆さんには頑張ってもらいたいものである。

 また、首相は医療、農業、労働等の岩盤規制の突破口にしたいと意気込みを見せているが、川崎のように小規模零細農家が主の地域においては死活問題になりかねない。特に企業の農地取得に関しては、農地転用規制強化などを伴うものであり、その方向性に注目したい。


明治神宮崇敬会世話人総会

2014-03-27 22:35:32 | 未分類

3月27日(木)

 

 明治神宮崇敬会麻生支部世話人総会が開かれた。

 過去のロングで何度か崇敬会のことは紹介しているので、重複は避けたいと思うのだが、今年は昭憲皇太后百年祭に当たることから、崇敬会会員の増強を図ることで合意した。

 自分でも、何で私が崇敬会の副支部長を仰せつかっているのか良く分からないのだが、役についてみると、職務を全うしなければ・・・と思うようになるのは不思議である。

 それはともかく、崇敬会員の増強と言っても、なかなか増えるものではない。特に最近は会員の高齢化が進み、死亡退会が増えつつある。

 昭和21年に発会以来、ピーク時には会員数25万人を数えたが、近年は約10万人前後で推移している。お正月の三が日で初詣参拝者100万人等と言うニュースを耳にするわりには寂しい限りである。当麻生区でも現在の会員数は347名で、たった二年前の会員数441名と比べてもその減少ぶりはお分かり頂けるであろう。昨年、会員減少から運営費賄うことが難しくなり、会費を値上げしたこともそれに拍車をかけている。

 明治神宮崇敬会は、戦後の不穏な社会情勢の中、心ある人々によって日本古来の神を敬い祖先に感謝するという美風を基本に、健全な国民精神を呼び起こし、明るい街づくり、国づくりに寄与死体と言う趣旨から組織された会である。日本の良き伝統文化を後世に残したいと言う方は、是非ご入会下さい。


中学校が老人ホームに

2014-03-26 22:17:08 | 未分類

3月26日(水)

 

 麻生区に新ゆり(白山)グリーンタウンと言う大規模マンションがある。

 この大規模マンション、王禅寺白山地区の山林を大規模開発したもので、1981年さつき街区の分譲から始まる。総戸数は約2,400戸、人口のピークは1992年の約9,000人。現在は6,000人前後で推移している。

 しかし、時の流れと共に、居住者の年齢層は次第に上昇、当然のようにグリ-ンタウン内の小中学校の児童生徒は減少し、2009年、隣接する王禅寺小・中学校と統合、名称を王禅寺中央小・中学校へと変更された。現在は、小学校は日本映画大学となり、中学校は先日竣工した児童養護施設と特別養護老人ホームへと姿を変えた。

 その老人ホームの竣工式が今日行われた。

                 

 名称は「特別養護老人ホーム ラルース麻生」。延べ床面積4,790㎡、短期入所8床を含む136床の施設である。「レゴ」を大きく用いて、館内にはレゴ博物館を要し、入居者のお孫さんや、地域のお子さん方にも楽しめるようになっているユニークな施設である。

 竣工式終了後、衆議院議員中山のりひろ後援会の集会へ。

 地域内の役員の方々を中心とした会ではあるが、100名余の方々が参加して行われた。

                  

                  

 いよいよ4月から消費税率の3%引き上げが実施される。その後の景気動向によっては、国は勿論、地方自治体に至るまで消費税の増額分以上の歳入減となる可能性すらある。これからもしっかりと政権与党の議員として、安倍政権を支えて頂きたいと思う。そうすることによって、来年予定されている統一地方選挙の結果も大きく変わってくるに違いない。


伝統工芸

2014-03-25 22:41:42 | 未分類

3月24日(火)

 

 移動団会議2日目。

 春らしい好天気に誘われ、帰り道は海通りへ。

             

 何処もそのようだが、熱海もまた然り、海岸通りは以前のイメージがすっかり様変わり、老舗旅館が次々と姿を消し、近代的なマンションなどに姿を変えていた。この変貌ぶりを見たら、あの「貫一、お宮」も驚くに違いない。

