-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢へ向かう背炙り峠への道でお会いします

2014-08-08 09:20:18 | 歴史

 お盆になると、山形市や関東方面から畑沢へ帰省される際に、背炙り峠に入る方が多数おられると思いますので、峠へ入るときに目にする大きな石造物について説明します。

 国道13号線を抜けて、林崎から県道29号線へ入り畑沢へ向かうと、中沢の入口に丁字路があります。畑沢へ行くには、その丁字路を左に曲がります。その丁字路の右側に大きな墓石の様なものがあります。一番大きな左のものは、高さが凡そ1.4mぐらいもあります。大変大きなものですから、威圧感があります。また、以前は石仏などと言うものに関心がありませんでしたから、当然のごとく「昔の人のお墓」だろうと長い間、思っていました。一昨年、この周囲の畑を所有している方から、直接、この石造物についてお聞きしましたが、「何であるか知らないが、大事にしている」のだそうです。さらに、「前は違うところにあったと聞いていて、ここに集めたらしい」ともおっしゃっていました。当然、私の様な無知で罰当たりな「無頓着」極まりない人間には、「それは、何々です」などと説明できる知識は全くありませんでした。

 ところが、昨年、昭和45年に同校の生徒たちがまとめた「郷土 Ⅱ」という資料のコピーを同校から頂戴しました。そこに、畑沢の「石仏」が記載されています。それを拝見して、全く知らない世界が広がりました。お陰様で、それをきっかけに「石仏」を勉強することになり、これらの石造物についても、すこし分かるようになりました。

 すみません。長い前置きと言うか、「私の説明」になってしまいました。さてここまでお話しますと、この石造物が「石仏」であることを察せられたのではないでしょうか。そうです。「石仏」です。左の大きな石仏は「南無阿弥陀仏」と書かれています。村の入口に建立して、村に禍が入らないように、お守りしている石仏です。言わば「門番」です。

 中央の石仏は、「一字一石塔」と言われている石仏で、「大乗妙典…」の文字が見えます。全部の文字は、皆さんが探してください。お経の一文字、一文字を平らな石に書いて、沢山の石を地中に埋めた上に建立しました。ただし、石仏が移された可能性がありますので、この下に沢山の石が埋蔵されているかどうかは確信が持てません。このような一字一石塔は、上畑沢の延命地蔵堂の近くと下畑沢の熊野神社の近くの二ヶ所にあります。

 右の石仏は、「十六夜」です。毎月、十六日の夜に「講」を開催して念仏などをとなえます。この石仏は、それを供養したものです。中畑沢の稲荷神社の近くには、「十八夜」があります。

 つまり、これらの石造物は墓石ではなくて、石で作られた「仏様」、つまり「石仏」です。江戸時代に中沢村の村人たちが、村の安寧を願って建立したものです。中沢地区の方々は、今でも石仏の前にお花を添えて拝んで大切にしています。近くを通るときは、是非、これらの石仏に手を合わせながら、建立した時期などを調べてみてください。ちゃーんと、年号などが刻まれています。

 


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