元君と私

2012-08-27 09:01:01 | 幸せのコツ
■凸凹コンビ?

夫と結婚してぴったり10年。 経ってみるとあっという間だ。不思議な10年だったなぁ。

夫と私は、傍目に凸凹コンビらしく、人は夫を紹介すると意外な顔をする。意外な顔をしない礼節をわきまえた人もちょっと内心不思議に思うらしい。あからさまに夫と私のパワーバランスを勝手に女房殿下型と決め付ける人もいる。
それがあるので、夫婦ぐるみでのお付き合いというのはあまりない…。何しろ夫を「○○さんのだんなさん」なんて、呼ぶ失敬な人が多いからだ。

昨日はボランティア活動に行ったのに、作業はすでに終わっていて戦力外で「やっぱり主婦には土日は大変だよね」
と山荘の親爺さんは気を使ってくれた。「だんなさん理解あるね」と、”妻の自由=恵まれている”というコメントを言ってもらったが、実は私は内心は、

”やっぱり20歳くらい離れているから、これくらいの世代の人だと自由がない結婚をしている人が多いんだな”と思った。

というのも、同年齢くらいの人の間だと、妻が日曜にひとりで出歩くくらいのことは普通で、イチイチ感心するようなことじゃない。大阪の友人もこっち泊りがけでやってきたし私も出かけていく。

もっとも子供がいれば別だが。ただ子供がいる場合は、子供の保護責任の半分は母親にあり、半分は父親にあり、かつその責任も自らの行為の結果であるので、”不自由”とは言えない。子供を抱えることを”不自由”と感じるならば、そもそも子供を持たない選択をしたらいいだけのことだからだ。子供と過ごすことは産んだ人だけの、子供を養育する意思を持った人だけの特権であるべきだ。

■ 夫=暴君or大きな子供?

昔と言っても高々10年や20年くらい前の世代で、妻は夫という暴君にまるで隷属するように、あるいは夫と言う”大きな子供”を妻という名の母がもうひとり抱えたような状態で、「日曜にひとりで出かけられない」社会が普通だったと、ちょっとした世間話からも伺えるわけで、日本というのは要するに封建社会なんだな。

むろん、ウチはそんな封建家庭ではない…。夫はきっちり男女同権思想の教育を受けてきた人で、一人暮らしの経験もあるから、別にひとりで平気だ。私なんて半年くらいは平気で家にいないのだから…(笑)

■ 家事に興味がそもそもないホームバディ

ただ夫は家事は得意ではない。でもこれはおそらく、ただ彼の好奇心が家事に向いておらず、したがっていくらやっても、経験値的に向上していかない…と言うことによるように思う。ホームバディで家にいるのが大好きなのに、家事には探究心がないのだ。きっと彼が欲しいのは基地であり、隠れ家なのだ(笑)。

彼の場合…

掃除:お風呂掃除なら得意。その他…掃除をしなきゃ!という閾値が妻より決定的に低いので掃除に至らず…

洗濯:スイッチポン!でも干すときにテクがないため、くしゃくしゃに。
   たたむときもテクがないため、だらーり。
   何回か手ほどきしたが才能なし。

料理:目玉焼きの火の通り具合にはかなり凝る。ラーメンくらいは作れる。
   ご飯は率先して炊いておいてくれる。
   けど、残ったご飯のことはすっかり忘れてしまう。彼は料理ができないのではなく、
   単に食生活自体にそもそも興味がない。焼きそばUFOを食べてしまうのは、それしかできないからではなく、
   鬼のいぬ間に・・・だ(笑)。私がインスタント嫌いなので。
   
   栄養について考えるなど発想もない…ので、彼にはコンビニがあれば満足なのだけど、
   さすがにそれはマズイということくらいは現代常識として知っている。けど、そもそも食に
   対する探究心ってものに欠けているので 「今日何食べたい?」と聞いても無駄だ。
   それに食べ合わせとしてありえないコンビネーションも平気だ。

