■13段落
またここでも、「欲する」に至るきっかけや原因がひとくくりにされていて、その原因を自分が意識しているかどうかでどんな違いがあるかには触れられていない。私に何か「わけ」があり、いろんな「わけ」の内で一番大きな「わけ」に従うのだとしたら、自由だ不自由だと言ってもなんの意味もない。
私の「する」が「わけ」に強制されてしまうのなら、「する」ことができてもできなくても、私にどんな意味があるのか。 . . . 本文を読む
さらに曰く、「自由である」とは、欲するままを欲する(たとえば、ミルクが欲しいから「ミルクが欲しい」と泣く)ことができるだけでなく、欲するままをする(ミルクが欲しいからミルクを飲む)ことができることだと。
詩人であり哲学者でもあるハマリングの「欲するの原子論」には、この考えが簡潔にシンプルに書いてある。「人は、ミルクが欲しい時にミルクを飲むことができる。しかし、ミルクが欲しいこと自体を欲することは . . . 本文を読む
■10段落
「人が自由である」ということは、
ある人は「分別のある理性的な判断に自分を従わせることであり、
獣欲(お腹がすいたら食べたい、のどが渇いたら飲みたい)に
身を任せないことである」と言う。
また別の人は
「自由とは、生きる姿勢や自分の行動を、
自分の目標ややりたいこと、
また、将来の夢や計画に沿って決められることである」と言う。
■11段落
こんな言い方では、何も言っていないのと同じ . . . 本文を読む