 地域の活性化や商店街の活性化が叫ばれて久しい。しかし、こうして変貌していくしか道は無いのか、もう一度しっかりと考えてみたいものでる。

 「古き良きもの」で思い出したのだが、帰り道、チョッとより道をして、私の母の実家が営む「鎌倉彫」のお店へ。

 鎌倉彫は既にご存知の方も多いかと思うが、鎌倉時代、中国との交流の中で生まれた鎌倉文化の影響を受け、禅宗寺院とのかかわりの中で生まれた。桃山江戸時代を通して、茶道具として全盛を極め、第二次世界大戦後、戦後復興とともに、その生産量は大きく伸び、1979年、通産省から「伝統的工芸品」として指定を受けた。

 母の実家も近年の鎌倉彫の流れからカルチャースクールとしての意味合いを強め、新しいデザインの創作に意欲を出している。叔父が叙勲を受けたころには、直径200人孫弟子3000くらいいらしたと言う。

 街づくりも、こうした伝統品も、少しづつ姿を変えながらも、それぞれの立場の方々が懸命に次世代に残そうとしている姿には敬意を表するのみである。


最終日

2014-03-24 22:06:00 | 未分類

3月24日(月)

 

 議会最終波乱藻なく、無事終了。おそらく、一番ホッとしているのは市長であろう。

初の予算議会、ヒヤヒヤのスタートであったに違いない。議会手しても、つかみ所のない答弁。これから来年の統一地方選挙に向けて方策を考えねばなるまい。

と言うこともあり退職され事務員さんの慰労も兼ね熱海へ。これからのことを話し合ういい機会となった。

天気は良いし海は綺麗。久し振りほっとした気分になれよう気がした。この続きは、明日。


春の風

2014-03-23 21:59:34 | 未分類

3月23日(日)

 

 球春を告げる日曜日、「第37回麻生区少年野球春季大会」の開会式。

 風もさほどなくポカポカ陽気・・・これで花粉が無ければ最高なのだが・・・。

               

               

 こうした団体競技を通じて、仲間を大切にし、信頼し、生涯のお友達を作ってもらいたいものである。大会運営の役員の皆さん、ご苦労様です。

 帰り道、私の好きな場所を通って帰ってみた。毎年ブログでも触れているが「桃の里」である。普段の年ならもう満開のはずである。

          

 澄み切った青空に桃の花。残念ながら今年は先月の大雪の影響で、まだ五分咲き程度。近くの枝垂桜の大木もまだまだ頑なに蕾を閉じていた。

 あと何回この光景を見れるのだろう・・・と思いながら、着実に季節は動いている。高台の里山を抜けるちょっぴり冷たい風が、私ものんびりしてはいられないと、気が引き締目てくれたような気がした。

 


迷う保護者!?

2014-03-22 23:43:49 | 未分類

3月22日(土)

 

 3月もいよいよ後半。4月からの新年度に向け様々な動きが出始める頃。

 そんな毎年の例にもれず、今日も新年度に向け新たなスタートを切った施設があった。

 一つは、白山中学校跡地に落成した「児童養護施設 白山愛児園」、今一つは、「はじめの一歩保育園」である。

 そもそも、白山愛児園は、昭和50年代初め、白山地区における勤労者住宅供給公社が開発した大型団地内に出来た小学校と中学校が、生徒、児童数の減少から隣接した王禅寺小・中学校に統合され、王禅寺中央小・中学校へと変わったこと型始まる。当初、跡地には保育園や地域活動支援施設等々地域から様々な意見があったが、最終的に児童養護施設の必要性を地域の方々にもご理解いただき今日を迎えた。

 これから30名の家庭の味を知らないお子さん方が小中学校に転入してくることになる。一刻も早く地域に溶け込み楽しい学校生活を送って頂きたいものである。

 また、はじめの一歩保育園の竣工式も行われ、当該地域の待機児童対策に一役買ってもらうことになる。

                  

                    はじめの一歩保育園パンフレットから全景

                  

