大倉草紙

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【京都】 西芳寺 (苔寺)

2008年07月05日 23時00分39秒 | 旅 - 京都府
本日の行程:(阪急電鉄・上桂駅) → 【華厳寺(鈴虫寺)】【池大雅美術館】【西芳寺(苔寺)】


          
               西芳寺の道標

松尾交差点には、西芳寺の道標がある。
傍らには灯籠。
そして、この大きな木は、樹齢500年の椋の木。


【西芳寺(苔寺)】(世界遺産)

   
                  総門

電車で訪れるにせよ、バスで訪れるにせよ、最初に目にする西芳寺の建造物は、この総門である。
しかし、総門は、通常閉まっている。


   
                高浜虚子の句碑

高浜虚子の句碑は、総門の脇にある。
あヽここからでは碑に刻んだ文字が見えない。
「禅寺の 苔をついばむ 小鳥かな」らしいのだけれど。


   
                  衆妙門

参拝者は、衆妙門から入る。
参拝時間の30分ほど前に、この門は開く。
門の入口では、参拝日時と人数が書かれた葉書のチェックがある。

参拝するのに事前に申込が必要になったのは、ここ30年ほどのことらしい。
その経緯について書かれた案内板が、衆妙門の外にあった。
それによると、昭和48年に、住民や参拝者から、交通渋滞、騒音、排気ガスなどを訴える声があがり、西芳寺はさまざまな対策を講じたものの、いずれも解決策とはならず、昭和52年から、現在のような予約制の少人数参拝になったという。


   
              本堂前にある大賀蓮

本堂の前には、大賀蓮があった。
大賀蓮は、2000年以上前の実から発芽させた古代蓮。
これを見て、ちょっとびっくり。
というのも、昨晩、大賀蓮のことを思い浮かべたから。
突然浮かんできたのではなく、仏像の本で仏像の持物としての蓮華の形状について言及されていて、そういえば、大賀蓮って、小学校の教科書に出てきたんだか、国語のテストの文章に出てきたんだか、お昼の校内放送で流れていた物語に出てきたんだか、媒体は忘れてしまったけれど、ともかく、強烈な印象だったなと思い出していた次第。


   
                   本堂

本堂の入口で、再度、葉書の確認をし、拝観料を納める。
こちらのお寺の拝観料は3,000円とお高いけれど、写経代と思えばそうでもないか。
拝観料と引き換えに、般若心経と写経用紙、西芳寺庭園案内図を受け取る。

本堂の中へと案内されると、拝観時間より早くても、すぐに写経を始められるようになっている。
緋毛氈の上に文机、文机の上には下敷用の半紙と文鎮、机の下には硯と筆がある。
200人くらい、もしかしたらそれ以上の人数だろうか。
こんなに大勢での参拝とは思わなかった。
拝観時間の13時になると、般若心経を3度唱和。
それから、写経をしながら、お寺の由緒のお話をうかがい、写経を終えた人から自由に庭園を散策するという流れになっている。

写経をしながらうかがったお話は、聖徳太子の別荘を1300年前に行基が開山、その後、法然上人により浄土宗に改宗、鎌倉時代末期には、夢窓国師により再興され、禅宗の寺院となったという西芳寺の由緒。
それから、襖絵は堂本印象の筆によるということ。
襖の引手のデザインも、堂本印象によるものだという。
5分ほどの短いお話だった。
写経の邪魔にならないようにというお気遣いがあるのかも知れないけれど、せっかくなのだから、もう少しこのお寺ならではの法話を聞きたかったなあ。

写経は278文字、最後に祈願することと、住所、氏名を書いて、本尊の前に奉納する。
278文字すべてを写経するのに45分かかった。
「急いでいる方は全部書かなくてもいいですよ」とお寺の方。
みな、早く庭園を回りたいのだろう。
見渡すと、ほとんどの人たちが途中で終えていた。


          
                庭園への道

この美しい道を通って、いざ庭園へ。


          
西芳寺というと、苔ばかり見てしまうけれど、竹林もきれい。

   
西芳寺というと、苔に気をとられて下ばかり見てしまうけれど、空を眺めてもきれい。


   
                  金剛池

夢窓国師の作庭によるこの庭園は、上下二段構え。
上段は枯山水式、下段は池泉廻遊式庭園。
順路に沿って、下段から。

入ってすぐ左手に、金剛池がある。
池の中央に飛び石のように見えるのが「夜泊石」(よどまりいし)。
作庭当時にあった建造物の、渡廊の橋脚石だったとか。

西芳寺の庭園には120種類以上の苔が生えているというが、金剛池の周辺がとくに種類に富んでいたような印象を受けた。

   

          

   

   


          
            「夕日ヶ島」と「朝日ヶ島」

黄金池には島が浮かぶ。
庭園入口のほうから見て、左側にある「夕日ヶ島」と右側にある「朝日ヶ島」。
黄金池は「心」の字を描いることから、心字池とも呼ばれている。
下段での庭園散策は、この池をぐるりと回る。


          
                  影向石

しめ縄のある石が、松尾明神の影向石(ようごうせき)。
影向石とは、神仏が来臨し、姿を現す石のこと。


   
                   中門

下段の南西角に、中門が見える。
この中門のあたりには、連理の木と相生杉が。

  
        連理の木                相生杉

連理の木のほうは、片方が枯れてしまっているようだった。


   
             湘南亭茶室(重要文化財)

庭園の南の壁沿いを、東へ向かう。
湘南亭茶室は夢窓疎石の時代に建てられ、その後、千利休の次男・千少庵によって再興されたという。
幕末には、岩倉具視がここに潜伏していた。


   
              「霞島」と「朝日ヶ島」

庭園の東から見て、左側に見えるのが「霞島」で、右側に見えるのが「朝日ヶ島」。
「霞島」と「朝日ヶ島」は橋でつながっている。
こちら側から見ると、「朝日ヶ島」の右手に「夕日ヶ島」がある。


   
                  潭北亭

   
            潭北亭の窓から庭園を望む

庭園の東側には、潭北亭(たんぼくてい)がある。
潭北亭の中に入ることもできたので、丸窓から庭園を眺めてみた。


          
             「夕日ヶ島」の鎮守堂

庭園の北側からは、「夕日ヶ島」の鎮守堂がよく見えた。


          
                  向上関

下段をぐるっと一周したあたりに、向上関がある。
ここが、下段の池泉廻遊式庭園と上段の枯山水式庭園の境界にあたる。


   
                  指東庵

指東庵(しとうあん)は、坐禅堂。
その東側には、枯山水石組がある。


          
                枯山水石組

枯山水石組は、上段、中段、下段に分かれる。
この写真は、枯山水石組の全体を写したもの。
はっきり分からないなあ。

          
               枯山水石組上段

枯山水石組の上段、「上段の滝」の部分。

   
               枯山水石組の中段

枯山水石組の中段には、鯉魚石がある。
赤い矢印の先が鯉魚石。
鯉魚石は、修行僧を表わしているとか。


   
                  座禅石

中央の大きな石が座禅石。
座禅石の左側にある小さな石は、修行僧を表わす鯉。

石段を下りて、庭園散策はおしまい。


   
                西芳寺の御朱印

今日の歩数:9,915歩