   ごちそうはバッテラ、オムライス、カレーライス、ステーキ、しゃぶしゃぶと…ベタ。

   ウチでは日本のカレールーを使ったカレーをしないので(だってインドの本格カレーのほうが美味しいし
   日本のカレーのルーって油と、食用の工業製品の粕ばかりを集めて固めたペミカンのようなものだ)
   ボンカレーで学生時代を乗り切った彼は日本のカレーに郷愁を持っている。

■ コダワリがない

というわけで私が出したものはなんでも食べてくれる。というか、実は食べれれば何だっていいんだな、要するに。
   
一方で私は正直言って、自分が作ったものが一番美味しいので…当然か。今食べたいものを作るんだから…
結局、私が料理担当だ。それがお互いにストレスがないのだ。

■ 家事の関心と男女平等思想は別らしい

私の営業トークは「ほんと関西の男性と結婚してよかった~」というものです。これは3~4割の本音を含んだ営業トークで、九州では男尊女卑は単なる形式上とは言え、全国レベルより根強い。男はマジで何もしない。

というのは、私自身の2歳しか年下でない弟が高校生になっても晩御飯をただ座って待つように育ったからだ。

なーんで、そんな風に育ったのかは分からない。3人兄弟の母子家庭の家で、ありえない育ちだ。と言っても彼も勝手に
料理はしていたけど…なぜなら家で出す夕食ではお腹が空いて足りなかったらしい… 

しかし、洗濯など私は小学校のときから自分のは自分で洗っていた。何しろ母はおっちょこちょいなので、体操着などが体育の日に用意されていないことはごく普通だったから、学校生活を円滑に送るには自分自身がしっかりする必要があった。

小学生のあるとき旅行先で、母の下着を外出先で洗っていたら、やたら年配のオバちゃんに感心された。私にしたら
それは自分のを洗うついで、であり、普通のことだったのだ。 

ただ、後からさすがに、やたら家事負担の量が多いのだと気づかされた。他の子供達は自分の下着位も洗わないで母親まかせなのが普通らしい…と気がついたのは修学旅行だ。

でも友人達がどんな家庭生活をしているか?なんて普通、子供は興味がないし、誰も気がつかない。
だから私も気がつかずに、8歳から14歳までの6年間、毎日家族分の夕食を作り、皿を洗い続けた。

母はよく出来た娘にまんまと便乗する形で、楽をし続けた。何しろ、母が帰宅すると玄関に出迎え、お茶を
入れて一服させる具合に育ってしまったのだ。両手を突いて指三本そろえていないだけで妻と変わりない。

一番エスカレートした頃は、母は飲み会に連絡もせずに行ってしまい、心配した私は夜中の2時3時まで起きて待ち、帰ってきたほぼ泥酔状態の母のストッキングを脱がせてベッドに入れてやって、やっと私は安心して眠ると言う…一体どこの妻なんだ?!というかどっちが子供?!な子供時代を送ったのである。アー迷惑だった。

受験生になると、一時それは中断したのだが…受験が終わった頃には私も「アレ?もう弟も妹も私が料理始めた頃より
大きいじゃん?」と気がついて二度と”良妻”は、復活はしなかったのだが。

家族の反発は大きかった。けど、能力があるからって、人をこき使っていいわけじゃない。そこんところはハッキリさせるため、私は二度と家族に奉仕する形態には戻らなかった。逆切れなんてお門違いだ。自分でやりなってワケ。ただ弟はそんな中でもスキルを見につけなかったようだ。トバッチリは妹に行き?、妹がスーパー良妻化?したかどうかは私は既に実家を巣立っていたのでわからない。けど弟がのほほーんと育ったのは事実だ。

あんな風に育った男性と結婚したら悲惨だ。避けるべし(笑)! 

