-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

幕末期における畑沢出身の大スケールな人物

2014-02-15 16:16:15 | 歴史

 これまで、畑沢の姓については、「有路」「古瀬」「大戸」を取り上げてきました。4番目に多い姓は「豊島」ですが、ここでは一般的な「豊島」姓としては取上げないで、スケールの大きい豊島姓の畑沢出身者一個人を取り上げたいと思います。残されている記録からだけでも、豊島☆☆☆がまるで時代劇に出てくる、「強きをくじき、弱き助く」正義の味方のような感じにさえ見えてきます。しかも時は幕末、弱くなったとは言え、まだまだ武士の時代です。それに真っ向から立ち向かう姿がありました。とかく金持ちや権力者は、自分の利益だけを考える人物が多いのですが、この豊島☆☆☆は、それとは全く逆で、胸のすくような働きが見られます。
 私の取り上げる意図は、決してその人物をけなすものではなくて、褒め称える内容ですが、その家が大変に有名であることと、御子孫のことを考えて本名を出さないことにします。いずれ、このブログ投稿した内容を大幅に書き直して、一冊にまとめたいと思っていますので、その時には、本名で書くつもりでます。
 豊島☆☆☆は、畑沢出身者であることは間違いないようで、清水畑(すずばた)には、「☆☆☆屋敷」という場所が残っていたそうです。現在は農地として耕されていますので、屋敷跡らしい地形を探すことはできません。
 豊島☆☆☆が「畑沢で生まれた」のかどうかについては、異なる説があります。ある研究者によれば、「文化14年(1817年)畑沢に生まれ、明治17年(1884年)に死亡した人物」とされています。一方、豊島☆☆☆家が畑沢にあった時に、先祖がs豊島☆☆☆家に奉公していたという畑沢の大戸Hによると、「豊島☆☆☆は秋田県仙北郡の生まれで、畑沢に移り住んだ。さらに後年に荒町に移った」ということでした。どちらの言うことが真実であるかは、豊島☆☆☆家にお邪魔すれば、かなり明らかになるのでしょうが、スビタレにはできません。二つの説を併記したままにしておきます。

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