<Soh’s Bar>
呑むとなると、けっこうな量を呑むほうである。
たまにハシゴ酒となる。居酒屋から居酒屋への水平移動(なかには立ち飲みから立ち飲みへの水平移動の豪の者もいたりするが)もあれば、二軒目とか三軒目はちょっと高めの店にいくこともある。
出張などにいくと、夜は居酒屋でたっぷり「下地」をつくってから、ホテルのバーで仕上げの一杯を呑むことが多い。宿泊するのはビジネスホテルが多いので、近くの大きなシティホテルのバーだ。東京ではほとんどなくなってしまったが、地方ではまだたまにピアノが置いてあるバーがあったりして嬉しい。「ひまわり」とか「ディア・ハンター」などの映画音楽をリクエストして、お礼代わりに一杯奢るのも楽しいものだ。
森のなかにひっそり佇むバー・・・。
森のなかに瀟洒な喫茶店が突然現れただけでもアッと驚くのに、石造りの立派なバーが出現するわけだからまさに驚天動地である。
北海道の富良野にある新富良野プリンスホテルの敷地にある森のなかで、いわゆるホテルのバーだ。
ホテルのバーといえば、たいていは建物の最上階などにあって、眼下に広がる街の夜景をみながら飲むといったイメージだが、ここは明るいホテルの建物をいったん出て、暗い森のなかをてくてくと歩いていかねばならない。
やっと辿りついて、「あいにくいっぱいでございます、ハイ」などという事態になったらかなわない。だからこのバー、予約制となっているのも腑に落ちる。
一度どこかでたっぷり「下地」をつくってから、また森の中に戻って訪れるのがベストだが、なんとも面倒だ。
そこで、森の時計を出るときにマスターに頼んで予約をいれてもらい、掟破りの最初の一杯がいきなり仕上げの一杯となったのである。
森の時計と同じようにカウンター席と、ラウンジ席にわかれていた。喫煙者かどうかなどと訊かれないところはさすが倉本總のプロデュース、愛煙家(いまでもそうかな)の彼のたっぷり息がかかったバーだ。なんと、シガーも吸える。
わたしはカウンター席の隅に陣取り、アイリッシュウイスキーの水割りを頼んだ。
窓の外は唐松林である。
そばの壁には、煙草の空き箱がぎっしりと額縁にいれられて飾ってある。
つまみは、コーヒー豆をチョコレートでコーティングしたものが付いたので、とくに料理のオーダーはしなかった。
運ばれた水割りを、ちびりちびり時間をかけてゆっくり呑む。
一杯だけだかんね、雰囲気を味わうだけだぞ。酔うまで呑んだら、いくら払うかわからないのである。さすがに最初の一杯の状態であるから珍しく意志強固なわたしである。
「Soh’s Bar(總‘s Bar)」は、脚本家である倉本總(くらもとそう)の名前から名づけられたのである。「總」でもあり、「創」への思いでもある。なんでも自分の書斎の雰囲気を模したという。
森のなかの喫茶店という閃きが生まれたころから、
「喫茶店があるなら、バーがあったっていいじゃねぇか」
そう、倉本總が考えたとしてもおかしくはない。
途中ではいってきたカップルがカウンターの窓際席に座り、注文したフォンデューかなんかを仲良く食べている。
森のなかに、ついでに居酒屋もあったらいいなあ、バーに行く前に「下地」がつくれるし・・・なんてのは酒呑みの発想なんだろうなあ。(これはもちろん、ただの冗談ですから)
帰りの暗い道を歩いていると、どこから獣が飛び出してもおかしくないほどの原初の夜の世界だった。
ところどころにある裸電球の優しい光がなんとも懐かしい。
部屋にいったら呑みなおすとしよう。
そして、思い出のなかでは時系列を一部逆転させて、バーで最後の仕上げをしたことにしようと決めたのである。
→「森の時計」の記事はこちら
呑むとなると、けっこうな量を呑むほうである。
