栗原さんのご子息:核心さんとの議論の場。ニューズウィーク  『ジョン・ラーベ』

2008-03-05 | 南京大虐殺は絶対に無い!
出たよ。ちらっと読んだけどな・・・。

「中国のシンドラー」を主人公にした
ドイツ人監督の新作映画『ジョン・ラーベ』が「虐殺」だけで語られてきた歴史の常識を覆す


いっこも覆してないやん。全然史実と違うやん。

香川照之もエエ加減にせぇよ。
(私は何故この映画の出演を快諾したか!?・・・なんて言ってるが・・・)
柄本明も・・・・。


まぁ、一辺読んでみてくれ。

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101 コメント

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南京大虐殺 (核心)
2009-02-28 19:44:03
南京陥落時に7万人以上の捕獲捕虜が数日間で日本陸軍により組織的に殺害されました。
私の父(栗原利一)は当時、伍長で65連隊が下関で中国兵2千人を斬首した一人です。
当時は26歳剣道3段でしたが、後年は剣道範士になり、小平市の剣友会会長なども勤めました。
これは歴史的事実です。
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いらっしゃいませ。 (ワシ。核心さんへ・・・)
2009-02-28 20:41:10
>南京陥落時に7万人以上の捕獲捕虜が数日間で日本陸軍により組織的に殺害されました。

↑:7万人ですか??初耳です。
その内容(内訳)などを詳しく教えて頂けませんでしょうか?

>私の父(栗原利一)は当時、伍長で65連隊が下関で中国兵2千人を斬首した一人です。

↑:お父様お一人でどれくらい斬首されたのですか?
その証拠などは実際にあるのですか??


貴方のお父上が剣道3段で剣道範士で小平市の剣友会会長だったと言う事だけは『歴史的事実』だということに異論は無いです。
が、『南京大虐殺』が歴史的事実だと貴方が仰るのならば、
貴方の考える『南京大虐殺』とは一体、どういった事件なのかをご教示願います。

尚、ワシは『南京大虐殺』など無い!という意見です。↓
捕虜を7千人を処断したのは認めるが、それは虐殺では無い。
幕府山事件も所謂「南京大虐殺」では無い。

「虐殺」の出処は、
ベイツがデマを飛ばし、
そのデマをアメリカの新聞が載せ、
ティンパーリが被害者を増幅させて本にし、
東京裁判で更に被害人数が増えた。
安全地帯の被害記録もデタラメ・・・。

ざっとこんな感じです。

P.S.映画「ジョン・ラーベ」も、ワシが“ツッコミ”を入れるまでも無く、
「肯定派」諸君が既に、そのデタラメさを認識している事でしょう(笑)・・・。

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証拠として足りるのか・・? (ワシ。核心さんへ(2))
2009-02-28 21:08:18
[6017]栗原証言の結論 核心 08/11/30(日) 11:08
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=6017;id=sikousakugo#6017

↑:ここはもう既に読んでます。


>1.栗原利一は魚雷営の1日目の中国人の2千人の斬首について、息子に話していた。

↑残念ながら、これだけでは何の証拠にもなりません。

>2.大湾子の捕虜殺害は1万3千5百人である(スケッチブックより)。

↑:これは「南京大虐殺」とは考えません。


>3.65連隊は全体で2万人の捕虜を殺害した(小野賢二氏の聞き取りより)。
  (当時の新聞なども同じ数字を捕獲捕虜として挙げている。)
>4.魚雷営の捕虜殺害は65連隊である(小野賢二氏の聞き取りなどにより)。
  (魚雷営の2日目、3日目は5千人が殺害されている。)


↑:これも「南京大虐殺」では無い。



>栗原利一は全体で7万余人と記述している(スケッチブックより)。

↑:残念ながら、これも証拠能力に欠ける。


核心さんは、日本軍に拠る民間人の「強姦」「略奪」「虐殺」を“あった”と認識されておるのか?
それとも“無かった”と認識されておるのか?
そこが問題だ。

それと質問ですが、お父様が描かれた幕府山スケッチは
何年に描かれたモノなのかをお聞きしたい。

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参考までに・・・。 (ワシ。核心さんへ(3))
2009-02-28 21:27:44
お父さんの証言に関して、以前考察してみました。


>こちら一般解放します!「兵士たちが記録した南京大虐殺」』 は最悪じゃ!
http://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/e/09fb1109916d9c095e55650265eeba18


>十条とsoran00の勇み足。必要なのは「知恵と度胸と“ねばり”だわよネ!」
http://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/s/%B7%AA%B8%B6


>栗原証言について・・。皆様ご自由にコメントされたし!  但し、内容の有るものに限る。
http://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/s/%B7%AA%B8%B6

