『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学_1章_13~14

2011年05月16日 | 『自由の哲学』
■13段落 またここでも、「欲する」に至るきっかけや原因がひとくくりにされていて、その原因を自分が意識しているかどうかでどんな違いがあるかには触れられていない。私に何か「わけ」があり、いろんな「わけ」の内で一番大きな「わけ」に従うのだとしたら、自由だ不自由だと言ってもなんの意味もない。 私の「する」が「わけ」に強制されてしまうのなら、「する」ことができてもできなくても、私にどんな意味があるのか。 . . . 本文を読む

■自由の哲学_1章_12

2011年05月16日 | 『自由の哲学』
さらに曰く、「自由である」とは、欲するままを欲する(たとえば、ミルクが欲しいから「ミルクが欲しい」と泣く)ことができるだけでなく、欲するままをする(ミルクが欲しいからミルクを飲む)ことができることだと。 詩人であり哲学者でもあるハマリングの「欲するの原子論」には、この考えが簡潔にシンプルに書いてある。「人は、ミルクが欲しい時にミルクを飲むことができる。しかし、ミルクが欲しいこと自体を欲することは . . . 本文を読む

■自由の哲学_1章_10~11

2011年05月01日 | 『自由の哲学』
■10段落 「人が自由である」ということは、 ある人は「分別のある理性的な判断に自分を従わせることであり、 獣欲(お腹がすいたら食べたい、のどが渇いたら飲みたい)に 身を任せないことである」と言う。 また別の人は 「自由とは、生きる姿勢や自分の行動を、 自分の目標ややりたいこと、 また、将来の夢や計画に沿って決められることである」と言う。 ■11段落 こんな言い方では、何も言っていないのと同じ . . . 本文を読む