たまにハシゴ酒となる。居酒屋から居酒屋への水平移動(なかには立ち飲みから立ち飲みへの水平移動の豪の者もいたりするが)もあれば、二軒目とか三軒目はちょっと高めの店にいくこともある。
出張などにいくと、夜は居酒屋でたっぷり「下地」をつくってから、ホテルのバーで仕上げの一杯を呑むことが多い。宿泊するのはビジネスホテルが多いので、近くの大きなシティホテルのバーだ。東京ではほとんどなくなってしまったが、地方ではまだたまにピアノが置いてあるバーがあったりして嬉しい。「ひまわり」とか「ディア・ハンター」などの映画音楽をリクエストして、お礼代わりに一杯奢るのも楽しいものだ。
森のなかにひっそり佇むバー・・・。
森のなかに瀟洒な喫茶店が突然現れただけでもアッと驚くのに、石造りの立派なバーが出現するわけだからまさに驚天動地である。
北海道の富良野にある新富良野プリンスホテルの敷地にある森のなかで、いわゆるホテルのバーだ。
ホテルのバーといえば、たいていは建物の最上階などにあって、眼下に広がる街の夜景をみながら飲むといったイメージだが、ここは明るいホテルの建物をいったん出て、暗い森のなかをてくてくと歩いていかねばならない。
やっと辿りついて、「あいにくいっぱいでございます、ハイ」などという事態になったらかなわない。だからこのバー、予約制となっているのも腑に落ちる。
一度どこかでたっぷり「下地」をつくってから、また森の中に戻って訪れるのがベストだが、なんとも面倒だ。
そこで、森の時計を出るときにマスターに頼んで予約をいれてもらい、掟破りの最初の一杯がいきなり仕上げの一杯となったのである。
森の時計と同じようにカウンター席と、ラウンジ席にわかれていた。喫煙者かどうかなどと訊かれないところはさすが倉本總のプロデュース、愛煙家(いまでもそうかな)の彼のたっぷり息がかかったバーだ。なんと、シガーも吸える。
わたしはカウンター席の隅に陣取り、アイリッシュウイスキーの水割りを頼んだ。
窓の外は唐松林である。
そばの壁には、煙草の空き箱がぎっしりと額縁にいれられて飾ってある。
つまみは、コーヒー豆をチョコレートでコーティングしたものが付いたので、とくに料理のオーダーはしなかった。
運ばれた水割りを、ちびりちびり時間をかけてゆっくり呑む。
一杯だけだかんね、雰囲気を味わうだけだぞ。酔うまで呑んだら、いくら払うかわからないのである。さすがに最初の一杯の状態であるから珍しく意志強固なわたしである。
「Soh’s Bar(總‘s Bar)」は、脚本家である倉本總(くらもとそう)の名前から名づけられたのである。「總」でもあり、「創」への思いでもある。なんでも自分の書斎の雰囲気を模したという。
森のなかの喫茶店という閃きが生まれたころから、
「喫茶店があるなら、バーがあったっていいじゃねぇか」
そう、倉本總が考えたとしてもおかしくはない。
途中ではいってきたカップルがカウンターの窓際席に座り、注文したフォンデューかなんかを仲良く食べている。
森のなかに、ついでに居酒屋もあったらいいなあ、バーに行く前に「下地」がつくれるし・・・なんてのは酒呑みの発想なんだろうなあ。(これはもちろん、ただの冗談ですから)
帰りの暗い道を歩いていると、どこから獣が飛び出してもおかしくないほどの原初の夜の世界だった。
ところどころにある裸電球の優しい光がなんとも懐かしい。
部屋にいったら呑みなおすとしよう。
そして、思い出のなかでは時系列を一部逆転させて、バーで最後の仕上げをしたことにしようと決めたのである。
→「森の時計」の記事はこちら
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