関西の男性は、別に女が下にとか思っていない。もともと商売人が多いからだろう。商売というフィールドはいつの時代も、女性も男性も同じ評価軸で評価してきたらしいのだ。 大体勉強だって女の子が圧倒的に優秀だ。純粋に優秀さで比較するのなら、この世は女性管理職、女性政治家だらけになっても不思議ではない。家事はそんな優秀な女子にハンデをつける目的でなされるに違いない(笑)

■ 家事=誰でも見につけるべき生活技術

私は進学率100%の進学校に進学したので、塾も行かず、家事をこなしながら、学業レベルを維持するなんて、どんな天才少女でも出来るわけがないのは入学2日目くらいには火を見るより明らかだった。知らないのは、世間知らずな母親だけだったのだ。時代は学力はカネで買うものというのは常識だった。…ので、私は、母の世間知らずを自分の努力でカバーするのは辞めた。というか諦めた。小学校や中学と大学受験の競争は違うのだ。予選と本番くらい違う。

それに何しろ、まだ予選の中学の頃、私は過労で玄関でぶっ倒れたことがあるのだ。生徒会やって、学級委員やって、部活のキャプテンやって、家で家事をパーフェクトのこなして、学業トップクラスだったらそうなる。サラリーマンが燃え尽きるのと同じだ。

母は世間を知らない人だった。彼女は美大を出たお嬢さん育ちの芸術家だった。今思えば、そんな人だから、子供を3人抱えて離婚する、というかなり現実が見えていない選択肢を取ることができたのだと思う。普通の人にはあり得ない選択肢だ。

ところが彼女は結局、夫なしの3児の母となっても世間にも現実にも疎かった。それは、時折する、ものすごい買い物が証明している。目を見張るような高額な買い物をフィーリングでやってしまうのだった。

だから、我が家には、友人の家にはどこにもないような高級オーディオ機器があり、玄関にはピカソのレプリカが飾ってあり、リビングにはユトリロと石膏の河童ビーナスがあった。書棚には新品の大百科事典がずらりと並び、ワープロは初期からあり(私以外誰も使いこなせない)、キッチンにはガスオーブンがあった。食器棚にはボーンチャイナのセットがあって、カクテルとウイスキーの瓶が母のお茶の道具の横に並んでいた。それから高級電子ミシン。

…これら散財の結果、我が家は学費と日々の食費に事欠き…なぜか私の足元はまだ小学校6年生なのにリーガルの革のローファが。中学入学のとき母が買ってきた学生カバンは6万円もする高級品だった…。

つじつまが合っていたのは、安く入れるからという理由でいく美術館での週末と図書館通いだけだ。

とりあえず、母がそんな具合で女性版ピーターパンみたいな人だったので、私は12歳にして、非常に地に足のついた、いや、つきすぎたおませな子供で、家事全般お得意のスーパーガールだった。「どこの家にも嫁に出せる」と言われたけど、実際、12歳のころには20歳くらいの貫禄があって、町を歩くと大学生か、若い社会人の男性にナンパされる有様だった。かなり大人びた子供だったのだ。背格好も今と変わらない。

そして、実際、家庭科は労せず5だった。けど、それは必要が迫ったから身についたことで別に好きでやっていたわけでも何でもなかった。

■ 外国の家事

…ので…夫と結婚するときの約束は、”食器洗い機を買う”だった(笑)今は甲府の賃貸の家なので夕飯の洗いものは夫が洗ってくれている。けど半分以上は私が洗っていると思う。

食後の食器を洗うのを、日本人は全員でやらない。主婦以外はリビングに移動してしまう。ひとりキッチンに主婦は残って、皿を洗い、洗い終わったら、お茶を入れてリビングに持ってくるのだ。ひどいじゃないか、みんな。

外国は違う。お皿は各自が、ディッシュウォッシャーまで持ってくるのだ。残飯はディスポーザーに各自が入れる。
主婦は、大きなパエリアの皿とか、ピザが乗っていた皿とか、”共同装備”をメンテナンスするだけ。そしてスイッチを入れてポン!終わり。 後はみんなでリビングに移動。

私の知り合いで、スコットランド人のかなり地位の高い男性がいたのだが、彼は水を節約したいと言うことで皿は決して妻には洗わせない方針で、私がかなりしつこく頼んだにもかかわらず、私にも皿をあらわせなかった。彼にはコダワリがあったのだ。 日本人は水を多量に使うからと言って決してあらわせてくれなかった。

