My song

フリーライターの、記事にならないお話

ママか若い女か

2004-12-20 | Weblog
ハウル見てきました。

確かに細かいところまで凝った絵で、
創造性あふれる絵で、
登場人物もジブリとしてのオリジナリティーが確立して、
・・・・・

でも、残念!

少女か、ママかの二択には、ついていけません!

「ハウルの動く城」を見て、大いに感動した人は、
ここから先は読まないでください。
おそらくあなたは、とても幸せな男女関係の中で
生きていらっしゃるのでしょう。
おめでとう。

せっかく主人公は、ママでも少女でもない90歳のおばあちゃんだったのに、
どうして、途中から、ここぞというシーンでは断りもなく
若い女に戻り、ロマンスを発展させ、
主人公の留守を守り、老人の介護をし、掃除洗濯をし、
育児をするという役割に徹するのでしょう。

はじめ主人公は帽子を作っていました。
毅然としていて、その姿は、帽子屋からキャリアをスタートさせた
ココ・シャネルをイメージしたのかと、勘ぐるほどでした。
それなのに。期待したので、
なおのこと、裏切られた感でいっぱいです。

宮崎さんは、どうしてあの設定を、あのような陳腐な話に仕上げてしまったのでしょう。
主人公はなぜ、少年の心をもち、ただ自由に生きたいだけの男に居心地のいい
帰る場所を提供するために存在する女になってしまったのでしょう。

ソフィーさん、あなたは「一度だってきれいだったことなんかない」
って泣いてましたね。
愛する男のママになることで、その悔しさは昇華されましたか。

臆病なハウルの代わりに、ハウルの母親を名乗って、
魔法の師匠のもとに出向いたソフィーの正体を、
師匠は見抜きました。

「ずいぶんと若いお母上だこと」

一緒に見に行った友人は、このセリフに全てが集約されていると
言っていました。

外では思いっきり自由に生き(それはちょっと苦しいけど)、
帰るとうちにはママがいて、すべての問題は片付けてくれ、
恋人には花畑をプレゼント。
ママが若い女だったら、最高!

そんなストーリーーに日本全国で拍手をおくるのは、
やめようよ。
まずもって、教育に悪い。
じいさんの、癒しにはなるかもしれないが。

なにが生きる喜びだ。
そんな人生、押し付けないでくれ!


人身事故

2004-12-15 | Weblog
今日、生まれて初めて、目の前で電車に人がはねられるのを
目撃しました。

東京へ向かう電車をホームで待っているときでした。
電車が長い警笛を鳴らしながら駅に入ってきたので、
電車の方を見ると、線路の上に、寝袋のようなものが
落ちているのが見えました。

その上を電車が通過する瞬間、
ホームから線路を覗き込んでいた、5人ぐらいの
若い男の子たちが、くものこを散らすように飛び退り、
ホームから走り出ていきました。

その後も電車は警笛を鳴らし続け、ホームの中ほどまで
入って、停車しました。

寝袋のように見えたのは、青いジャンバーを着た
人でした。
線路にかぶさるように、うずくまっていました。

目の前で見てしまったという若い女性は、
震えながら泣いていました。
駅員さんに、「この人、目の前で見てしまったんです。
どこかで休ませてあげてくれませんか」と声をかけましたが、
後片付けに気を取られているようで、無視されました。

気丈な年配の女性が、「私、見ました」と言って、
事情を報告するために、名前と住所を告げていました。

私はとにかく駅を出ましたが、異様な警笛と、救急車の音に
惹かれるように、多くの人がホームが見える駅の周囲に
集まってきていました。

昨日、「地球上の物質循環」について記述した原稿に
注文をつけるために、「生命体といえども、地球上の大きな循環のなかで
物質そのものではないか」というようなことを書きました。

線路にうずくまった人の上を電車が通過するとき、
電車と人が物質同士の戦いをして、
人は電車に負けたんだなという気がしました。


夜、帰宅途中に、パン屋に寄ると、やはり事故を目撃した女性がいて、
「死んだのは年配の男性だった。ホームに下りる前に、タバコを吸っていた」
という話をしていました。

男性は、どんな思いで線路に下りたのでしょう。
最後に味わいたかったのは、タバコだったのでしょうか。
この一年、どんなにつらく、疲れてしまったのでしょうか。

青いジャンパーに毛糸の帽子をかぶった人でした。

師走とピアノの音色

2004-12-14 | Weblog
日曜日は、「文系と理系の壁」について論じ合うシンポジウムの手伝いに行ってきた。
私自身は、そんなものないと思っているのだが、そういうのがあることになっているので、
自分に付加価値がついて、自分の商売が成り立っているのかもしれないと考えると、
この議論は粗末にできない。

