大倉草紙

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【京都】 桂離宮

2009年02月02日 22時18分41秒 | 旅 - 京都府
本日の行程:(阪急・桂駅…京都市バス・桂駅東口~桂離宮前) → 【桂離宮】


桂離宮は、八条宮智仁(としひと)親王の別荘として創建された。
古書院は智仁親王の時に建てられたものとされる。
智仁親王の没後、10年余りは荒廃していたが、智忠(としただ)親王がそれを復興、増築する。
中書院、新御殿、月波楼、松琴亭、賞花亭、笑意軒などは、その時に建てられた。
敷地面積は約2万坪だという。

【垣根】

笹垣
桂川側の道路との垣根には、笹垣(桂垣)が設けられている。
笹垣は、竹を高さを揃えて押し曲げて編んだもの。


穂垣
一定間隔に立てた太竹に、水平に細い竹枝を積み上げた穂垣。
表門の両側に連なっている。

【表門と御幸門】

表門
これは、桂離宮の内側から見た表門。
普段は開かれることがない。


御幸門
柱と桁は、皮付丸太(あべまき)。


御幸門の脇には、四角形の石がある。
これは、御輿を置くためのものだといわれる。

【外腰掛】

外腰掛
茶室・松琴亭の待合所。
向かって左手の扉の中は砂雪隠。


外腰掛延段
自然石と切り石を配した延段は、幅約1メートル、長さ約17メートル。


蘇鉄山
外腰掛に腰掛けると、目の前には蘇鉄山がある。
寒さに弱い蘇鉄は、冬の間は藁で覆われている。
この蘇鉄は、島津家から献上されたものだという。

【洲浜と天の橋立】

外腰掛から松琴亭へ向かいながら、池に目を遣れば、洲浜が広がっている。
洲浜の先端には、灯籠が置かれている。
岬灯籠と呼ばれ、灯台に見立てたものなのだそうだ。
洲浜の向こう側に見える石橋は、天の橋立を見立てている。

【松琴亭(しょうきんてい)】

松琴亭


松琴亭の一の間の正面には、竈、炉、二段の三角棚が付いた水屋がある。


松琴亭内部
襖障子の市松模様の意匠は印象的。
部屋には石炉が付いている。
石炉の上の天袋と写真中央に見える袋棚の墨絵は、狩野探幽の筆と伝えられる。

【賞花亭(しょうかてい)】

賞花亭
賞花亭は、桂離宮の建物の中で、一番高い位置にあるのだそうだ。
賞花亭の前から、遠くに、かすかにだが、愛宕山が見える。

【園林堂(おんりんどう)】

園林堂は、持仏堂。
かつては、初代智仁親王の尊影や細川幽斎の尊像が納められていたそうだが、現在は安置されているものはないという。


「園林堂」の扁額は、後水之尾上皇の筆による。

【笑意軒(しょういけん)】

笑意軒は、田舎屋風の茶室。
舟着場が設けられていて、石段で笑意軒と繋がっている。


「笑意軒」の扁額は、曼殊院良恕法親王の筆。
扁額の下には、円形の下地窓がある。
丸窓は全部で6つあるが、それぞれ下地の組み合わせが違い、「四季の窓」と呼ばれるのだそうだ。


南に面した窓の外には、水田が広がる。
窓の中敷居下の腰壁には、斬新な意匠が施されている。
舶来品の市松模様のえんじ色のビロードと金箔とが、斜めに貼られている。


引き手は舟の櫓。
白と黒の波打つ文様は、雲海なのだとか。

【書院】

書院
向かって左手から、「新御殿」「楽器の間」「中書院」「古書院」の順に、雁行形に並んでいる。
この書院には、黄金分割が用いられているそうだ。
書院の内部は見ることができない。


月見台
古書院の二の間の正面には、池に向かって、竹簀子(すのこ)で作られた「月見台」がある。


月見台の正面は、このような風景。
ここに月がのぼるのを想像してみる。
参観したのは夕方。
古書院から新御殿のほうを見ると沈みかけた太陽が白く光っていて、丸い月のように見えた。


御輿寄
書院の玄関。
敷石は「真の飛石」と呼ばれる。
石段の上には沓脱石が置かれている。
6人分の沓を並べられる大きさであることから、「六つの沓脱」というそうだ。

【月波楼(げっぱろう)】

月波楼
月波楼は、観月のための茶室。


「月波楼」の額。


室内の「歌月」の扁額は、霊元天皇の筆によるものと伝わる。
それぞれの窓からは、違った風景を楽しむことができる。


こちらの窓からは、池と松琴亭が。


そしてこちらの窓からは、紅葉山が。


竹や葭簀(よしず)を舟底のような形に組んだ天井。
御霊社(ごりょうしゃ)にあった「渡海朱印船(とかいしゅいんせん)」の絵馬がかかっているが、色褪せていて、はっきりとは見えない。

【衝立松】

衝立松により、庭園の全景が一目で見えないようになっている。

案内して下さった宮内庁職員の方は独特な雰囲気をお持ちで、楽しい参観だった。


今日の歩数:8,742歩