呆老冷水録-Don't be silly Grand'pa!

近頃若い衆はあまりジイサンに寄り付かなくなったナァ~。仕方ないからこっちからblogで出前しようか!

さまざまの事

2017年04月05日 | 遠近旅録-国内/近郊
先日まだ早いと知りながら 岐阜県池田町近郊の霞間ヶ渓(カマガタニと読むそうな)という桜の名所へ偵察に行ってきました。

netなどで良く写真に出てくる橋の柱に、どなたの作品か分からないが、極めて前衛的な字体の書が彫ってあり片側は例の西行の
「願わくば 花のもとにて春死なん・・云々」の歌であることは何とか読めたが反対側の俳句の方がなかなか読めませんでした。

しかしそれも暫くして 「芭蕉」という作者名が読めたことがヒントになりすぐに ハハン・・ と来ましたワ!



(さまざまの事思ひ出す桜哉)

確かに毎年の事ながら桜を見ると本当にいろいろと過去をおもいだしますね~
ワタシも桜吹雪の駿府城のお堀端を中学校の入学式のため母親と一緒に歩いたその一コマだけをまず決まって最初に思い出すのです。

小学校の入学は終戦の翌年だった(国民学校が小学校と改称された初年度)ため食料もロクになかった上に校舎も郊外の某アルミ工場の建物に宿借りとあって記念写真を見ると素足に下駄(しかも女ものの日和下駄!!)というヒドイ姿で写っているが、流石に6年後の中学の時は兄のお古ではあるが一部ホックの壊れた革の編み上げ靴をはき、制帽にあこがれの詰襟を着ていたからでしょうかね~
長ズボンに詰襟を着ると急に大人になったようでなんだか嬉しかったものです。

そしてあの頃の詰襟服のカラーはセルロイド製で襟の金具に嵌める穴がすぐひび割れたりカラーの端が欠けたり、活発な中学生にとっては実に厄介な消耗品でしたな~
あの頃の中学生でまともなカラーを着けた友達はほとんどいませんでした。
後で当時の先生に聞いた話では、ワタシの小・中学校は戦後の民主教育のモデル校になっていたそう(GHQ→CIEの指導)で、そういえばむしろ現代よりリベラルな教育を受けていたような気がします。
占領下の小学校時代にはsummer time(夏時間=サンマータイム)や朝礼で英語の歌を歌わされたりと、一過性の思い付き教育?まで経験させられましたし・・・

ところで最近、昔の教育勅語を暗唱させる幼稚園が問題になり、勅語をチャンと読んだこともなさそうな戦後生まれのコメンテーター達がTVでいろいろ言ってますな~
ワタシも戦争中10か月だけ幼稚園に通い(その後戦災で休園)何かの行事のたびに園長先生がうやうやしく読みあげた勅語を断片的に記憶はしているが、自分の経験からそんなことで子供や国の将来がどうかなる等とは全く思いません。
そんな幼稚園に子供を入れなければ良いし、幼児に難しい勅語の意味が分かるはずもなく、子供の精神って意外にRobustなものなのです。
その証拠に今の平和日本を築いたのは子供のころ教育勅語を聞き、紀元節(2月11日)で紅白の餅をもらって育った世代が中心なんですから・・
確かに今どき幼稚園に教育勅語を持ち出すのは時代錯誤も甚だしく常軌を逸しているが、その一方、近頃の国会をはじめ、TV、net、新聞などトテモ程度の悪い番組や論争も相当常軌を逸してるものばかりだと思いませんか??!

つまり明らかに常軌を逸しているもの同士がそれぞれ勝手に自己主張し相手を誹謗してやまないのが「現代民主社会」のヤッカイなところなのです。
(2017年4月記)
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