-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

逃げろーー 山さ上がれーー

2017-11-10 19:22:49 | 歴史

 戦国時代、戦になると危険極まりないのは侍だけではありませんでした。押し寄せた敵の雑兵たちが、民家に乱暴狼藉をはたらくのが常だったそうです。藤木久志氏の「雑兵たちの戦場」やその書籍を踏まえた保角里志氏著の「南出羽の城」と「山形の城」、さらに同氏も執筆した「尾花沢市史」にそのことが記述されています。敵方の雑兵たちは、略奪、火付け、奴隷狩り等々の乱暴狼藉を行っていたというのです。私が攻めて来られた村人であったならば、恐ろしくて山にでも逃げたくなります。野辺沢城などの大きな城が近くにある村々は城に逃げますが、城から遠い所の村人は自前の避難所に逃げなくてはなりません。村人のための「村の城」が必要だったそうです。

 山楯のことについては、「南出羽の城」で保角里志氏が、畑沢楯(山楯のこと)が他の地区の楯跡とともに「村の城」だと説明されています。しかし、山楯の規模がかなり大きかったことから、私にはとてもそのまま受け入れられずに、いつしか忘れていました。ところが、山楯の隣のおしぇど山の楯が見つかったことから、私の頭がいつものようにショートして火花を散らし始めていました。残念ながらショートし出だしても、電気工事士2級の私には自分のこんがらがった頭を修復する技術はありません。ショートして煙が出ているままに、時間が経過するのをただ待つのみです。4か月が過ぎようとしたとき、救いの神が新しい本を発行して下さいました。保角里志氏の「山形の城」が出たのです。その本で最上地域の「村の城」が説明されていました。「南出羽の城」にも五十沢の「村の城」があったのですが、おしぇど山の楯跡と比べると格段の違いがありましたので、頑固な私にはまだ納得することができませんでした。しかし「山形の城」に記載されている新庄市盃森楯跡と戸沢村平家楯跡は、実におしぇど山の山楯と似ています。実にこじんまりとしています。これで完全に納得しました。山楯とおしぇど山の楯は、村人のための「村の城」だったのです。

 それでは、何故、山楯とおしぇど山の楯が近い場所に並んでいるのでしょう。この現象も五十沢の楯と似ています。五十沢の楯も近接した場所に二つあります。「南出羽の城」では、一つが古い方で、それよりもより堅固に作られたのが新しい時代の楯であるとのことでした。同じようにその理屈を下畑沢に当てはめれば、山楯はかなり本格的で堅固なことから新しい時代の楯であって、おしぇど山の楯は古い楯だということになります。

 下畑沢の村の城は、二つ見つかりましたが、それでは上畑沢ではどうでしょう。それは背中炙り峠の楯と言いたいところですが、遠過ぎますし村の城どころではない野辺沢家の重要拠点です。ましてや、村山方面から敵が攻めてきた場合は、背中炙り峠の楯に逃げ込むなどと言うのは合理的ではありません。やはり集落の近くの山に「村の城」が必要だと思います。今までそれらしき話もそのような地形を見ておりません。しかし、おしぇど山の楯も全く知らなかったのに、石仏調査をしていて、突然、去年の春に見つかりました。規模が小さいので分かりにくいようです。丹念に近くの山を調べれば見つかるかもしれません。同じように野辺沢城から離れた地域にも村の城がある可能性があります。私が一番、可能性が高いのが細野地区ではないかと思います。荒町地区は八幡神社がその役割を果たしたのではと思います。九日町、三日町、六沢は野辺沢城に逃げられます。古殿地区には、村の城がある可能性は半々です。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 延沢城のジオラマが常盤地区... | トップ | クモキリソウ かな »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「おしぇ様」の場所 (さかい としあき)
2017-11-22 22:33:13
11月10日に掲載の「おしぇど山の楯」で、図面を大変興味深く見ました。「おしぇ様」の場所は、グーグルマップの探索位置に 38.5529, 140.4475 と入力したところの近くでしょうか?
さかい としあき さんへ (スビタレ)
2017-11-23 16:25:27
 さかいさんが見て下さり光栄です。さて、おしぇど山の正しい位置は、北緯38.5524東経140.4477です。さかいさんがお示しのgoogle mapについては、検索位置を入力した覚えがないので何のことか分かりません。入力方法を教えてください。
「おしぇ様」の場所 (さかい としあき)
2017-11-25 19:20:26
ありがとうございます。場所判りました。私の記載方法は、グーグルでの書法で、(緯度の数値, 経度の数値)を入力しますが、北緯では数値のみ(南緯では数値の始めに-を付記)、東経では数値のみ(西経では数値の始めに-を付記)するものです。この数値をグーグルマップの右側から引き出されるサイド・パネルに記入し、起動させると地図上に表示されます。
さかいさんへ (スビタレ)
2017-11-26 14:59:53
 ありがとうございます。お陰様で、google mapの新たな楽しみ方を覚えました。活用してみます。

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事