杉浦 ひとみの瞳

弁護士杉浦ひとみの視点から、出会った人やできごとについて、感じたままに。

・少年法改正は拙速ではいけない

2008-05-29 03:19:34 | 法律・法制度
少年法改正案が国会で審議されています。

今回の改正は、現在非公開で行われている少年審判(大人の事件の裁判のようなもの)に重大な事件の被害者が傍聴することを認める、というものです。

これは、被害者の方(自分の子どもが少年に殺されてしまったような場合)は、どんな子が自分の子を殺したのか、なぜそうしたのか、反省しているのかといった「加害者について知りたい」という思いを法的にも認めようというものです。

被害者、特に遺族の方が加害少年を見てみたいといわれる言葉はこれまでもたくさん聞いてきましたし、そのお気持ちも十分理解できます。
子どもがなくなっていれば、「代わりに見届けてきてあげる」とそんな強い思いで出かけることになるのではないだろうかと想像します。

ところが、問題は、被害者が望めばそれを認めていいか、ということです。これには、しっかり検討しなければいけない大きな三つの問題があると考えています。



ひとつは、これまで少年事件の審判を非公開でやってきたことには大きな意味があったということ。つまり未熟な子どもゆえに事件を起こしてしまった場合に、まず、加害した子どもの心を開かせて、更生の第一歩にするということです。
少年審判を体験した青年が、審判で裁判官が加害少年を受け止めることからはじめてくれることで、人生が大きく変わったと語ってくれたことを聞きました。でも、審判廷に被害者が傍聴のために入れば、裁判官は加害少年に向き合って話をさせ・聞くというところから懇切に行うよりも、「被害者に対して悪かったと思っているか、反省しているか」という方向の強い調子の質問が多くなるのではないでしょうか。裁判所は少年事件に甘いとかいわれるのは、裁判官にとっても(被害者の気持ちは分かるだけに)やりにくいことでしょう。
 もともと未熟な子どもが裁判所の審判廷で、そして被害者がそばにいるところで、自分のやったこと、そこに到った経緯、自己の生育環境などを萎縮せずに話せるでしょうか。ましてや、被害者医多少なりとも落ち度があったとして、それをいえるでしょうか。かたや、裁判官も被害者に意識を向けているわけで、その姿勢は少年に反省を強いることになりがちです。
 また、非行を起こす子はそうでない子たちより虐待を受けている子の比率が多いということはデータのあるところです。とすると、虐待体験を持つ子はまずその成育歴において屈折したものを負ってきているわけで、これを払拭して自分を回復させることがまず第一歩となります。
 審判がこれまで果たしてきた役割を低下させることは、大きな目で見れば社会にとって被害者にとっても損失です。

 これまで、日本の少年事件においては再犯率も諸外国に比して低く、効果を上げていていると評価されています。また、少年事件数もここのところ減少しているくらいだし、凶悪犯も増えておらず、また低年齢化もしていない、というのが犯罪白書のデータです。
とするならば、今の少年審判のあり方は意義を果たしているといえます。
この制度を変えることには十分な配慮が必要になります。




次に、被害者の方の精神的な負担の問題です。
少年事件で死亡事件のような重い事件は捜査もすぐにはじめられ、加害少年の身柄拘束もすぐに行われると思います。とすると、少年事件は迅速に処理されるように決められているので、審判の時期は事件から1~2ヶ月の間ということになります。いわゆる49日のころ、といわれる所以です。被害者の遺族親は、冷静になれる余裕などあるはずがありません。でも、これまで加害少年と会う機会など与えられてこなかった法制度が変わり、加害少年の審判を見届けることができるとするならば、親はどんなに辛くても行くのではないでしょうか。「お母さんが見届けてきてあげるから」となるのではないかと思います(これは想像です)。
 でも、ある精神科医に話したところ、「それは無茶なこと。被害者の精神状態は大変なものになるだろう、自殺の危険性だってあるかも知れない。」と強く反対をされました。このことについては、被害者の方たちは自分たちがどうなるかは自分たちの問題(大きなお世話)という言い方をされます。
でも、そうでしょうか。ご本人たちがそう言われるのはいいとして、法がそれを鵜呑みにしてつくられていいのでしょうか。被害者の方でさえ想像し得ない心理状態になり、そのことがよい影響を与えない可能性があるときに、「自己責任」に結論を持っていくことは、被害者を二重に傷つけることになります。

 このようなことは、現在の法律の中でも実は規定があります。「自殺幇助」が犯罪となることです。つまり、自分は死にたい、死ぬことは自分の命を勝手に絶つことで自由だと思う。だからそれを手伝う他人もなんの悪いこともない、本人がいいといっているのだから、といえそうですが、しかし、刑法はこの自殺の幇助(手伝い)を処罰しています。いくら了解した人の自殺でも、それを手伝うことは許されないという価値判断をしているのです。
被害者の方が傷つくかも知れないことを国が助力していいのか、ということです。

ただ、被害者の方がどれほど傷つくかは、今回の法改正で精神科医に意見を聴取したという話を来たことがありませんし、まったく調査をしていないものと思われます。このことは、非常に大きな問題ではないでしょうか。
拙速に立法すべきではなく、この点についても議会はしっかりと調査をすべきです。「被害者はお気の毒。だからその希望を叶えることがいいこと。」というステレオタイプの被害者保護の世論に迎合することなく、真剣に考えてほしい問題です。「被害者の自己責任」としてしまうことこそ、被害者保護に欠けることです。





