温泉クンの旅日記

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麦秋の散居村

2012-07-01 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <麦秋の散居村>

 北陸道の富山を走っていると、両脇の砺波平野に広がる田畑のなかにポツンポツンと、小さな森のような樹木たち(屋敷林)に囲まれた民家が点在している。



 一般的には「散村」というのだが、富山ではとくにこれを「散居村(さんきょそん)」と呼ぶ。
 いつも高速道から通過途中、車窓から見ているのだが、一度ゆっくり見てみようとずっと思っていた。

 今回、ようやっと訪れることができた。
 砺波(となみ)インターで高速を降りると、散居村が一望できる丘を目指す。
 季節はちょうど、なんとも狙ったような麦秋(ばくしゅう)・・・梅雨前の初夏、最高のタイミングである。





 麦の穂が熟したわわに実った、麦にとっての正に収穫期(秋)なので、初夏なのに麦秋といわれるのだ。「むぎあき」または「麦の秋」とも読み、夏の季語のひとつとなっている。

 散居村を見渡す展望台は絶好のビューポイントなのだが、靄っていてきれいに見渡せないのが残念である。



 散(居村)は富山の砺波平野が最大だが、島根県の斐川平野、香川県の讃岐平野、静岡県の大井川扇状地、北海道の十勝平野、岩手県の胆沢川扇状地、同じ富山の黒部川扇状地もみられる。
またこの景観は日本だけのものではなく世界ではイギリス、フランス、イタリア、スカンジナビア半島、バルカン半島、エジプト、台湾北部、中国などにも同じような散村があるそうだ。

 散居村を説明したボードがあった。



  『庄川と小矢部川によってつくられた砺波平野、そこには屋敷林に囲まれた約一万戸の農家が
   緑の絨毯に撒いた碁石のように点在し、散居村(散村)という集落景観をつくっている。
   約四百年前から散居村は成立し江戸時代を通して平野全体に広く展開した。
   散居村では家の廻りの耕地で稲作を行い、日常生活に必要な資材を屋敷林から調達する
   という自給自足の生活をしていた。』



  『散居村の農家には、広い屋敷の中に母屋を中心に納屋や土蔵、灰小屋がある。
   砺波は東からの風が極端に少ないことから母屋は東を向いて建てられた。伝統的な家屋として
   アズマダチ、マエナガレ、入母屋などの形式がある。
   屋敷林は「カイニョ」または「カイナ」と呼ばれ、家を風雨や吹雪や暑さ寒さから守り、
   スンバ(杉の葉=杉葉)や小枝は貴重な燃料として使われた。家の新築や改築の際には
   建材として利用したり、いろいろな道具に加工したりした。
   そのためこの地方には「高(土地)は売ってもカイニョは売るな」という言葉が伝わって
  いる』



 麦秋の散居村・・・。





 麦秋の時期はとても短い。だから、この時期の散居村を観られたわたしはまことに幸運であった。

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