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元々は軍による処分 (核心)
2009-03-01 04:05:17
元々は南京城外で日本陸軍が行なった捕虜の処分です。
戦前の天皇主権国家では軍の機密であったことが、東京裁判以降、虐殺として糾弾されるようになりました。
現在は国民主権国家ですので惨たらしい殺し方であると考えれば、虐殺と呼んで差し支えないことです。
捕虜の処分を正当な戦闘行為と考えれば、東京裁判でもそのように主張されればよかったと思います。
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まだ南京やってるんですかね?(´ー`)y-~~ (潜水艦)
2009-03-01 04:51:10
核心さんて有名なひとらしいね。グース氏のところでも考察を取り扱ってた気がするね。
横からですみませんが、俺も少し聞かせてもらっていいですかね?

>元々は南京城外で日本陸軍が行なった捕虜の処分です。
>戦前の天皇主権国家では軍の機密であったことが、東京裁判以降、虐殺として糾弾されるようになりました。現在は国民主権国家ですので惨たらしい殺し方であると考えれば、虐殺と呼んで差し支えないことです。捕虜の処分を正当な戦闘行為と考えれば、東京裁判でもそのように主張されればよかったと思います。

この話からすると、核心さんの考える「南京大虐殺」って中国側とか一部サヨクの言う、「民間人好き放題虐殺。」とは違うんですかね? メインは戦闘で捕まった国民党軍の捕虜を殺害した、とお考えなんですね?
それと、上のほうで「7万人以上の捕獲捕虜」と書いてるけど、数日間での組織的殺害というと関わった部隊の人数も大勢居るだろうと思うんですけど、そのへんの史料はあるんですかね? つまり殺害に関わった部隊、殺害した過程、司令部からの命令などの有無などはハッキリしてるかってことです。

だって、大量の人間を殺害するのってわりと大変らしいからね。幕府山の事故だとほとんどの捕虜がそのまんま逃げちゃったらしいし。「歴史的事実」と言うからには経緯をきちんと理解されてるに違いないからね。
きっとapeman先生が逃げつづけてきた答えをきちんと書いてくれると思うので楽しみにしてますよ^^

でも、「むごたらしい殺し方であると考えれば虐殺と呼んで差し支えない。」というのはおかしいね。戦争での殺人は合法なんだから、不法殺害があったかどうかが「虐殺」の有無を話す前提じゃないですかね。あとは民間人の殺害とかだよね。
中国側は通州事件その他で、日本の民間人を強姦した上でいたぶり殺すようなことをやってるけど、日本側も似たようなことやったという話ですかね?

わからんついでにもう少し聞いちゃうと、日本の民間人もゴロゴロと殺されてた当時の状況を知っちゃった現在、サヨク方面の人たちが「南京南京!!」とご高説を振舞われてもピンとこないんですよ。虐殺うんぬんなら先に手をつけたのは中国側だし、いいとこお互い様じゃないの?
それとも日本側だけが反省とかしなきゃいけないと考えてるの? 戦争なんだから気をつけていても一定の不法行為はあるだろうと思うんだけど、中国側に一点の非もなかったと核心さんはお考えですかね?

「普通のひと」からすると、サヨクの言ってることとか、大前提みたいなものがよくわからんのですよ。いろいろ聞くとすぐに逆ギレしてウヨク欄呈してくるしw 皮肉とか抜きで、宗教サヨクのお歴々は本気で他人様に説明する気があるのかどうかも疑わしいわけでね。なんか仲間内で盛り上がりたいだけならそっちで勝手にやっててくれと言いたいわけでね。でも、apeman先生たちはよそ様に迷惑かけまくりというわけでねw

核心さんはちゃんとした人みたいだから、このへんのことにも答えてくれるかな、と期待しております。よろしく。
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簡単です (核心)
2009-03-01 07:28:42
南京は防衛研究所戦史部が右翼と結びついて捏造し否定している歴史です。
森松俊夫氏が父のスケッチブックの破壊工作をして失敗したのが平成18年です。
森松俊夫でグーグルで検索してください。
警察にも被害届が2通受理されています。

グース氏からは、私達はウソンコなので、ホンコの人は来ないで下さいといわれました。
父の証言に関しては当事者であり、南京に関しては当事者の息子です。
父とは南京は日常会話でした。
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実行部隊の特定 (核心)
2009-03-01 08:31:25
捕虜の処分については本来、捕虜取扱い報告書という軍の正式な書類がありました。
これを戦争末期に殆ど焼却されています。

では、実行部隊をどのように特定すればよいか?
陥落時に捕獲捕虜がいて、戦後、旧将校が自衛発砲を唱えたところが、実行部隊であり、それに協力した証言者が実行小部隊です。

