許可を得て、掲載させていただきます。
「桧垣幸子さんの証し」
御手の中で
すべてはかわる賛美に
わが行く道を 導きたまえ
あなたの御手のなかで
御手の中で
すべてはかわる感謝に
わが行く道に あらわしたまえ
あなたの御手のわざを
私は、最近、上記のゴスペルソング「御手の中で」の1節である「すべては変わり感謝に」という言葉に震えるような感動を覚えています。
私は、長い年月、病気をした記憶が無いほど健康に過ごしてきました。ところが、
この6月に何か身体に異常を感じたことから、レントゲン、CTスキャン、生体検査をした結果、右の肺が癌に侵されていて4期になっているので、治療の仕様がないと診断を受けました。子供達はみんなドクターの事務所に来てくれていましたが、余りの思いがけない報告にショックを受け誰一人として「私たちの母は後どのくらい生きることができるのですか?」と尋ねる者はありませんでした。 私は大和なでしこの根性を出して 「レッツ ゴウ ホーム チルドレン」と50才代の子供達の先頭に立ってドクターの事務所をでました。勿論、92才の主人も静かについて来ました。
私は、「死」という事実に直面したのです。
私は、このアメリカの地に来て早64年、時代の色々な波の中で、日本の軍国主義の時代に育ち、心の底から天皇陛下を生きた神と信じ、その方に忠誠を尽くすことこそ
人生の生き甲斐であると思い、アメリカとの戦争においても多くの神々に願いをかけ、神風を信じ、日本は必ず勝利すると信じ込んでいました。
しかし、日本はアメリカとの戦いに敗れ、一晩のうちに天皇はただの人間であり
頼みにしていたすべての神仏は無力であるという体験をしたのです。人生の真理・生き甲斐を失ったわたしは全くの空っぽ人間となり、神戸・大阪大空爆前にあれほど子供達を愛して教師をしていましたのに、再び教師となる気力を失ってしまいました。
戦後の数々の苦難、それは省きますが、そのある日、天地万物を作られた真の神様が居られ、そのお独り子のイエス・キリストさまをこの地上に人間として送ってくださり、私たちの救い主となってくださるという福音を聞きました。そして聖書からイエス様が私の心のドアーをノックしておられることを知り、今までのすべての苦労重荷を溢れる涙と共に注ぎだしてイエスを私の心にお迎え致しました。
やがて、日本へ進駐していたアメリカ二世の桧垣ハリーと知り合い、何年かして
ハリーの出生地レッドウッド市に来ることが出来、結婚生活を始めることができました。当座は苦労だと思ったことも今から思えば良い訓練であり、3組の子供達から多くの孫そしてひ孫まで与えられております。
一方、私が渡米してきた同じ年1950年にバークレイフリーメソジスト教会の小見正博牧師がレッドウッド市で家庭集会を始めてくださり、今のペニンスラ教会として発展してまいりました。 そして私達家族は、教会生活を中心にして、幸せに暮らしてまいりました。
長々と私の背景のお話を聞いていただきましたが、死の宣告をうけたことにお話をもどします。人様のことなら「もうそのくらい生きられたら良かったですよね」なんて済ますかもしれないでしょうが、それが自分に直接死の宣告されるということは大変なことです。自分に「死」のときがやってきたことを認め、受け入れねばならないときに三つのことが起こりました。
一つは、私の心の弱みにつけこんで、暗いささやきが私を襲いました。「どうだ、お前の末娘はあの時、死んだではないか。今お前の長男は癌にかかっているんだ。そしてお前の人生は癌という病で今や終わりをとげるんだ。あんなに神様、神様と言っていたが
それでも神は愛だというのか?」 それは死の影の谷を歩くという経験そのものでした。
けれど、聖書のお約束どおりイエスさまは私が信仰を失わないように祈っていてくださったのです。 そして私に思い起こさせてくださったのは、イエスさまが地上に来られてこれから宣教を開始されようとなさったとき、40日40夜荒野で断食をなさいました。ところがイエス様の働きを止めさせようとする悪魔はイエス様の肉体の弱みに
つけこんで「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」とかいろいろ誘惑を仕向けてきました。けれど、イエス様は聖書の神様のお言葉を用いて悪魔を退却させ勝利をなさいました。わたしはイエスさまをまねて、サタンよ、引き下がれ
わたしはどんなことがあっても、この神様を拝すると叫びました。すると暗い力は消え去り、イエス様が勝利させてくださった確信がわきあがったのです。
