ハウル見てきました。
確かに細かいところまで凝った絵で、
創造性あふれる絵で、
登場人物もジブリとしてのオリジナリティーが確立して、
・・・・・
でも、残念!
少女か、ママかの二択には、ついていけません!
「ハウルの動く城」を見て、大いに感動した人は、
ここから先は読まないでください。
おそらくあなたは、とても幸せな男女関係の中で
生きていらっしゃるのでしょう。
おめでとう。
せっかく主人公は、ママでも少女でもない90歳のおばあちゃんだったのに、
どうして、途中から、ここぞというシーンでは断りもなく
若い女に戻り、ロマンスを発展させ、
主人公の留守を守り、老人の介護をし、掃除洗濯をし、
育児をするという役割に徹するのでしょう。
はじめ主人公は帽子を作っていました。
毅然としていて、その姿は、帽子屋からキャリアをスタートさせた
ココ・シャネルをイメージしたのかと、勘ぐるほどでした。
それなのに。期待したので、
なおのこと、裏切られた感でいっぱいです。
宮崎さんは、どうしてあの設定を、あのような陳腐な話に仕上げてしまったのでしょう。
主人公はなぜ、少年の心をもち、ただ自由に生きたいだけの男に居心地のいい
帰る場所を提供するために存在する女になってしまったのでしょう。
ソフィーさん、あなたは「一度だってきれいだったことなんかない」
って泣いてましたね。
愛する男のママになることで、その悔しさは昇華されましたか。
臆病なハウルの代わりに、ハウルの母親を名乗って、
魔法の師匠のもとに出向いたソフィーの正体を、
師匠は見抜きました。
「ずいぶんと若いお母上だこと」
一緒に見に行った友人は、このセリフに全てが集約されていると
言っていました。
外では思いっきり自由に生き(それはちょっと苦しいけど)、
帰るとうちにはママがいて、すべての問題は片付けてくれ、
恋人には花畑をプレゼント。
ママが若い女だったら、最高!
そんなストーリーーに日本全国で拍手をおくるのは、
やめようよ。
まずもって、教育に悪い。
じいさんの、癒しにはなるかもしれないが。
なにが生きる喜びだ。
そんな人生、押し付けないでくれ!
確かに細かいところまで凝った絵で、
創造性あふれる絵で、
登場人物もジブリとしてのオリジナリティーが確立して、
・・・・・
でも、残念!
少女か、ママかの二択には、ついていけません!
「ハウルの動く城」を見て、大いに感動した人は、
ここから先は読まないでください。
おそらくあなたは、とても幸せな男女関係の中で
生きていらっしゃるのでしょう。
おめでとう。
せっかく主人公は、ママでも少女でもない90歳のおばあちゃんだったのに、
どうして、途中から、ここぞというシーンでは断りもなく
若い女に戻り、ロマンスを発展させ、
主人公の留守を守り、老人の介護をし、掃除洗濯をし、
育児をするという役割に徹するのでしょう。
はじめ主人公は帽子を作っていました。
毅然としていて、その姿は、帽子屋からキャリアをスタートさせた
ココ・シャネルをイメージしたのかと、勘ぐるほどでした。
それなのに。期待したので、
なおのこと、裏切られた感でいっぱいです。
宮崎さんは、どうしてあの設定を、あのような陳腐な話に仕上げてしまったのでしょう。
主人公はなぜ、少年の心をもち、ただ自由に生きたいだけの男に居心地のいい
帰る場所を提供するために存在する女になってしまったのでしょう。
ソフィーさん、あなたは「一度だってきれいだったことなんかない」
って泣いてましたね。
愛する男のママになることで、その悔しさは昇華されましたか。
臆病なハウルの代わりに、ハウルの母親を名乗って、
魔法の師匠のもとに出向いたソフィーの正体を、
師匠は見抜きました。
「ずいぶんと若いお母上だこと」
一緒に見に行った友人は、このセリフに全てが集約されていると
言っていました。
外では思いっきり自由に生き(それはちょっと苦しいけど)、
帰るとうちにはママがいて、すべての問題は片付けてくれ、
恋人には花畑をプレゼント。
ママが若い女だったら、最高!
そんなストーリーーに日本全国で拍手をおくるのは、
やめようよ。
まずもって、教育に悪い。
じいさんの、癒しにはなるかもしれないが。
なにが生きる喜びだ。
そんな人生、押し付けないでくれ!