65連隊では平林貞治という方がいて、陥落時、山砲隊少尉、終戦時少佐でした。
戦後は戦友会会長、慰霊祭副委員長などを勤められています。
この方は実際には65連隊の捕虜の殺害を計画し、指示し、実行された方です。
この方が戦後、福島民友新聞の阿部輝郎という方と4作、本を書かれています。

南京に関しては戦後いち早く、自分達は殺していない、といい始めた人たちが実行者であり、その協力者もまた実行者なのです。

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コピーです (核心)
2009-03-01 08:59:34
私は将来的には南京は講演会で説明して回ることにしています。
不愉快に感じるかもしれませんが、この問題は私しか説明できないことを暫く前に知りました。

1.まず、私が9歳の時に父から聞いていた「さすがの揚子江も真っ赤になった」という中国兵の斬首の話なのですがこれは昭和12年12月15日に65連隊が下関で2千人の中国人を斬首したときの模様です。
下関は魚雷営と呼ばれる中国軍海軍の基地のあった近くで、その捕虜殺害の様子は中国側の証言しかありません。
魚雷営では16日、17日と両日で5千人の捕虜が重機関銃で殺害されています。

2.昭和59年(1984年)に父が話した捕虜殺害の様子は幕府山付近の捕虜収容所に収容した捕虜1万3千5百人を12月17日に大湾子で殺害した時の模様です。
父は幕府山の捕虜殺害についてだけ当初から話す意思で、そのことだけを何度も話しています。

3.1991年ころに父の話を元に、福島県の小野賢二氏が65連隊の下級兵士の証言や遺族から陣中日誌を集めて回りました。
これが昨年4月に日テレで放映された方です。
私はこの後で、小野氏の諸論文を知り、彼の調査した内容を知りました。
彼の集めた証言で重要な点は以下の通りです。

イ) 65連隊の捕虜の総数は2万人であった(これは家にある当時の刊行物でもそのように記載されています。)。

ロ) 魚雷営の捕虜殺害は65連隊であった(これは中国側にも3人の証言があります。下関での2千人斬首は1人しか証言していません。)。

ハ) 幕府山の捕虜収容所の1万3千5百人は大湾子で栗原証言の通りに殺害された。

4、結論として65連隊の2万人の捕虜は2箇所で全員殺害され、その内の一箇所は大湾子であり1万3千5百人、もう一箇所は魚雷営で15日に2千人斬首、16日、17日に重機関銃で5千人殺害です。

5.父のスケッチブックでは全体で7万余人と記載されています。これは当時、公表された捕獲捕虜の数とほぼ一致します。
つまり、捕獲捕虜は全員が殺害されたのです。

これらのことは肯定派、否定派とも既知の事実です。

下関での2千人斬首が非常に重要な出来事で、この事実を私がネットに出て2001年に書き込みを行なった結果肯定派、否定派の知るところとなり本多勝一氏は2003年に「百人斬り訴訟」を起こされたようなのです。
(2千人斬首については日本側には父しか証言者はいません。)
この訴訟は、肯定派により新事実が明らかになり百人どころではなく3~4百人斬首により殺害していることが明らかになっています。
こういったことは私しか知りえない内容なので、仕方なく説明して回ろうかと考えているところです。

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結局のところ・・ (ワシ。核心さんへ(4))
2009-03-01 10:30:24
整理します。
核心さんは中国政府の喧伝する『南京大虐殺』に関しては「無かった」と言っているに等しい。

1:「安全区に於いて日本軍に拠る“強姦”“略奪”“虐殺”は無かった!」に異論は無し。

2:7万人殺害の証拠(根拠)無し!
単なる“後付けの数字合わせ”でしかない。

3:スケッチブックの絵は、戦後かなりの年数が経ってから描いたモノである。13年に描かれたと云うのは嘘である。

ついでに、核心さんの言う・・
>南京に関しては戦後いち早く、自分達は殺していない、といい始めた人たちが実行者であり、その協力者もまた実行者なのです。

↑:これは全く信憑性が無い。無責任な発言だ。

核心さんに言いたい!
今後は所謂『南京大虐殺』は無かった!と明言して下さい。
「安全区の難民は無事だった。」と仰って下さい。
実際にあったのは『国民党軍兵士捕虜の処断』だけだった!とハッキリと言っていただきたい。

>こういったことは私しか知りえない内容なので、仕方なく説明して回ろうかと考えているところです。

↑:無用です。時間の無駄だからお止めなさい。
『下関での2千人斬首』の話も、よくよく考えると、
お父様の話だけで、何の証拠も無い。
だいたい、2千人も斬首する=無駄な時間も手間も日本刀=も無い!!

核心さん、誤まった使命感の幻想から早く目を醒まして下さい。
貴方の行動は、日本軍だけでなく、お父様の名誉さえもを汚している事になるのです。
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