伯備線迂回1993

1993年10月9日、出雲3号で東京を出発しました。翌10日早朝、まだ薄暗い豊岡で下車、あたりは霧で真っ白でした。到着の30分くらい前に乗り過ごさないように車掌さんが起こしに来てくたことを思い出します。停車時間があったので反対側のホームへ移動し、京都から先頭に立つDD51を撮影しました。山陰線電化工事のため出雲1号が伯備線経由の迂回運転をしているため、3号も機関車が重連になり、更にこの日は次位に軌道検測車マヤ34が連結されていました。


△豊岡を発車する出雲3号、1993-10-10撮影
濃霧で4車先80m先はもう白くかすんでいます。


△豊岡を後にする出雲3号、1993-10-10撮影
西日本の14系で運転されており、さまざまな個室が連結されていました。


△福知山線の主役、183系北近畿、1993-10-10撮影

まずは由良川鉄橋を撮影するため丹後由良へ向かいました。


△北近畿タンゴ鉄道丹後由良駅、1993-10-10撮影


△由良川鉄橋を渡る急行丹後、丹後由良~丹後神崎間、1993-10-10撮影


△対岸を走る急行丹後、、1993-10-10撮影


△タンゴエクスプローラー、1993-10-10撮影

国鉄色の急行、新鋭のタンゴエクスプローラーと撮影し、現場を後にします。本当はこの後やってくる181系あさしおもここで撮りたかったのですがホームで撮影することにしました。この日は米子まで移動するため乗り継ぎ列車に間に合わないので。おかげで迫力ある通過シーンを撮影できました。


△181系あさしお、丹後由良にて、1993-10-10撮影


△181系あさしお、1993-10-10撮影

あまりよく覚えていませんが、城崎から特急で米子へ向かったようです。


△181系はまかぜ、城崎にて、1993-10-10撮影

それでも、米子の映像はすっかり日が暮れています。


△181系くにびき、米子にて、1993-10-10撮影


△181系はまかぜ、米子にて、1993-10-10撮影

米子泊、翌朝も朝からいろいろ撮っています。


△181系おき、米子にて、1993-10-11撮影


△181系おき、米子にて、1993-10-11撮影


△キハ40鬼太郎列車、米子にて、1993-10-11撮影


△キハ52オリジナル塗装、米子にて、1993-10-11撮影


△381系やくも、米子にて、1993-10-11撮影

そして、伯備線を迂回して出雲1号がやってきました。


△DD51重連+24系25型出雲1号(伯備線迂回)、米子にて、1993-10-11撮影


△米子で前補機は解放され入庫します。DE10とDD51、米子にて、1993-10-11撮影


△DD51出庫、DLの往来が絶えません、米子にて、1993-10-11撮影


△庫内から顔を出したキヤ191、米子にて、1993-10-11撮影

帰りは伯備線やくもで岡山に出て新幹線で帰っています。岡山でもいろいろ撮っていますが、長くなるのでこの辺で。

関連記事で、現在のはまかぜの様子が週末どっか行き隊byパパさんに、妖怪列車の様子が
SDTMさんのブログにありましたので、トラックバックを送信します。
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コメント
 
 
 
Unknown (播州路快速)
2006-09-16 17:45:46
急行丹後、特急あさしお、どれも懐かしい光景です。今は電化され485系を直流専用化改造した183系(交直転換機は113系に取り付けて415系化して七尾線に投入)が走っています。『あさしお』は『はしだて』になりました。今では『はしだて』『きのさき』『北近畿』『まいづる』『たんば』『はまかぜ』で北近畿圏の特急ネットワークが形成されています。あの頃と変っていないのは『はまかぜ』だけです。城崎から米子まで乗られたのは『あさしお』かまだ米子まで運転されていた頃の『はまかぜ』でしょう。

183系北近畿の横に停まっている113系も過去の光景になりました。山陰本線&福知山線が城崎まで電化された時に真っ先に改造投入された113系なのですが、見て分かるように初期車、つい最近一斉に淘汰されほとんど廃車されました。唯一115系シートピッチ改善車を含んでいた編成は下関に転属して生きながらえています。また、篠山口以北は客が少ないので編成を二両に短縮、ワンマン化されたのですが、この時に登場した先頭車がすごい顔で…。でもこれももう少しすれば置き換えられて見納めになるでしょう。北近畿の113系について詳しくはこちらを→http://homepage3.nifty.com/fuchi113kei800ban/n1.htm
 
 
 
教習車 (ONDA201)
2006-09-16 22:55:36
切り妻の113系は昔の教習車を想像させる顔つきです。最近まったく出かける機会がないので、見に行ってみたい車両のひとつです。



城崎と米子ではまかぜを撮影していますので、この列車に乗って移動したと思いますが、何度か同じような旅行をしているので確信がありません。

 
 
 
Unknown (播州路快速)
2006-09-17 21:09:26
この車両も時間の問題ですので見に行くならお早めに。

乗ってビックリします。貫通幌を塞いで乗務員側扉を設けた以外は中間車時代そのまま。運転室との境目の壁も簡易仕切り程度で音も筒抜け。でもほとんどガラス張りなのでかぶりつきには最適の運転台です。必ず福知山線では大阪方、山陰本線では京都方を向く運転台です。

ただ乗り心地はお世辞にもいいとは言えず、初期車なので当然ピッチは狭い、幅は狭い、座席はへたっているといいところは全く見当たりません。223系のワンマン仕様車もしくは125系での置き換え対象になると予想しています。朝夕以外の快速は篠山口以北(つまり福知山)まで直通しないため、必然的にこの車両に乗換えを強いられます。昼間の丹波路快速(大阪~篠山口間運転)に充当されるのが221系ですからその乗り心地の差の激しさに怒る乗客も…。快適な方に流れたらきりがないものです。
 
 
 
お早めに (ONDA201)
2006-09-17 22:21:41
はい。でも、なかなかそう簡単に出かけられないので、多分このまま遠くからお見送りになると思います。
 
 
 
Unknown (播州路快速)
2006-09-18 17:44:01
多分そうだろうと思います。自分の行きたいところに好きなところに行くなんてことはもうできませんからね。自分も東京には行ってみたくてもなかなか機会がありません。金欠ですし…。やくもは塗装変更、編成短縮され、出雲は姿を消し、113系も姿を消し(今は岡山や広島からブルーライナー色や湘南色、瀬戸内色になった車両が帰ってきています)、このアルバムの中で今も変っていないのは北近畿タンゴ鉄道の車両だけですね。鬼太郎列車も体質改善工事を施されたキハ40に変り仲間も増えました(ねずみ男列車、猫娘列車)。つい先日広島での展示会も行われて芸備線の普通に連結されて(キハ40(鬼太郎列車)+キハ58&28(急行みよし用)+キハ47(広島色支社色)2連という超レア編成で走りました。

この頃のJRが一番楽しかったような気もします。

 
 
 
出来ることをやります (ONDA201)
2006-09-20 22:37:36
範囲を広げればそれだけ内容が薄くなるわけで、今は出来ることに集中してやり通すことにしています。出来ないことを悔やんでも出来るようになるわけではありませんし。できないなりにやることはやりきれないほどたまってますし。

考え方次第です。そう思っています。
 
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