次いで、わたしはまるで、神様のみ前に顔と顔を合わせてお話するような厳粛な体験をいたしました。 それは全く神様の光の中で丸裸になって向き合っているようでした。わたしは尋ねました。私の人生はこれでよかったのでしょうか?わたしはあなたに罪赦されて神の子にして頂きましたが、都合よく隠している罪はまだないでしょうか? しかし、愛の神様は「幸子よ、イエスは十字架にかかってお前のすべての罪のために死んだのだよ」と優しく語るかのように私の心に保証を与えてくださったのです。
そしてもう一つのことは、私が死ぬという時は、神様が決められることで、私がその時を何時か何時かと心配することではないと気付かせていただき、私の命をすっかり、
主にお預けし、いえ、お返しすることが出来ました。
わたしはこれらの経験を通して、心の中に喜びが湧くのを覚え、それがほとばしりでてきました。自由!自由!自由!、まるで太陽の輝く青空をかけめぐるような思いになったのです。
さて最初に、前向きな思いが湧いてきたのは、この病になった為に、病で苦しんでいる方がたの苦しみが分かるようになってよかった! これからはそういう方がたのよいお友達になれると思ったことでした。 そしてそれからはこの歌のようにいろいろな事に対して感謝が沸き起こってきました。それは病気になる前によく感謝、感謝と言っていたのと全然質の違う、言葉で言い表せないような感謝であります。
にっこりと微笑みながら朝目が覚める、息が出来ることはなんと素晴らしい、
神様の慈愛によって生かされているその日一日、家族、教会、牧師先生やお友達・・・・
「すべては変わり感謝に・・・・」の賛美の中には癌も含まれています。
神様の愛と力が私達にとってよいと思うことも悪いと思うこともすべてを感謝に変えて下さるとはなんということでしょうか!
私達の救い主として十字架にかかって死んでくださったイエス様は、私達のために死ぬ為にお生まれ下さったと申せましょう。けれどイエス様のご生涯はそこで終わらず、死に打ち勝って復活なさったという事実により私達も永遠の命に預かることができるという神様のお約束はなんという希望と喜びに満ちたお約束でしょうか? 私がこのたびいただいているこの感謝喜びの源はきっとここからだと頭をたれて感謝せずにはおれません。 桧垣幸子
「桧垣幸子さんの証し」
御手の中で
すべてはかわる賛美に
わが行く道を 導きたまえ
あなたの御手のなかで
御手の中で
すべてはかわる感謝に
わが行く道に あらわしたまえ
あなたの御手のわざを
私は、最近、上記のゴスペルソング「御手の中で」の1節である「すべては変わり感謝に」という言葉に震えるような感動を覚えています。
私は、長い年月、病気をした記憶が無いほど健康に過ごしてきました。ところが、
この6月に何か身体に異常を感じたことから、レントゲン、CTスキャン、生体検査をした結果、右の肺が癌に侵されていて4期になっているので、治療の仕様がないと診断を受けました。子供達はみんなドクターの事務所に来てくれていましたが、余りの思いがけない報告にショックを受け誰一人として「私たちの母は後どのくらい生きることができるのですか?」と尋ねる者はありませんでした。 私は大和なでしこの根性を出して 「レッツ ゴウ ホーム チルドレン」と50才代の子供達の先頭に立ってドクターの事務所をでました。勿論、92才の主人も静かについて来ました。
私は、「死」という事実に直面したのです。
私は、このアメリカの地に来て早64年、時代の色々な波の中で、日本の軍国主義の時代に育ち、心の底から天皇陛下を生きた神と信じ、その方に忠誠を尽くすことこそ
人生の生き甲斐であると思い、アメリカとの戦争においても多くの神々に願いをかけ、神風を信じ、日本は必ず勝利すると信じ込んでいました。
しかし、日本はアメリカとの戦いに敗れ、一晩のうちに天皇はただの人間であり
頼みにしていたすべての神仏は無力であるという体験をしたのです。人生の真理・生き甲斐を失ったわたしは全くの空っぽ人間となり、神戸・大阪大空爆前にあれほど子供達を愛して教師をしていましたのに、再び教師となる気力を失ってしまいました。
戦後の数々の苦難、それは省きますが、そのある日、天地万物を作られた真の神様が居られ、そのお独り子のイエス・キリストさまをこの地上に人間として送ってくださり、私たちの救い主となってくださるという福音を聞きました。そして聖書からイエス様が私の心のドアーをノックしておられることを知り、今までのすべての苦労重荷を溢れる涙と共に注ぎだしてイエスを私の心にお迎え致しました。