シンポジウムのあとの懇親会で、毛利衛さんを紹介していただいた。
言わずもがなだが、宇宙を飛んだ男だ。
一緒に写真をとってほしい気持ちをぐっと押さえて、
大人らしくふるまった。

私の中学の時からの夢は、宇宙を飛ぶことだった。
だから、私は高校で理系を選択した。
実際大学で勉強したのは農業生物だったけど、
宇宙は今でも、哲学的な存在として自分の中にあり続ける。

宇宙を飛んだ人は、人生観が変わると、よく聞く。
毛利さんは、宇宙を飛んだ数少ない人類として、
なにか特別な人間になっているのか?!

それをこの目で確かめようと、凝視してしまった。
私は未だ、宇宙を飛ぶことはかなわないが、
宇宙を飛んだ人とお話をしたということで、
夢の切れ端を拾ったような気がした。

師走に入り、仕事や身辺が慌しく、音楽で心を慰め、慰めしながら、
机に向かっている。

松任谷由実のアルバムから流れるピアノの前奏に、
不意に頭の奥がしびれるような感覚を覚えることがある。

ピアノの音は頭に響くなあと、今年悩み事を抱えていた時、
よく感じていた。

今日、ふと、そのわけがわかった。

私は中学の時合唱部に所属していた。
ピアノの音色は常に自分の側にあった。
毎日、毎日、数時間、ピアノに耳を澄まし、
歌を歌っていた。
ピアノの音色はその頃の自分に、私を引き戻すのだ。

夢がいっぱいあったあの頃。
未来がいつも輝いていると信じていたあの頃。
宇宙飛行士にだってなれると思っていたあの頃に。

ケーキなんかもう特別じゃない

2004-12-07 | Weblog
ご無沙汰しました。

更新がないと心配してくれた方、どうもありがとう。
特に元気がなかったわけではないですが、
強いて言えば、ちょっぴり忙しくて、
ちょっと休みが必要でした。

もうすぐ、クリスマスです。
しかし、年々クリスマスが憂鬱になります。
宗教的な背景を持たない私にとって、
もともとクリスマスを祝う心のよりどころは、非常に乏しいものでした。

うんと若い頃は、「恋人がサンタクロース」などを歌って、
「大人になれば、あなたもわかる、そのうちに、
恋人がサンタクロース」なんて、能天気に歌っておりました。

もう少しさかのぼって、中学生の頃、しばらく休んでいた
サンタクロースが復活し、朝起きると、枕もとにプレゼントが
置かれていたりして、その頃は純粋にクリスマスを感じていました。

5歳から、中学までは、サンタクロースは来なくて、
親がプレゼントを買ってくれていました。

さて、私が結婚し、自分の親が近くに住み、親戚が近くにいたりすると、
クリスマスは、家族が集まって、親睦を深める行事となりました。
ときどき妹が友達や恋人を連れてきたり、私の友達が来たり、
ご馳走を食べ、ささやかなプレゼントを交換し合う、楽しい集いの夜です。

そんなクリスマスを過ごすようになって7、8年。
最近は、それもどうも、しっくり来なくなってきました。

私たち、豊かになりすぎたのです。
親の世代は、十分な財力があり、自分のほしいもの、気に入った物は、
ボーナスどころか、給料日を待たなくても、いつでも買えます。

数千円のおもちゃだって、いつでも、毎週のように孫に買ってやれます。
寿司も、ステーキも、別に特別なご飯ではなく、
当たり前のように日曜日の食卓に並びます。

松本人志と槇原敬之が作った「チキンライス」という歌を聞いて、
私は涙が出ました。私たちは、贅沢をする喜びを知る、
最後の世代になってしまったのかもしれません。
私は、自分の子供がかわいそうで仕方ありません。

我が家の子供たちは、親の財布の心配をすることなんて、
思いもつかないでしょう。
全ては、願えば、すぐに手の届くところにあるのです。
夜空に向かって、何ヶ月も欲しいおもちゃを願うことなんて、
ないんです。

ケーキなんてもう特別じゃない人生を生きる子供たちは、
決して幸せになれないような気がしてしまいます。