                   工事中に移設された樹齢600年の禅寺丸柿の木

 この保育園は、隣接する柿の実幼稚園園長が理事長となり、新たに開設した社会福祉法人「共遊の会」が運営主体となる。

 2015年度から、子育て支援の新制度が導入される。これにより、国の保育制度が70年ぶりに変わることになる。消費税率の引き上げを財源に、全ての子どもに質の高い教育と保育を提供し、待機児童解消をすることが狙いである。今ある施設はどうなるのか?・・・幼稚園は、幼児教育と保育を一体的に行う「認定こども園」の幼保連携型や幼稚園型に移行することが考えられる。認定こども園は、幼児教育だけでなく、保育所並みの長時間保育の可能な施設である。政府は既存の施設からの参入を進め、開設を増やそうとしている。また、親の就労に関わらず利用できるため、幼稚園に通わせていた専業主婦が、フルタイムで働き始めても転園の必要は無い。

 幼稚園の中には、認定こども園にはならないが、新制度の幼稚園になる所もある。主に専業主婦を対象とした幼稚園で、幼児教育を行うのは今と変わらない。しかし、消費税財源が投入されることで、子供1人当たりの教員数が増え、より質の高い教育内容が期待でき、利用者が払う保育料も市町村が所得に応じた額へと変更される。更には、私立幼稚園の一部には、新制度の枠に留まらず、市町村の関与を受けず独自の教育方針を貫くところもある。

 未就学児をお持ちの保護者の方は、その選択肢を選ぶだけでも大変であろう。また、幼稚園経営者は更にその選択に頭を悩ますことであろう。これも少子高齢社会が生んだ女性の社会進出が大きな要因ではあると思うのだが、子育ては親の手下でと言うニーズも依然として多い。今、「育爺」と言う言葉を良く聞く。増え続ける高齢者の中には、まだまだお元気な方も多い。孫の世話がしたくて仕方がない高齢者も多いはず。何故それを避ける保護者が多いのだろうか?いずれにしても、大変な時代になったものである。


市内農業雪害支援

2014-03-21 22:19:35 | 未分類

3月21日(金)

 

 早いもので、早くもお彼岸の中日。北風が若干強くポカポカ陽気とまでは言えないものの、お墓参りには丁度いい。

 お墓が高台にあるため、そこからの眺めは、左に箱根の山々、大山、丹沢・・・奥には南アルプスの山々まで見ることができた。これもある意味強風のお蔭かも。しかし、残念なことに、今年は2月の2度にわたる大雪のせいか、普段の年なら咲き誇る桃の花や、気の早い桜が咲いている頃なのだが・・・。

 2月の大雪で思い出したのだが、「2月の大雪による農業被害に対する支援」が決まった。

 川崎市での被害は温室、ビニールハウスの倒壊、温室ガラスなど、市内の農産物生産施設に大きな被害を受けた農業者に対する支援として、農業経営の再開を前提とした国の緊急支援に、川崎市独自の補助を上乗せし、農業経営の継続に向け、農業者負担の軽減を図るもの。

 市内の被害状況は、総数で88戸、そのうち施設被害は92件、作物被害は10件に及び、復旧被害総額は約1億3千万円。

 こうした農業経営者に対し、国が緊急支援策として示した被災施設の復旧費等に対する1/2支援に加え、神奈川県と協調しながら支援するとともに、川崎市独自の補助を上乗せする予定。

 昨日の総務委員会で補正予算として提案され、議会最終日に採決され、決定する運びとなる。

 このことは、今議会の自民党代表質問で要望され、自民党委員の予算審査特別委員会での質問を通して、県知事の支援方針が示されたもの。


日本人の良さ・・・どこに?

2014-03-20 23:02:50 | 未分類

3月20日(木)

 

 川崎市総務局が実施している「かわさき市民アンケート」なるものがある。今年も25年度版の調査結果がまとめられた。

 その中で気になったのが、「町内会・自治会に加入しない理由」の調査結果である。

 ・加入しなくても日常生活に支障がないから・・43.2% ・加入するメリットが無いから・・18.1% ・隣近所との付き合いが煩わしいから・・17.9% ・町内会・自治会の活動に関心が無いから17.1%等々・・・実に身勝手な理由ではないでしょうか?