基本的に英国系の人は、洗剤を漱がない。清潔な布巾でふき取れば充分と思っている。ところがこの布巾が…
日本人の目には醤油で煮締めたように茶色く薄汚いのだ。でも彼らにしてみれば、熱湯に近い高温で洗ってあり、乾燥も熱風式で、日本式の洗浄方式よりよほど雑菌がない。色が汚いのは、しみをわざわざ漂白したりしないだけで、環境に悪い塩素で漂白したりする必要がどこにあるだろう?というわけだ。

ちなみに感性が日本人に近いイタリア人の家は、なんでも白くて感心する。けど、合成シャンプーや合成洗剤、あるいは合成の香水のオンパレードで、洗面所は各自のデオドラントやら、化粧水やらボディクリームやら、ヘアスプレー、でぎっしりだ。これは男性も変わらず。こちらが香水を着けていないと指摘される。洗濯物は日本人には耐えれないほど、しっかり香りがついている。

…少々脱線したが、そういうわけで、私は家事に価値を見出さず、夫は家事には適性はない。

それは男性だからというより、彼が単に家事に興味が無いからだ。私が女は家事をするものと思っていないのと同じだ。

彼は食にも興味がない。冷蔵庫に入っているものは牛乳と卵以外は無いものと同じ…なのは、単に彼にとって、台所は…自分の部屋が彼のテリトリーであるのと同じで、台所は私のテリトリーだと思っているからだ。

敬意を払っているのだ。ただ、尊重されている私としては、別に家事能力に自分の価値を見出しているわけでも、才能を発揮したいわけでなく、単なる家事ニーズの充足。だから主婦でいることは私の誇りにはならない。なったらよかったのにと思う。

というわけで我が家では家事というのは最低限のレベルで済ませたいことだ。夫にとってはそれで問題なく、私にとってはそれがいい。

本音は私にも良妻がおり、良い素材をちゃんと料理して食べさせてくれれば大いに預かりたいのだが、(日本のレトルトカレーではなく、ちゃんと玉ねぎを摺って作ったインドカレーを作ってくれるなら…)肝心のニーズを満たすのに、自分自身より優れた人がいないために、ずっと自分でやっているだけのことだ。

大体家事なんて、人類の全員が出来てしかるべきの生活技術にすぎない。特に家電が発達した今、一体どこが難しいんだろう?

■ 仕事

私が失職して、主婦になったとき、最初に気がついたことは、主婦はどうも社会では半人前扱いらしいということだ。

給与収入がない=自立していない=自己決定権がない=何でも「だんなさんはいいんですか?」だ。

はぁ?! 失礼な! 大人の女は自己決定権がある。上記の理論で行くと、

「誰にも聞かずに意思決定できる」=自己決定権がある=自立している=給与収入がある になる。

すると、今の労働市場では男女とも会社の奴隷であるために、一生結婚することができない論理になってしまう。

何しろ人々はまずカイシャと結婚している。そして、日本のカイシャは横暴であることで世界的に有名で、社員の人生はカイシャに隷属状態だ。これは真実だ。就職すると言うことは生殺与奪を会社に与えると言うことだ。

奴隷にとって意思決定権はない…そんな奴隷同志がペアになったところで、奴隷マスターが相反することを要求したら
どうなるか? 片方は山梨に転勤という。片方は大阪に残れと言う。どちらの奴隷にも裁量はない。ところが奴隷マスター同志は相談することはない。 

というわけで、夫が仕事を続けたいのなら、私が仕事を捨てるしかない。私が仕事にもつ情熱より夫が仕事に持つ情熱のほうが上だからだ。

■彼を選んだ理由

私が夫と結婚した理由の一つは彼が仕事を好きだからやっていることだった。嫌々働く男性ほど、みっともないのはない。男性には好きなことをやって思いっきり才能を発揮して欲しいのだ。そうでない男性のどこが魅力的なんだ?

