杉浦 ひとみの瞳

弁護士杉浦ひとみの視点から、出会った人やできごとについて、感じたままに。

・「死刑執行を乱数表で決める!?」~ 鳩山法相の発言

2007-09-26 00:54:24 | Weblog
本日福田内閣総理大臣が誕生し、法務大臣を留任となった鳩山邦夫法務大臣が、死刑執行について、死刑囚も被害者もビックリするような発言をしました(発言時は、再任前かも知れません)。

「法務大臣が絡まなくても、自動的に客観的に進むような方法を考えたらどうかと。法務大臣に責任をおっかぶせるような形ではなくて」(鳩山邦夫 法相)
また、もっと驚いたのは
「“乱数表”なのかわからないけど、どういう方法があるのかわかりませんけども、客観性のある何かで事が自動的に進めば、『次は誰か』とかの議論にならないとすれば・・・」(鳩山邦夫 法相)
発言内容はTBSのニュース23で聞きました。

これは、刑罰の執行についての意味を理解していない、とても大きな問題で法務大臣としてあるまじき発言です。

刑事訴訟法 第475条 第1項は
「死刑の執行は、法務大臣の命令による」と定めています。
これは、死刑の執行については
「死刑の執行は法務大臣の命令による。回復不能の極刑であるという性質上、特に慎重を期すための手続である」(田宮裕:「刑事訴訟法」)と説明されます。
 そもそも、犯罪を犯した者に対して、個人間で私刑(リンチ)による解決を防ぐために、国家が刑罰権を独占して、国が国民の生命・身体の自由・財産などを奪うことになっているわけです。

でも、もともと、国が国民の生命・身体・財産を制約するのですから、その執行は厳格でなければならず、特に死刑という命を奪う刑罰については、法務大臣自身がその意味を最後に確認して、責任を負って執行することこそ要求されていることなのです。

 これは、裁判を経て死刑確定者となったものにとっても、自己の命の終わりについて極めて重要な行為であるのはもとより、被害者にとっても大きな問題です。
 死刑となるほどの犯罪によって被害者が被った被害の大きさは筆舌に尽くしがたく、被害者の人生をかえてしまうほどのものに違いありません。これは、たとえば近時話題になっている山口県光市の母子殺害事件のケースを見ても(被害者があれほどの被害を受けても死刑は簡単には出されないのです)明らかです。
被害者は、加害者に対して(人情として)いっそ自らの手で・・・と思っても責められないほどの気持ちを国家刑罰権に委ねなければならないのです。
 また、加害者の死刑の執行は、被害者にとっては憎しみや恨みの対象をなくす行為でもあるわけです。ある方は、弟を殺されたにもかかわらず、加害者と面会をし交流し、加害者の死刑執行に反対を唱えておられました。

以上のように、刑罰で死刑を執行するということは本当に大きな意味を持つのです。
 このような意味を持つ死刑の執行を、法務大臣が責任を負いたくないからと公言し、あろう事か乱数表で誰が執行されるかわからないようにする、という発言したのです。

これは、ここ一連のどの大臣の不謹慎な発言よりも、重大な発言だと思います。
人の命、国家刑罰権についてこれほど浅薄な大臣に執行をさせることは、とうてい許せないことです。

以下、<TBSニュースから>
法相「大臣の署名なしでも死刑執行を」
動画を他のプレイヤーで見るWMP高 WMP低 Real高 Real高  死刑制度について異例の発言です。鳩山法務大臣は25日の閣議後の会見で、法務大臣の署名がなくても自動的に死刑の執行ができないか制度を見直したいという考えを明らかにしました。
 「法務大臣が絡まなくても、自動的に客観的に進むような方法を考えたらどうかと。法務大臣に責任をおっかぶせるような形ではなくて」(鳩山邦夫 法相)

 現在の制度では、死刑の執行命令書に法務大臣の署名が必要です。しかし、鳩山法務大臣は25日朝、大臣が署名をしなくても自動的に死刑が執行されるよう制度を見直したいという考えを明らかにしました。

 さらに、「乱数表を使うなどして誰が死刑執行されるか順番がわからないようにする方法もある」と発言しました。

 「“乱数表”なのかわからないけど、どういう方法があるのかわかりませんけども、客観性のある何かで事が自動的に進めば、『次は誰か』とかの議論にならないとすれば・・・」(鳩山邦夫 法相)

 法務大臣の異例の発言に、死刑制度に反対する市民団体からは、「慎重さが足りない」との声も上がっていて、今後、議論を呼びそうです。(25日17:20)


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2 コメント

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これはひどい (鉄甲機)
2007-09-27 00:46:55
 かつて就任会見で「死刑執行にサインはしない」と言い切った法相もおられましたが、それをも凌ぐ無責任発言ですね。死刑存続支持の方からも非難の声が上がるでしょう。

 光市母子殺人事件被害者遺族の本村洋氏は、こういう事を仰っています。
「死刑は廃止してはならない。死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死刑の意義があるのだ。」
 以前、どこかのブログにあった記事を私が保存していたものです。テレビ(確か、報道ステーション)で本村氏のこの発言を聞いた時、何か自分の中でモヤモヤしていたものに一本筋が通ったような思いがしたのを覚えています。
 鳩山法相は、「死」「死刑」の意味を一度とことん考えてほしいと思います。
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法務大臣が執行しては? (ken)
2007-09-27 20:42:56
 人殺しをさせられる刑務官が気の毒です。進んで死刑囚担当になった人ばかりではないでしょうに。
 といって、命令を拒否するわけにも行かないでしょう。命令を準備する官僚や大臣は直接手を下すわけではないからいいかもしれませんが。
 執行ボタンは法務大臣が押す、ということにすればいいと思います。執行責任者なので、気が変わったら執行命令を取り消せばいい。そのぐらいの責任は果たしてもらいたいものです。
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