 「加入しなくても日常生活に支障がないかいら」・・では大規模災害など非日常となった場合どうするのでしょうか?行政に頼る?それには限度があり、初動では「自主防災組織」が有効であるはず。「加入するメリットが無い」・・では、家までの帰り道を照らしてくれている防犯灯の維持管理は行政がしているとでも思っているのであろうか?市政だよりや地域の様々な情報は、何処から入手するの?民生委員や青少年指導員、スポーツ推進員、廃棄物減量指導員などどこからの推薦だと思っているのでしょうか?災害発生時、一番助かるのは隣近所と顔見知りになっておくことは、阪神淡路大震災の時でも東日本大震災の時でも実証されている。特に、高齢者者世帯はそのメリットも大きい。町内会や自治会に加入すると、役員の順番が回ってきて煩わしい・・町会長でもやるのであれば別だが、ただの平役員であれば、毎月の役員会やイベント等にフル出席したとしても、その時間数は年間4~6日程度である。それの何処が「忙しくてできない」と言う理由になるのであろう?

 話は変わるが、以前学校給食費未納問題が話題になったことがある。新たに今年度文科相が調査したところによると、未納の割合は0.9%で、額にして22億円であることがわかった。22億円?意外と少ないな・・と思われた方もいるとは思うが、学校給食費は原材料費のみの数字である。調理費や人件費、施設などの設備投資費等はすべて税金で賄われていることを忘れてはならない。また、未納の原因について「保護者の責任感や規範意識の問題」が61%で、前回より8%増加、逆に、保護者の経済的問題は33%で、前回より9%減少した。このままでは、平成23年度から児童手当からの天引きができるようにしたのだが、利用している学校は3割程度である。

 世の中、様々な考えや反論もあるかも知れないが、国民のモラルがここまで低下してくると、町内会への加入強制や給食費の児童手当天引きの強制を考えなければならないことになってしまう恐れがある。嘗ての「日本人の良さ」は失われ、権利主張だけでは、持続可能な行政運営はできないのである。


政策立案

2014-03-19 23:00:26 | 未分類

3月19日(水)

 

 平成26年度第一回定例会も、後残すところ、明日の補正予算追加議案の委員会提案と週明けの各議案の採決を残すのみとなった。

 昨今。地方議会はマスコミなどから只の「追認機関」と揶揄されることがある。正直恥ずかしいことである。

 地方自治体の議会には、3つの機能が存在する。1つ目は、直接住民から選挙で選ばれる代表機能。2つ目は、予算や決算の議決や調査・監査をすることによる監視機能。議会における各議員の質問は、こうした本来の議会に期待された機能を果たしていない場合が多いように思える。各議会(特に予算審査、決算審査特別委員会)における各議員の質問内容には、些か疑問を感じることが多い。一度自分が投票した議員がどのような質問をしているのか、議事録で確認してみるのもいいかもしれない。そうすれば「追認機関」と揶揄される理由もわかるかも知れません。

 ここで私が強調したいのは3つ目の「政策立案機能」である。今、国においても(各省庁)、自治体においても(各部局)、未だにタテ割り行政が続いている。こうした状態においては、各政策の総合調整を機能させることには高いハードルがある。川崎市においては、その機能を果たすため「総合企画局」なるものがあるのだが、私が見る限りその機能を十分に果たしているようには感じられない。

 地方自治体における議会は二元代表制であり、首長には予算提出権限があるが、議会には無い。その代り監視機能があるのである。首長と議員の共通点は選挙によって選ばれた住民代表である。ここに議員に「政策立案機能」を果たす大義名分が存在する。だからこそ各部局を超えたヨコ割の調整が可能となる。

 今、川崎市議会にも議員提案条例の制定を検討する超党派のプロジェクトチームが組織された。是非、こうした機会を通じて議員の政策立案機能を果たしたいものである。こうした動きに対し「われ関せず」を決め込んでいる議員がまだまだいることは残念なことである。


電卓の日

2014-03-18 22:46:28 | 未分類

3月18日(火)時々

 

 ウクライナ南部クリミヤ半島でのロシア編入を問う住民投票でウクライナから独立宣言をしロシア編入を決めたとか。今回の一連の動き、何故か160年前のクリミヤ戦争とだぶる。ヨーロッパ諸国(イギリス・フランス・オスマントルコ等)対ロシアの構図は、現在でも生きていた。あのバルカン半島も然りである。しかし、今回はあのナイチンゲールの様な英雄は登場しなかったようである。結局、160年前のクリミヤ戦争も今回も完全な勝利者はいなかった。敢えて言えば、今回は今のところロシアであろうか?