とはいえ、カイシャはカイシャたるゆえに、多少は面白くないこともあるようだが…隷属状態が気に入らないとはいえ、彼は好まざることを強いられているわけでも、苦手なことをやらされているわけでもない。

ソフトウェアのエンジニアという仕事は彼にとって天職で、実は家に帰っても、パソコンいじりが趣味だ。パソコンで癒されている彼… わたしなんか同じ仕事をしていたら、家に帰ったら一切電気機器の電源を入れたくないくらいなのに。

私は結婚相手には、生活や家庭のために何かを犠牲にしたりせず、才能を発揮してもらいたいのだ。そのためにある結婚だ。ひとりならやりづらいことも二人なら出来ることは多い。ひとりのほうが良いなら結婚なんてしなけりゃいいだけの話だ。実際結婚せず一緒に暮らしているカップルは多い。

彼には自分の可能性を広げてほしいからもっと上のGeekyな会社に転職するのは何度も奨めてみた。彼は才能があるエンジニアだ。
でも彼自身が今の会社でまだやりたいことが残っているらしく、結局のところ、勤務時間が異様に長いとか(でもIT業界はどこも同じだ)意味不明な拘束がある(転勤…)とか、ペーパーワークがわずらわしい(やたら労務管理がうるさいし、組合もある)とか、加味しても、今の会社がとりあえず居心地が良いらしい。

それにしても勤務時間は長いのだが…・

■ 外を見ると異様なことが異様と分かる

日本のIT業界の勤務時間の長さは異常だ。コレはシリコンバレーあたりで、会社にシュラフで寝泊りしてコードを書く、オタクな人たちの常識を都合のいいように日本に輸入しただけらしいが、彼らの会社は基本的にチームごとにブース式でプライバシーがあり、日本のように大部屋で部長の前に役職の高い順に対面して机が並べられているわけではないし、建物の所在地だって緑が一杯の自然の真っ只中にあり、日本のように周囲を高い壁で囲まれた工業団地指定エリアにあるわけじゃないってのを無視している。

日本の開発部は本当に環境的に乏しい。ロボットの開発室はまったく日が当たらない上、生産工場の真上で振動が凄かったし、トイレの正面で朝と昼には好例のにおいがして、スリッパには水虫菌がいた。

携帯電話の開発部はもっと悲惨で400の机がダーと見渡す限り並び、それは3階も4階も5階も同じなので、うっかりトイレに行くと、自分のデスクだと思って4階の他人のデスクに座っているのだった。それもそのはずでレイアウトが同じだけでなく、私物をデスクに入れない決まりだった。デスクは仮置き場程度のことで、文具も自前。PCは全員一律同じデル製品。連絡はチャットかメールで。飲み物はデスク上においてはならず、休憩室で。休憩は一時間5分まで。私語厳禁。つまり、受験生の模擬テスト会場みたいなのが、延々毎日続くのだった。人の入れ替わりは激しく、1ヶ月続いたら祝杯、3ヶ月で古参だ。1年いた私はエライ。 

最悪だったのは、それより、なにより、キャラバン隊の開発部。つまり固定した部屋をあてがわれていない開発部。どこで開発するかと言うと、物置を改造した部屋で。みんなで会議室の机にぎゅうぎゅうづめで開発する。隣の人は至近距離だ。ひとり分の幅60cmね!みたいな、まるで混んでる山小屋みたいな状態で開発するわけで…こんな状況で世界的に競争力のあるソフトウェア製品が出来るわけがないだが・・・

それでいいと思っているのが日本のIT業界の姿で、それはある意味、昔の山岳部を想起させる…薄暗い階段を20kgの米をザックに入れてひたすら上り下りしていれば、エベレストに登るようになれるとかいう…。

それでどこの開発部もカモシカ山行だ…私の月間労働時間は300時間を越えていた。というか下がるとまるで始末書を書くかのように理由を聞かれた。300時間を20で割ると15時間であり、一日15時間働いていれば、誰だって年収700万位になって当然だ。