やがて、日本へ進駐していたアメリカ二世の桧垣ハリーと知り合い、何年かして
ハリーの出生地レッドウッド市に来ることが出来、結婚生活を始めることができました。当座は苦労だと思ったことも今から思えば良い訓練であり、3組の子供達から多くの孫そしてひ孫まで与えられております。
一方、私が渡米してきた同じ年1950年にバークレイフリーメソジスト教会の小見正博牧師がレッドウッド市で家庭集会を始めてくださり、今のペニンスラ教会として発展してまいりました。 そして私達家族は、教会生活を中心にして、幸せに暮らしてまいりました。
長々と私の背景のお話を聞いていただきましたが、死の宣告をうけたことにお話をもどします。人様のことなら「もうそのくらい生きられたら良かったですよね」なんて済ますかもしれないでしょうが、それが自分に直接死の宣告されるということは大変なことです。自分に「死」のときがやってきたことを認め、受け入れねばならないときに三つのことが起こりました。
一つは、私の心の弱みにつけこんで、暗いささやきが私を襲いました。「どうだ、お前の末娘はあの時、死んだではないか。今お前の長男は癌にかかっているんだ。そしてお前の人生は癌という病で今や終わりをとげるんだ。あんなに神様、神様と言っていたが
それでも神は愛だというのか?」 それは死の影の谷を歩くという経験そのものでした。
けれど、聖書のお約束どおりイエスさまは私が信仰を失わないように祈っていてくださったのです。 そして私に思い起こさせてくださったのは、イエスさまが地上に来られてこれから宣教を開始されようとなさったとき、40日40夜荒野で断食をなさいました。ところがイエス様の働きを止めさせようとする悪魔はイエス様の肉体の弱みに
つけこんで「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」とかいろいろ誘惑を仕向けてきました。けれど、イエス様は聖書の神様のお言葉を用いて悪魔を退却させ勝利をなさいました。わたしはイエスさまをまねて、サタンよ、引き下がれ
わたしはどんなことがあっても、この神様を拝すると叫びました。すると暗い力は消え去り、イエス様が勝利させてくださった確信がわきあがったのです。
次いで、わたしはまるで、神様のみ前に顔と顔を合わせてお話するような厳粛な体験をいたしました。 それは全く神様の光の中で丸裸になって向き合っているようでした。わたしは尋ねました。私の人生はこれでよかったのでしょうか?わたしはあなたに罪赦されて神の子にして頂きましたが、都合よく隠している罪はまだないでしょうか? しかし、愛の神様は「幸子よ、イエスは十字架にかかってお前のすべての罪のために死んだのだよ」と優しく語るかのように私の心に保証を与えてくださったのです。
そしてもう一つのことは、私が死ぬという時は、神様が決められることで、私がその時を何時か何時かと心配することではないと気付かせていただき、私の命をすっかり、
主にお預けし、いえ、お返しすることが出来ました。
わたしはこれらの経験を通して、心の中に喜びが湧くのを覚え、それがほとばしりでてきました。自由!自由!自由!、まるで太陽の輝く青空をかけめぐるような思いになったのです。
さて最初に、前向きな思いが湧いてきたのは、この病になった為に、病で苦しんでいる方がたの苦しみが分かるようになってよかった! これからはそういう方がたのよいお友達になれると思ったことでした。 そしてそれからはこの歌のようにいろいろな事に対して感謝が沸き起こってきました。それは病気になる前によく感謝、感謝と言っていたのと全然質の違う、言葉で言い表せないような感謝であります。
にっこりと微笑みながら朝目が覚める、息が出来ることはなんと素晴らしい、
神様の慈愛によって生かされているその日一日、家族、教会、牧師先生やお友達・・・・
「すべては変わり感謝に・・・・」の賛美の中には癌も含まれています。
神様の愛と力が私達にとってよいと思うことも悪いと思うこともすべてを感謝に変えて下さるとはなんということでしょうか!
私達の救い主として十字架にかかって死んでくださったイエス様は、私達のために死ぬ為にお生まれ下さったと申せましょう。けれどイエス様のご生涯はそこで終わらず、死に打ち勝って復活なさったという事実により私達も永遠の命に預かることができるという神様のお約束はなんという希望と喜びに満ちたお約束でしょうか? 私がこのたびいただいているこの感謝喜びの源はきっとここからだと頭をたれて感謝せずにはおれません。 桧垣幸子