新・日本紀行(97)広島 「原子爆弾」(Ⅱ) 、


出典元;http://blog.goo.ne.jp/truenet/e/bf6e70a9ec431ee3129cdc4153f4c5da
世界最初の原爆犠牲・「広島」・・!、
1941年(昭和16年)12月8日(日本時間)、日本海軍はアメリカ太平洋艦隊の基地であるハワイの真珠湾を攻撃した。これが事実上の太平洋戦争の始まりであった。
日本軍は、この真珠湾攻撃の緒戦に勝利し、それに日本は他の南方地域でも勝利したようだが、その後の戦役は殆どが敗戦の連続であった。
レイテ沖海戦(フィリピン周辺海域)では世界史上最大の海戦となり日本海軍は、ほぼ壊滅状態となる。
その後、特攻戦術、戦艦大和の海上特攻隊全滅、沖縄敗戦、本土の軍事基地・各都市の空爆、そして開戦から3年8ヶ月後の1945年(昭和20年)8月6日、駄目押しとも思えるこの広島の上空に、「原子爆弾」が投下された。
1945年8月6日早朝、ウラン型原爆を積んだB29(爆撃機・空飛ぶ要塞)はマリアナ諸島のテニアン基地を飛び立った。
投下目標を広島に確定し、午前8時15分、広島上空1万mの上空に達した。
広島市中区大手町、旧広島県産業奨励館(原爆ドーム)の辺りである。
長さ3m、直径76cm、重量4tの原子爆弾は投下された。
43秒後、広島市上空・580m付近でそれは炸裂し、同時に280mにおよぶ巨大な火の玉になりその中心温度は4000度にも達したという。
半径3km以内の物体は瞬時に発火し、市内全域にわたって大火災が発生し、市街地のほとんどが1日にして燃え尽くされた。
直後、放射能を含んだ黒い雨が、広島市北西部に集中的に降り降り注そいだ。
被爆直後において、広島県警察本部が1945年11月30日に広島県内の各警察署に指示し、12月中旬にまとめたの状況では、死者78150人、重傷者9428人、軽傷者28997人、行方不明者13983人被災者、176897人、合計306545人と報告されている。(この中には、軍隊の関係者は入っていない)
因みに、昨今の2006年(平成18年)8月6日の記念日、広島市当局により確認されて、原爆死没者慰霊碑に納められている「死没者総数」の記載数は247,787人となっている。
或る犠牲者の体験・・!!、
この様な中で、爆心地から僅か170メートルと、爆心に近い建物(戦前は大正屋呉服店、戦中は県の燃料配給統制組合、通称・燃料会館)が倒壊を免れ、一人の生存者がいたという。
被爆当時執務中だった職員は殆ど即死したが、唯一の生存者は野村英三士氏(当時47歳、1982年に84歳で死去)であったという。
彼は地下室に偶然書類を取りに地下室に降りた直後被爆した。
突如として明かりが消え、しばらく気を失っていたが漏水の冷たさで気がついた野村さんは、外に出たときは広島の街が真っ暗で廃墟のようになっていた。 そんな中、対岸の原爆ドームだけが火をふいていたのを見たという。
後のインタビューでも「もう全然人の声いう声、音いう音は何もなく、人っ子一人見ず、 ただシーンとして、ただ火事の音ばっかりでした・・」と話していた。
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