…ま、夫の開発部はそういう世界の一部です(--;)むしろ私より残業代がつかない分損をしているかもしれない。私はそういう世界には魅力を見出せなかったので、努力はしたものの…タクシー通勤OKですから、と言われても仕事を断ってしまう…ごめんなさい。だからやっぱり日本以外の世界を知るっていうのは、日本の労働者管理の意味では害あって一理なしなんだろうな。奴隷マスターとしては(笑)

■ 変えられるのは自分だけ

夫はカイシャのドレイなので、結局その妻である私もドレイだ。ドレイはドレイで開き直り、同じドレイ生活なら楽しくするほうが良い。というのが私の結論だ。日本のカイシャが奴隷マスターであることは早晩に変えれそうな現実ではない。日本社会の支配階級は人事だ。

余談だが、日本の政治システムも官僚制も、利権と保身がメインのイングレディエントで、過ちもストレスも多い仕組みだが、日本という国はコレで延々1000年以上もやってきたらしいので、まぁ少なくとも将軍制の徳川時代からぐらいは続いていていそうなので、これも早晩には変えれそうにない。

巻かれなくてはいけない社会の構成員のほうは大変だが、そういう人にはこの言葉を贈りたい。

 You must change to master a change.

変化が欲しければ、変化しなさい。つまり変化が欲しければ変化をさせようと働きかけるのではなく、自らが変化してみせよ、ということだ。

平たく言うと、6時になったら残業せずに家に帰る、ってことですね。残業が常識の社会で。
利権と保身が常識の社会で利権と保身を条件に動かなかったらその人は社会を変えている。原発に反対する人は
徹底的に電気を使わない生活を始めること。それが変化の一部になるということだ。変化の一部になれないのに、はたらきかけで済ませよう、というのは、たぶん虫が良いから叶わない。神様はそれを知っているようにみんなも心の中ではそれを知っている。

今の日本は、みんなが自分以外のみんなが変わるべきだと思っている。それは環境に適応している身としては自分のせいではないことのように一見思えるのだが、適応している限り、自分自身もその仕組みの一部として加担しているものなのだ。

結局のところ、変わることが出来るのは自分だけだ。環境は変えられない。でも変わることなら出来る。

心配しなくても社会は変わる。むしろ変わらずに要ることのほうが難しい。何しろ、この100年日本は激動の時代だ。今のように勤労だけが価値という価値観に染まったのは西洋化の近代以降のことでしかない。
金がすべての価値観に染まったのは、もっと歴史が浅い。

たった10歳、20歳程度世代が違うだけでも夫婦関係がものすごく違うのと同じことだ。変化は我々そのものなのだ。

■ 理想の実現

ま、そーゆーわけで、夫は私に隷属しているわけでも、依存しているわけでもなく、私自身も夫に隷属しているワケでも依存しているわけでもない。 

依存の関係でしか捕らえられない人間関係は乏しい。依存ではなく、あるのは、補完だ。なぜなら人は完璧で無いから。

表面的な形式上は、夫が外で働き、妻が家を取り仕切っているのだけれど、それはそれぞれがお互いの才能を最適に生かした結果であって、先にルールや契約としてそれがあったわけではない…

彼はソフトウェア開発がしたいのだ。 そして、私が愛したいのは夫であってカイシャではない。就職はいいが就社はごめんだ。

あれ??補完関係。これは私の結婚の理想ではなかったか?お互いが自分の才能を活かしつつ、相手に欠けている部分を互いが補う。インヤン。陰と陽。欠くべからざる存在。ベターハーフ。 

ところが、これって実は最初から私たちはそういう関係を目差してきたんではなかったかしら?

ではなぜこの補完関係に気がつかず、ずっと依存関係を避けてきたのだろうか?補完と依存の見分けがつかなかったから?

いや世間がそれは補完ではなくて依存だと押し付けてくるからだ。稼いでいないのは依存じゃない。

ということは私たちの理想は、世間の常識が押し付けてくる価値観を捨てたときに実現したのだった。

ずっとそこにあったのに。依存ではなく、補完だと納得しただけで。

なーんだ。幸せって実はメビウスの環みたいなものだなのだった。




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