日立3兄弟

201系デビュー時の話。

当時は国鉄だったので、電車の製造は東急・日車・川重・近畿・日立の5社によって製造されていました。しかし、よく見てみると日立製の編成が極めて少ないことに気付きます。最初の編成はクハ201-18(S56-10落成)を先頭とした貫通編成で、豊田電車区に2番目に投入された編成でした。


△クハ201-18、当時貫通編成でATS-BS併設車は貫通トップ編成11番とこの18番の2編成のみでした。

しかし、年度末になると、26、27、28番の編成が続けて落成します。特に26番と27番は57年1月に落成しています。そして、この26、27の両先頭車のワイパーですが、銀色のものが付いていました。落成時から銀色のワイパーを装備していたのはこの4両だけだったと思います。


△クハ201-26


△クハ200-26


△クハ201-26

この短期間の落成とワイパーの仕様と、何か訳ありのように見えますが、どういう経緯だったかは未だに不明です。

また、当時の日立製の編成のクーラーは全てAU75D-Hが載っていて、角型ファンカバーが魅力的でした。

思い出に残っている編成です。
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コメント
 
 
 
懐かしい写真ですね (イナ@ペン)
2006-09-10 00:56:03
ONDA201さん,おはようございます.



懐かしい写真,有難く拝見しました.どの車輛の写真も撮っていらっしゃるなんて,自分にはとてもできないことでした.

そんな中自分もたまたまクハ200-27号の写真は撮ったのですが,せっかくの編成写真だったのに正直「ちぇっ・・・」と思ったものでした.



関東に住んでたからだったのか,日立製の通勤電車はそんなに多く見てなかったと思いますが,それだけにクハ201-18号他の10連を見た時は驚きました.戸袋窓のシールゴムがちょっと多めだったかな,と^^



それではまた.
 
 
 
たまたま (ONDA201)
2006-09-10 12:36:36
こんにちは(日本時間)



ワイパーが気になってこの写真は撮りました。最後の写真は特快豊田だったからですが。



どの編成も撮れたらよかったのですが、一部の車両しか撮っていません。なにしろフィルム代、現像代がやっとで、プリントしていない写真もたくさんありますので、とても全部は無理でした。
 
 
 
201の車両メーカー (なべ吉)
2006-09-10 21:04:41
中央快速線の場合は5社での製造でしたが、中央・総武緩行線の201と千代田線乗入れ用の203は日立製以外の4社製造だと思います。あと関西の東海道・山陽緩行線の201は東急製と日車製がなかったと思います。もともと関西の車両は東急と日車製が少ない気がしたので仕方ないと言えますが…今回のE233は新津と東急と川重製が出てくるとアナウンスがありました。やはり1年半で688両を製造するとなると新津だけでは無理だと思っていたので当選だと思います。ただ川重製の2シート工法だと老朽化が早いので不安ですね(実際京浜東北線の209の川重製がかなりやばい状態なので…)。京浜東北線のE233はやはり3社製造になるのでしょうか?あと今後近郊型のE233が登場してもおかしくないと考えられます。209と同時期に登場した701やE217の置き換えの話が出ても不思議ないです。

あと今月中にE233の第1編成が東急車両から出場するとの噂\が流れ始めました。
 
 
 
数えてみました (ONDA201)
2006-09-10 23:19:51
川重335

近車205

東急170

日立157

日車147



エクセルで集計してみました。日車は西日本に1本だけあるみたいです。川重、日立、近車の割合が西は高いです。



エクセルで集計したので、ひょっとすると数え間違えがあるかもしれません。
 
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