 さて、それはさて置き、今日はシャープが初の国産電卓を発売して丁度50年だとか。当時の子ども達は、小学生になると「そろばん塾」に通うのが主流で、私もその一人であるが、クラスの2/3位は通っていたのではないだろうか?そんな世相の中、電卓など思いもよらなかったし、知る由もなかった。

 資料によると、最初に発売された国産第一号電卓のCS-10Aの価格は535,000円。当時の大卒初任給が24,000円程度であったことを考えるといかに高価であったのかが良く分かる。確か私が初めてそろばんを買ったのが7~800円程度だったような気がする。それが50年後の現在、電卓は100円ショップでも買えるようになり、逆にそろばんは高価なものになった。得てして、時の流れとは不思議な逆転現象を起こすものである。

 これからも、その時代を生きるものが見向きもしない商品が、何時しか主流となるものが次々と発表されるであろう。今考えると、携帯電話など無い時代、ただの連絡網なのに女性の同級生の家に電話するのにも、「誰がでるのだろう?」とハラハラ、ドキドキ。友人と待ち合わせをしても、時間や場所を間違えただけで連絡も取れない。たった1台のTVを家族全員で囲み、チャンネル戦争・・・等々、そうした時代が懐かしく思うのは、私が歳をとった証拠であろうか?(笑) 故に、漫画の「ちびまるこちゃん」は結構好きである。


鶴川が川崎!?

2014-03-17 22:06:51 | 未分類

3月17日(月)

 

 委員会審査も早々終了、午後自民党川崎市連の会議に出席後、用事があって川崎の飛地「岡上」へ。

 帰りに小田急線鶴川駅前を通ったのだが、通るたびに思うことなのだが、駅周辺の変貌ぶりには驚かされる。

 昭和2年小田急線の駅設置に関し、柿生村と設置場所で揉めた鶴川村。

 柿生と鶴川の対立(?)はそもそも明治26年(1893)に神奈川県北部の多摩三郡に、東京移管問題が起こったことから始まる。

 東京は、江戸時代から多摩を水源とする神田上水と玉川上水を利用していて、東京自ら水源管理を行うために多摩地区の移管を願っていたのである。当時の多摩地域は、明治22年に甲武鉄道(現JR中央線)が新宿から八王子まで開通して以来、多摩地域の一部住民は、神奈川よりも東京との関係を深めていた。特に、多摩北部地域でこの傾向は顕著であった。

 しかし、甲武鉄道の直接的恩恵の少ない西多摩郡、南多摩郡にとっては突然の移管問題であり、経済的メリットもほとんど期待できないことから、当然のように反対運動が巻き起こり、賛成派と反対派の対立は次第に大きくなっていった。

 この移管問題の背景には、神奈川県議会での政争が背景にあった。当時国会では第一回総選挙以来、自由民権運動の流れをくむ自由党が勢力を誇っており、神奈川県において自由党はは、多摩三郡に政治的基盤を置く自由党議員と県知事との間に対立的構図があった。そこで、県知事は神奈川から多摩三郡を切り離して打撃を与えるため東京移管を画策したと言われている。これにより北多摩郡は東京移管を陳情。西・南多摩両郡は反対の陳情と、ビラの配布などの中傷合戦となったと言われている。

 しかし、国会ではこうした運動を横目に、水源を管理することで大都市東京における悪性コレラの流行を防ぐと言う大義名分の下明治26年4月1日をもって多摩三郡の東京府組み入れが正式に決まった。

 その後の柿生村の歴史は昨年7月3日のブログを参考にして下さい。また、多摩地域の自由民権運動に関しては、町田市野津田にある「自由民権史料館」を一度お尋ね下さい。