3番目の問題は、審判廷の物理的な問題です。
ご存じでしょうか?審判廷というのは5メートル四方くらいの狭い空間です。畳の部屋にすれば、15~16畳くらいでしょうか。ここに裁判官と、書記官、調査官と、少年、その保護者、付添人(弁護士)が入ります。そして、この狭い空間に被害者のかたが同席することになります。

 子どもが殺されて49日で、目の前にその犯人の(と疑われている)少年がいるわけです。思いも寄らない行動にでる衝動に駆られることはむしろ必然ではないでしょうか。子どもを亡くされた被害者の方が、「自分の手で思いを晴らしたい」、「会ったら何をするか分からないから会いたくなかった」と言うことは、これまでも聞いたことがあります。せめられない気持だと思いました。
だからこそ、そのコントロールのとても難しい状態にある被害者の方を、すぐそこに加害少年に手の届くところに座らせるという制度を認めていいのか、ということです。
何か事件が起こったときには、すべて裁判所が、国が責任を負うだけの覚悟があるのでしょうか。

現実に、裁判所関係者の方はこのことを非常に大きな問題だと捉えています。もし何かあったとき、身の安全を守れるか。ただ、そのことにばかり神経を注げば、審判はおろそかになります。

このようなことにまで思いを及ばせて、十分な調査をして今回の法律は作られなければならないはずです。
にもかかわらず、少年法案は上程されて、十分な審議もされることもないまま既に金曜日(30日)に衆議院を通過するという予定になっています。
昨日(27日)の法務委員会で、鳩山大臣は「被害者がお気の毒だから傍聴を原則的に認めた方向がいい」と、役人の書いた答弁書を越えて積極的な意見を述べていました。どこまでこの問題を考えているのでしょうか。被害者が気の毒だから被害者の望むことは認めましょう、といっているだけではないでしょうか。

外国では被害者の立ち会いを認めているところもあります。社会科学は自然科学と違い、今の日本の条件の下で実験はできません。そのために、諸外国の例を研究したり、問題となりそうな事柄について十分調査をしてから法制度を作らなければならないのです。ましてや、少年の更生と被少年・被害者ともの生命・身体の安全にかかわるような重大な問題です。拙速であることはなんとしても避けなければなりません。

この法案の問題性を、もう一度真剣に考えていただき、被害者の「自己責任」ということだけはやめてほしいと思います。
また、現在家庭裁判所は、弁護士をつけない素人の方が離婚とか、養育費とか成年後見とか、相続とか、様々な日常の法律問題で出入りされるところであるために、その敷居は低く、入りやすい造り、雰囲気になっています。
ところが、東京地方裁判所は、オウムの事件以後、入り口は常に持ち物検査をし、探知機をくぐらなければ入ることができません。
少年審判を開く家庭裁判所に、万一に備えて同じような所持品検査の設備を設けるのでしょうか。

被害者に、あまりにも配慮がない時代が長く続きました。被害者保護に動き出したことは重要だと思います。ただ、これまで、被害者をあまりにないがしろにしてきたために、その後ろめたさから、被害者からの希望は容れる、という方向で動いてきたように思います。もちろん今も被害者への施策が十分だとは思っていませんが、ただ、そろそろ、被害者問題についても、しっかりした視点で一度受け止め、功罪を吟味しながら、真に被害者にとって何がいいのかを考えることが必要な時期に来ていると思います。また、被害者という方たちも一色ではなく、いろんな考えの方がいらっしゃることを念頭に置いて取り組むべき時が来ていると思います。
また、付加すれば、被害者内格差のようなものが生まれたら、それは最悪の悲劇だと思います。

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2 コメント

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ねらいは厳罰化の推進 (ルビイ)
2008-05-30 23:12:36
小泉内閣で、そして安部内閣で、そして今回とこのところ頻繁に少年法が改正されているように思います。
そして、改正される度に厳罰化が進んでいるように思います。
少年法、少年審判は、少年を更生させるためにあるのではないのでしょうか。このところ更生ではなく、隔離、排除に重点が移されているようで懸念を感じ得ません。
また、被害者への配慮が盛んに叫ばれていますが、被害者への配慮とは、応報させることが被害者への配慮なのでしょうか?違うと思います。
被害者への配慮、被害者がお気の毒だからうんぬん言いながら、結局のところ厳罰化を推進するために被害者の応報をあおりたて、利用しているように思います。
これって被害者への配慮でも何でもない。それどころか被害者のプライバシーを傷つけかねない行為ではないでしょうか。
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厳罰より早めの指導を (ken)
2008-06-10 22:50:04
 警察でマークした少年は、早く14歳にならないか、もっと大きなことをしないかと、待っている、というような話も聞きました。
 脅されているという訴えがあっても、その程度では捕まえてもすぐ釈放で、後が怖いよ、と逆に脅かされるとか。

 少年院の教官の話で、もっと早く送ってもらえれば、と思うこともあるのだとか。

 厳罰にしなければならないようなことをしでかす前に、もっと早く厳しい指導をするようにはできないものでしょうか。
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