コラム「ひびき」  ☆☆お堀端クリニック☆☆

小田原市お堀端通りにある神経内科クリニックです。
折に触れて、ちょっとした話題、雑感を発信いたします。

熱上昇風

2012年06月12日 | コラム
ほとんど無風の、朝からよく晴れ渡った日、河原には、何本もの熱上昇風(サーマル・ウィンド)が、ゆらゆらと立ち上がっています。河原に点在する、大小の石、砂が強い日差しで焼けつき、周囲の空気を暖め、緩やかな上昇気流を作ります。これらは、揺らぎながら上昇するうちに、ゆっくりと渦をまき、上空に伸びる円筒状の暖気の柱を作ります。さらにいくつかが癒合して、より大きな柱になり、あちこちに林立して、複雑な気流を生み出します。
もちろん、実際には、そんなものは目には見えません。もし、トンビが近くにいたら、かれらの飛行でその陽炎のような柱の輪郭をたどることが出来るかもしれません。直進飛行するトンビのどちらかの翼端がぐっと引き上げられれば、その時、トンビは、上昇気流の柱の端をかすめたことになります。ここで、巧みなトンビは、持ち上げられた翼端の方向に小さく旋回します。すると、全身が上昇気流の中に放り込まれ、ほとんど垂直に、からだ全体が持ち上げられます。翼の筋肉に力をみなぎらせて、強大な揚力に耐えて、数十メートルもあっという間に上昇するのです。サーマル・ウィンドの中を小さく旋回し続ければ、またたくまに米粒ほどの小ささになるくらいの高みに上昇することが可能です。
関宿(せきやど)でも妻沼(めぬま)でも、河川敷にあるグライダーの滑空場では、パイロットはこのサーマルを探し求めています。サーマル・ハンティングに成功すれば、何時間でも、対地速度ゼロでも、大気中に漂うことが出来ます。
かなり以前、深夜に、「世にも不思議な物語」というABCの作成したオムニバス・ドラマが放映されていました。一応、みな実話ということになっていました。その中の一話。グライダーが盛んだったドイツでの戦前の話です。ある男が、滑空場にいます。滑走路の彼方の薄暮の中、昔、見慣れたグライダーの機影が現れます。ゆっくりこちらに近づいてくるグライダーは、次第にその大きさを増しはっきりとディテールが分かります。それにつれて、その男の表情が恐怖にゆがんでいきます。グライダーは、静かに着陸し、その男の前でぴたりと止まります。コックピットには、胸をナイフで刺され、半ば白骨化した人間だけが乗っています。この男が、数年前に殺害し、そのままグライダーに乗せて、空の彼方に隠滅したはずの殺人事件の証拠が、長い時間を経て、まさにその殺人者の眼前に舞い戻ってきてしまったのです。
この話は、グライダーがうまく上昇気流さえつかまえれば、いくらでも飛行し続けられるという驚異的な例なのでしょう。なんだか少し無理はありますが、世にも不思議な話ではあります。
もう一つ、NHKアーカイブスという、過去の秀作を再放送する、やはり深夜の番組で、2度ほど繰り返し流された、紙飛行機の話です。ある公園に集う、紙飛行機愛好家たちの人間模様を描いたものです。思い思いに工夫をこらした紙飛行機を持ち寄り、パチンコのようなゴムの装置(ランチャー)で大空高く打ち上げて、上昇気流に乗せ、出来るだけ長時間飛行させることを競うものです。打ち上げてしまえば、一切のコントロールは紙飛行機任せです。翼の捻りなどを調整して、ゆっくり一定方向に旋回するように出来ています。トンビと同様、上昇気流に乗れば、どこまでも高く上がっていくはずです。
難病と戦い、余命幾ばくもない若者。妻に先立たれ、孤独を癒やすためにやってくる老人。他人とうまく交われず、社会から少しはみ出してしまった男性。みんな違った背景の人達が静かに集まり、ぼそぼそと会話を交わし、それぞれのポーズで、ゆったりと、繰り返し繰り返し、紙飛行機を空に打ち出していきます。公園の木々、芝生、空、風、光、何度も季節が移り変わっていきます。いつの間にか、顔を見せなくなった人、そしてまた新しい仲間。少しずつ公園の顔ぶれが変わっていきます。ある人は亡くなり、ある人は家に籠もるようになります。この人達の唯一の夢は、一生に一度で良いから、自分の作った紙飛行機が、素晴らしい上昇気流をつかまえ、そのまま天空の一点になり、やがて消えていく、そういう「昇天」の機会に出会うことです。何人かは、幸運にもその夢を叶えることができると言います。ひどく切ない上昇気流の話です。



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